2015/09/24

9月24日 ドバイ

9月24日(木曜日)

■ パリ シャルル・ド・ゴール空港 (前日)21:50発 → ドバイ空港 06:45着 (エミレーツ航空 EK076)

パリからドバイまでは、今年(2015年)5月にエミレーツ航空に納品された最新鋭のエアバスA380(A6-EOI)に搭乗。さすが、最新鋭機だけあり、機内エンターティメント・システムも最近のタブレットのように「映画の選択がパッケージ絵柄のアイコン選択」で行えたり、座席の足元も広々として乗り心地も良かった。ただ、最新鋭機といってもドバイ空港ではスポットエリアに駐機して、乗客はバスで20分位掛かってターミナルに運ばれるのはいつもの通り。土場空港は完全に容量オーバーしているのだろう。

このパリからの便の乗客の3分の1くらいは中国人観光客で、搭乗前の待合室の段階から大声でうるさく話し、搭乗開始前からゲート前に殺到し迷惑この上ない雰囲気だった。彼らの座席は機内の後ろのほうだったので、機内での様子はどんなのかわからないが、ドバイ人のCAさんが私に「日本のことは大好きですよ」と言ってくれたのは、おそらく機内後部に居る中国人の態度が最悪だったんじゃないかと推測される。


ドバイ空港に到着したパリ発のA380-800型機

ドバイのターミナル3では、ほとんどの乗客は乗り継ぎ通路に向かい、ドバイ入国はほんの少し。もちろん、入国審査場も空いてて全く行列に並ぶこと無くスムースにドバイ・メトロの駅まで辿りつけた。2週間前には、1等車(ゴールド・クラス)のチケットを購入したが、今回は2等車(レギュラー・クラス)の1日乗車券を購入(14ディルハム)。

今日の予定としては、12時にブルジュ・ハリファの入場券を予約しているだけだ。午前中に、ドバイ・モールより南側の地区を見て回り、午後からは旧市街やスークなどを見て回ろうと思う。

■ 空港第三ターミナル 07:32発 → ファイナンシャル・センター 07:56着 (メトロ Red Line,1日乗車券 14AED)

トバイ・モールの1駅手前、高層ビルが高速道路を挟むようにして立ち並ぶ駅で下車。駅の目の前に高層ビルが乱立している感じだが、周辺の道路は歩行者が歩くことは想定していないのか、埃っぽく殺風景だ。駅の西側、高速道路を横切った向こう側の駅出口前でタクシーに乗る。ジュメイラ・モスクまで13ディルハム。基本運賃が5ディルハムで、1kmで2ディルハムずつくらい増えている感じだ。高層ビルが乱立する高速道路沿いから離れると、住宅地のような感じのところを走るが、これがまた生活感が無い妙な所だ。とりあえず、歩行者が誰も歩いていない…

■ ファイナンシャル・センター前 08:05頃発 → ジュメイラ・モスク 08:14着 (タクシー,運賃13ディルハム)

ジュメイラ・モスク前でタクシーを降り、モスクを見物しようと思ったが、観光客の入場時間は10時とのこと。扉は開いていたので、入口のところからちらっと中を除くと、特に装飾などはされていない単なる四角い部屋のような礼拝場だった。地球の歩き方でも、ネット上のBlogなどでもここが観光地だと書いてあるが、どう観光地なのか…。 Wikipediaによれば、1976年に建てられ、ドバイで最も写真の被写体になっているモスクだとも書いてある。


ジュメイラ・モスク

さて、次は南の海岸線沿いにあるブルジュ・アル・アラブという変わった形のビルが観光地だというので、そちらの方向へ。その前に、ビーチ(砂浜)も観光地だというので、どんなものなのか見に行ってみる。ジュメイラ・モスクの辺りから、南へ1.5kmほどの範囲が「パブリック・ビーチ」だそうだ。モスクの前のジュメイラ通りにも「Open Beach」という道路標識が出ている。その標識の方に行ってみるが、海岸線の手前に延々と鉄板が立てられていて海など全く見えない。工事中なのか、単なるプライベートビーチとして囲い込んでいるのは不明だが…。

■ ジュメイラ・モスク 08:40頃発 → Majlis Al Ghoreifa 08:58着 (バス 8系統,1日乗車券 14ディルハム)

