9月16日(水曜日)
早朝、トリエステの天気予報を見てみると、雨。レーダー画像には雲はないようなので、私が到着する昼頃に雨になるのだろうか…
昨日、2ユーロ弱で購入した特価のハムを、パンだけしか供給されないユースホステルの朝食とともに食べる。主食のパンと飲み物だけが供給される、中食持ち込み食堂と考えれば、すごくありがたく感じるのは気のせいだろうか…
8時40分、ユースホステルをチェックアウト。ツインの部屋に泊まっていたので、普通の安宿と変わらない感じだ。古代ローマの橋を渡る経路を通って駅へ。駅前の公園に出ていた仮設遊園地の撤収作業をしている。ヨーロッパは、こういう小ぢんまりした仮設の遊園地や屋台をよく見かける。日本のように、とにかく若い人を集客するために屋台村を作ったり、うるさいステージイベントを開いたりするのではないところが好感を持てる。
9時30分、トリエステ行きのフレッチャ・ビアンカ(インターシティ)に乗車。
■ ヴィツェンツァ 09:33発 → トリエステ 12:10着 (列車 フレッチャ・ビアンカ,ネット購入2等運賃 9EUR)
ヴィツェンツァを出た列車は、パドヴァ、メストレと停車していく。メストレでは20分も停車して何らかの時間調整をしている。遅れているのではなく、元のダイヤがこんな感じなのだ。
列車は東に向かうほど天気が悪くなってくる。ヴィツェンツァでは晴れていたが、メストレを過ぎた辺りからうす曇りになり、アクイレイアあたりではどんよりとした曇り空。さらにそこから先はにわか雨があったのか道路や軌道の擁壁が雨でぬれている。垂直の擁壁がべたべたに濡れているということは、よほどの吹き降りの豪雨があったのだろう。
トリエステに近づくにつれ、アルプスからバルカン半島に延びる山脈が海岸付近までせり出してきていて、列車は山脈と海の間の狭い崖沿いを走っていく。アクイレイアから先、スロベニアに食い込むようにして突き出しているイタリアの領土は、古代ローマ時代は「イタリアでは無かった」土地だ。アクイレイアまでがイタリア(紀元前はガリア・キサルピナ属州)その先はダルマチア属州(紀元前はイリュリア)。
オーストリア帝国が外港としてトリエステを分捕って、その後帝国を引き継いだドイツが戦争に負けて、なぜかトリエステはイタリアに組み込まれた。東側陣営のユーゴに引き渡すわけにいかなかったから、イタリアなのかなぁ…
ほぼ定刻通りトリエステに到着した列車から降り、まずは予約したB&Bを目指す。駅から歩いて5分ほど、建物の外壁の工事で金属足場で囲まれているビルの5階。
部屋に荷物を置き、外へ。とりあえず、丘の上にあるサン・ジュスト城を目指す。気温は30℃には届いていないのだが、湿度が80%位あるのでとても蒸し暑い。鉄道駅付近から、南西へまっすぐ行くと、18世紀に貨物船の岸壁として造られた「大運河」と呼ばれいてる細長い人工入り江に出る。今ではプレジャーボート程度しか停泊していないが、オーストリア支配の時代には、貿易船がここに停泊していたそうだ。
大運河の南岸に、東方正教会のような教会が建っている。壁面にはキリル文字で何やら書かれているが、Wikipediaによればセルビア正教会だそうだ。
さらに南西へ向かうと、ボルサ広場とコルソ・イタリア(イタリア通り)に出る。一応ここが新市街の中心軸のとおりらしい。こんどはイタリア通りに沿って旧市街の丘のふもとへ。一本路地に入ったところに見つけたバーに入り、生ハムのパニーニと水で昼食。生ハムたっぷりで5ユーロとお得な価格だ。さて、このあたりに古代ローマ劇場跡があるはずなのだが、見つからない。汚いレンガ壁の横に歩いていた人に聞くと、そのレンガ壁がローマ劇場だそうだ。反対側にぐるっと回ってみてみると、確かに客席が完全に残っているローマ劇場だ。舞台の背面辺りに転がっている大理石板に、碑文が刻まれている。「Q ペトロニウス C Fなんちゃら… (改行)第12軍団 …(数段下へ)ネルヴァ トラヤヌス アウグストゥス ゲルマニクス、プロビンキア なんちゃら…」と書いてある。皇帝ネルヴァの時代に生きた第12軍団と関係のあるQ.ペトロニウスがこの劇場を立てたのか、どうなのか…。建てたとは書いてないようなので、まったく違う碑文がここに転がっている可能性も無きにしも非ず。
ローマ劇場のところから、旧市街の丘に沿って歩いていくと聖マリア・マッジョーレ教会がある。17世紀に建てられたものだそうだ。すぐ横に、赤レンガで造られた聖シルヴェストロ教会がちょこんとくっついている。こちらは11世紀ごろのものらしい。さて、ここからが悲惨なところで、くそ暑い中、急な坂道を5分ほど登ると丘の上にある大聖堂前に出る。駐車場があり、老人の団体客が涼しげな顔で降りてきている。団体客は何の苦労もなく山の上の観光地などを訪問しているが、やはり往時の巡礼の苦労を知るためには下から登るべきだと思う。(苦労して登れば、見るものすべてがありがたく感じるものだ… と思うことにしよう)
大聖堂と丘の頂上の城の間には、何らかの古代遺跡の列柱が立っている。丘の上に、長方形の基盤を持つ列柱といえば、アクロポリスの上に立つ神殿しか思い浮かばない。ガイドブックなどには何も解説がないので、またじっくりと調べることにしよう。丘の上にあるサン・ジュスト城に入場する。航空写真などでは迫力ある形をしているが、実際に中に立ってみるとそれほど感動的な形でもない。場内に展示された武器も、ほとんどが剣とライフル銃などで、この城が造られた15世紀ごろでは標準的な装備なのだろう。
大聖堂の横に、ひっそりと碑文・考古学博物館がある。入口から建物に至る庭には、無造作に古代ローマ時代の碑文が点々と並べられている。碑文のラテン語とイタリア語訳が傍らの解説板に記されている。この博物館は英語訳が一切ないため、ラテン語の原文で理解するしかないだろう。建物の中には、この地から発見されたと思われる古代ローマ時代の遺物のほか、なぜか古代エジプトの棺などの遺物か、また古代ギリシャ時代の壺や皿なども展示されている。これだけ素晴らしい展示物がありながら、ほぼやる気が無い展示方法など、どうにかならないものですかね…
丘を降りて、さらに南西へ。新市街のはずれの鉄道博物館に向かう。鉄道駅からは2kmくらいの距離があるだろうか。港湾地区の、観光客など絶対に来ないような場所に鉄道博物館と海洋博物館がある。鉄道博物館の扉には「水・土・日の9時から13時に開館」と張り紙がしてある。ホームページがないので事前に開館日を知ることもできず、さすが、観光客など眼中にない自主独立な態度は、この街の考古学博物館と通じるものがある。
歩いて再び鉄道駅まで戻ってくる。駅構内のカフェテリアで切り売りのピザを注文したが、冷たいのを出された。駅構内という一等地にもかかわらず、道理で空いていると思ったら、こんなひどい商売をしていたのか…。商業主義におもねってマクドナルドを入店させてくれたほうが、最低限の水準は守ってくれると思う。冷たいピザは食べきることができず、ほとんど捨てた。駅前の広場を横切ったところに、ドネル・ケバブ屋を発見し、そこでケバブを食べて夕食とする。
■ トリエステ B&B Guerrero ダブルルーム 1泊 40EUR