ジュメイラ・モスクの道路を挟んだ向かい側は、近隣のリゾート施設に来た金持ち観光客向けのショッピング施設。朝早いからなのか、今日が犠牲祭だからなのか、まだ閉店していてスターバックスだけが営業中。こんな所で営業しても、客が来るのかな…

その横の冷房が入ったシェルター状のバス停でバスを待ち、やってきた8系統のバスに乗車。ジュメイラ通りに沿ってバスはひたすら南へ。道路沿いは工事中の場所が多く、全く人を見かけない。バス停の近くにパリで見かけるような自動の自転車貸出スタンドがあるが、こんな炎天下の影のない所で自転車など乗ったら干上がってしまいそうだ。


Majlis Al Ghoreifa付近、海岸線沿いの街並み

およそ6kmほど南西へ行ったバス停(GoogleMapではMajlis Al Ghoreifaバス停と書いてある)で下車。ここも高級住宅なのかリゾート施設なのかがジュメイラ通りと海岸線の間に並んでいる。もちろん、海岸線には一般人が近寄ることが出来ないよう、住宅などの壁でしっかりとガードされていたりする。巨大な老人ホームのような施設もあり、金持ちが余生を送る場所として造られている場所なのかなぁと想像したりする。とは言っても、建物の外に一歩出れば、歩くことすら憚られる強烈な太陽光線と、まるで工事現場のような殺風景な砂っぽい環境の所に住みたいですかね…。

■ Majlis Al Ghoreifa 09:10頃発 → Wild Wadi 09:24着 (バス81系統,1日乗車券 14ディルハム)

こんどは81系統のバスに乗りブルジュ・アル・アラブ付近のバス停で下車。先ほどの場所から7kmほど南西に来た。ここは、8系統と81系統が交互に来ているようだが、バス停の路線図には81系統は書かれていない。バス停から少し北東に戻るとジュメイラ・ビーチ・ホテルという遊園地付きのホテルがある。バスから降りた2名ほどが、このホテルの従業員通用門から中に入っていった。道路から見上げる遊園地附属のプールの滑り台には、水が流れているのが分かる。こんな砂漠の真ん中に、大量の水を使ってプールですか…

このホテルから、バス停を挟んで反対側に例の変わった形のビル ブルジュ・アル・アラブがある。もちろん、一般の観光客はビルのだいぶ手前の検問所でシャットアウトされていて、検問所の所でインドから来た観光客が記念撮影をしていた。ジュメイラ・モスク付近から続く海岸沿いの地区は、一般の観光客が来ても、リゾート施設の壁を見るだけで施設の中には入れないため、猛烈な太陽光の中を修行しているだけのような所だ。


Wild Wadiバス停。左側に見える半月型断面のシェルターがバス待合室

■ Wild Wadi 09:35頃発 → モール・オブ・エミレーツ駅前 09:43着 (バス81系統,1日乗車券 14ディルハム)

およそ2km離れたモール・オブ・エミレーツ駅前へ。高速道路などの立体交差があり、バスは実際の直線距離の倍以上走って、駅からだいぶ離れたバス停に到着。駅とショッピングモールを繋ぐ歩道橋に上がって、ショッピングモールに入ってみる。日本にあるイオンモールを巨大化したような感じのところですね。ドバイで2番めに大きなショッピングモールだそうで、駅から一番遠い区画には屋内スキー場がある。砂漠の国で人口スキー場を維持できるのは、タダ同然の電力(産油国)のためなんだろうね。


モール・オブ・エミレーツの屋内スキー場(手前が「そり」、奥がリフト付きスキーの施設)

■ モール・オブ・エミレーツ 10:05発 → ブルジュ・ハリファ 10:10頃着 (メトロ Red Line,1日乗車券 14ディルハム)

メトロに乗り、ドバイ・モールに向かう。ばすなら30分以上掛かる距離が、途中駅が少ないメトロなら10分も掛からない。ブルジュ・ハリファ駅からドバイ・モールまでの間は、延々と冷房が効いている歩道橋で結ばれている。途中に隣接する高層ビルには、歩道橋からの通路は接続されておらず、これらのビルの利用客は自動車を使ってくることしか想定されていないのだろう。歩道橋の非常口から一旦地面に出ればビルに入れると思われるが、ビルの入口は非常口から遠かったりする。

駅から延々と1kmの歩道橋を通り、ドバイ・モールに入場。この時間帯はまだお客さんが少ないが、午後からは大量の人で歩道橋はいっぱいだった。


世界最大の広さのドバイ・モール

世界最大の広さのショッピングモールは、どこに何があるのか探すのも苦労しそうだ。まず、ブルジュ・ハリファの入場口を探す。メトロからの歩道橋が接続されているのは最上階の「2階」で、ようやく見つけたブルジュ・ハリファの入口はそこから3階下の「GL階」。位置的には、モールの同じ側にあるのでそれほど歩く距離は多くはない。入場時間まで1時間ほどあるので、2階にあるフードコートで昼食を食べることとする。

ショッピングモールの開店時間からそれほど経っていないため、営業している店は半分程度。インド料理のファストフードのチキン・ティッカを食べる(36ディラハム)。


インド パンジャブ料理のチキン・ティッカ

11時45分にブルジュ・ハリファの入場口へ。受付カウンターで、インターネットのバウチャー(130ディラハム)を入場券に引き換えてもらう。当日券はもっと高額らしい。入口を入り、建設経過の写真などを展示した通路を歩いてブルジュ・ハリファのビルの中に入る。エレベーターに乗り124階へ。現在の「世界で最も高い」超高層ビルで、高さ828m。ただし、普通の料金で登れる展望台への高さは452m(124階)で、中国の上海にある上海環球金融中心ビル(474m)よりも少しだけ低い。


北方向、ファイナンシャル・センター駅方向のビル群


南方向の景色

展望台から見れる景色は、砂漠の中にポツポツとビル群が立ち並ぶ不思議な風景で、この国が人工的に造られた計画都市だと分かる。2009年に上海のビルに登った時には、無秩序に広がるビル群が周囲を取り囲んでいたのとは対照的だ。ブルジュ・ハリファがすごいなと思ったのは、写真撮影用に「ガラスに切れ目を作ってカメラのレンズを外に突き出せる空間」を作っていることだ。展望台を設計した人は、ガラスに反射する光で写真がうまく取れない経験をした人なのだろう。

30分ほど展望台で過ごし、再びエレベーターに乗って地上へ。ビルのどこにも「エレベーターも世界一」と書いていないのは、ここのエレベーターがそれほど速くはないからだ。ブルジュ・ハリファのエレベーターの速度は「600m/min」のオーチス製。このビルが建設された当時の最高速度のエレベーターは日本製(東芝や三菱など)で1000m/minのものが実用化されていた。まあ、あんまり速くてもエレベーターに乗った感じがしないからダメなんだろうね。

再び、隣接するドバイ・モールに行き、地下(G階)の巨大水槽(水族館の一部)をちらっと眺めてから、メトロの駅へ。モールの通路に面した水槽のアクリルパネルは、世界最大級の面積だそうだ。(シンガポールにある水族館のほうが若干大きいので世界一ではない)


外から眺めたブルジュ・ハリファ

メトロの駅への1kmの歩道橋は、朝と違って大量の人であふれていた。

そういえば、メトロの駅のガラス窓に『イード・アル・アドハー期間中の地下鉄の運行計画』という貼り紙があり、『昨日(23日)と今日(24日)は通常通り05:50〜26:00、明日(25日)は10:00〜26:00が運転時間』だと書いてあった。祭日だが、だいたい通常通りの運転のようだ。犠牲祭は9月24日から4日間なので、今日が祭日の初日ということで客が多いのかもしれない。なんと言っても、人工的に造られた街で休日に出かけられる行楽地は、人工的に造られたショッピングモール位外にないのだから…。

■ ドバイ・モール → ブルジュマン 乗換 13:49 → アル・ファヒード 13:55頃着 (メトロ Red Line→Green Line,1日乗車券 14ディルハム)

駅のコンコースにカルフールのコンビニがあったので、ミネラル水(1ディラハム)と電子レンジで温めるサモサ(1.5ディラハム)を買ってイートインコーナーで食べる。まさか、アラブの国で日本のコンビニと同じ様式の店があるとは思わなかった。

駅を出て旧市街を目指す。ドバイ・モールやモール・オブ・エミレーツ、あるいはジュメイラの海岸線沿いとは違って、こちらは一般の人達が屋外を歩いているし、建物の1階には道路に面して様々な店がある。犠牲祭の祭日なので、駅の近くにある店を除いて、ほとんどが閉店している。普段なら大量の買い物客で溢れかえっているのだろう。駅から800mほど、なるべく建物の日陰を歩いてドバイ博物館とグランド・モスクがある場所に到着。確かに、トルコなどで見かけるミナレットとドームを持った対照形の美しいモスクを真似たジュメイラ・モスクに比べて、いかにも普通のモスクというのがこのグランド・モスクだ。こちらも、中は見学できないようで、それでも礼拝者のフリして中に入ってみるとゴザと絨毯を敷き詰めた礼拝室と、その手前に浄めの洗い場ウドゥの個室が並んでいるだけだ。


アル・ファヒード砦(現在は博物館)と、グランド・モスクのミナレット

ドバイ博物館のほうへ。18世紀に造られたアル・ファヒード砦を博物館として整備したものだ。入場料は3ディラハム。昔の手こぎボートが何隻か屋外に展示されてるのと、剣や銃などの昔の武器が展示されている。Wikipediaによれば、この地は19世紀以前は「小さの漁村」だったとのことで、歴史は殆ど無いために博物館に展示するものも無いのだろう。イラクやシリアのように、そこら中にアッシリアやペルシャ、あるいは古代ローマの遺跡が転がっているような国なら展示するものもたくさんあるのだろうが…。そういう国は古代より戦乱にまみれて、安全すら守れないので経済や観光どころじゃない。ドバイのような「何もないところ」が中継経済の安定した拠点となってなっているのは、ある意味、消去法的に必然性があったのかなとも思う。観光客としては、何もないところを見ても全然面白くないんだけれども…


オールド・スーク

モスクの裏手には、インドのヒンズー教の寺院があり、こちらのほうがたくさんの参拝者を集めている。ヒンズー教寺院から川の下流方向に向かって商店街(オールド・スーク)が続いていて、衣料品や土産物を売るインド人の店が集中している。こちらは、半分くらいの店が開いていて沢山の人が歩いている。開いている店はイスラム教徒じゃないからなのか、祭日は書き入れ時と思って開店しているのかどちらなのだろうか。


旧市街 バスタキヤ地区

旧市街のバスタキヤに向かう。グランド・モスクとの間には政府の宮殿のような建物があり、川沿いの岸壁を迂回して歩く。川には、対岸との間を結ぶ渡し船が頻繁に往来している。川を横切る地下鉄(メトロ)があるのに、渡し船に沢山の人が乗っているのは、値段が安いからなのだろう。旧市街は、ほとんど全ての観光客向けの店が閉店していて閑散としている。無理やり作ったテーマパークのような場所だから、地元の人は来ないのだろう。旧市街といっても、19世紀末に造られた村を21世紀になって観光地化して再整備した所だから、生活感が全然ないのは仕方がないだろう。

■ アル・ファヒード → アル・ラス (メトロ Green Line,1日乗車券 14ディルハム)

再びメトロの駅に戻り、川をわたって2駅目のアル・ラス駅で下車。駅を出ると強烈な西日が照りつけている。GoogleMapのナビで、300mほど南にあるスパイス・スークまで歩く。この付近の道路沿いは、5階建てくらいの建物の1階が全て商店になっていて、今日が祭日でなければ沢山の人でごった返していたことだろう。スパイス・スークは東側の一部分の店だけが営業していて、やはりほとんどの店は祭日で閉店している。猫だけが、のんびりと商店街のアーケードの下でくつろいでいる。スパイス・スークの更に西側は、ゴールド・スークといって宝飾品を売る店がある。こちらはたくさんの店が営業中で、観光客が貴金属のアクセサリーを展示したショーウインドウの前で記念撮影している。


スパイス・スーク


販売されているスパイス(手前はシナモン)

アラブの人たちは、貴金属を買うのがいまでも好きなのだろうか。自国の通貨が信用できないからと言って、現物の貴金属を売買するときの手数料はバカにならず、それなら貴金属に投資するETFやファンドを買ったほうがマシだと思う。


ゴールド・スークで記念撮影する旅行客

スークの南側は川に沿った岸壁になっていて、たくさんの木造貨物船(ダウ船)が荷物を積み降ろししている。まさか、この小さな木造船でインドや中国などの「スークで売る商品」の仕入れ取引を行うのではないだろうから、国内の近隣の港などへ運んでいるのだと思う。

岸壁の一部に、渡し船の乗降場があり、そこから対岸のオールド・スークに渡る船に乗る。渡し船の乗降場で見かけるのは男性ばかり。女性は乗れないのか、あるいはめったに運行されない専用の船があるのだろうか…。


渡し船の中からBaniyasの乗降場を振り返り撮影

■ Baniyas 16:28 → オールド・スーク 16:34(ウォーター・バス B2系統,運賃1ディルハム)

テーマパークと考えれば、ドバイは安く楽しめる場所だと思う。ただ、実際に生活するとなると、日本レベルのサービスを求めれば物価は高く、出稼ぎのインドやパキスタンの人たちと同じレベルのもので良ければ格安という、微妙なものがあると思う。

夜景を撮影するため、再び超高層ビルのブルジュ・ハリファのあるドバイ・モールに戻る。

■ アル・ファヒード 16:50頃発 → ブルジュマン 乗換 → ドバイ・モール (メトロ Green Line→Red Line,1日乗車券 14ディルハム)

ドバイ・モールの駅を降りてショッピングモールへ続く歩道橋に入ると、猛烈な数の人が歩いている。朝はあれだけ空いていたのに、夕方になると大混雑している。日没は「ヨーロッパと同じく19時頃」と勘違いして、モールの中のフードコートでイラン料理をのんびりと食べる。チェロウ・ケバブという、挽き肉のシシュ・ケバブをピラフの上に載せたものを食べる。たぶん、間違えて2人前用の「大」を注文してしまい値段は58ディルハム。シシュ・ケバブが2本ついてきたので2人前で間違いない…。


イラン料理 チェロウ・ケバブ

で、ドバイは夏時間じゃないので日没の時間が「18時過ぎ」なのだ。19時少し前にモールの外に出ると、既に真っ暗。夜景の撮影タイミングを完全に逃してしまった…。 ブルジュ・ハリファの北側の道路沿い、公園のような所に行く。今日の昼過ぎにここに来た時には、近隣のビルで働くインド人が何十人か、木陰に座って休憩していたが、この時間帯はあまり人がいない。もちろん、外国人観光客も外に出ては観光しないのか、ほとんど見かけない。

もううこし距離の離れたところから写真撮影できれば、地上の景色も含めたビルの全貌を見ることが出来るのだが、周囲は中層階のビルに囲まれていて、あまりの蒸し暑さに撮影ポイントを探して歩きまわる気力も出てこない。せめて、夕焼けの紫色の空だったらと残念だ。


ドバイ・モールの出口付近から見たブルジュ・ハリファ


ブルジュ・ハリファ

メトロの駅に戻る。地上をインド人やパキスタン人の学生か労働者が大量に駅の方に向かっている。彼らに紛れて駅の方に向かうと、警官や交通局の係員が阻止線を敷いており、混雑のため駅に入れないようにしている。かといって、入口の前で行列を作って待たせると、押し合いの混乱になり死傷者が出るのが中近東や南アジアでは常のため、長い迂回路をバリケードで仮に作って、その迷路を早歩きで歩かせて暴徒化を避けるという混乱対策を取っている。さすが、棒と対策に慣れている国だけはある。家族連れなどは途中の抜け道から冷房の聞いた歩道橋に上がれる階段を開放していたが、南アジアの労務者と同じカテゴリーの私は、警官隊や駅係員に追い立てられる羊の群れに紛れて歩き続けるしかなかった。

20分位、クソ蒸し暑い中、バリケードの迷路を歩かされ、やっと駅に繋がる歩道橋に上がれたと思ったら、こんどは歩道橋の上でまた迷路が作られていて、一般客も含めて全ての人が駅改札を通り越し高速道路の向こう側、400mくらいの特設迂回路を歩かされる。ゲルマン人のおっさんが、勝手にバリケードを潜りぬけ改札に抜け駆けした。警官が注意したが聞き入れる様子もなく改札に向かっていったが、誰一人として周囲のインド人やパキスタン人、あるいはアラブ人も居たかもしれないがそのゲルマン人に続く人は居なかった。ふつうなら、一人が抜け駆けすると、あとからぞろぞろとルールを破る奴が出るのだが、こちらの国では銃やスタンガンでの実際の阻止行動が行われるかもしれないから、ルールを守らざるを得ないのだろう。

こんな風景を見ていても、湾岸諸国での人種の階層が 『ゲルマン人 > アラブ人 >>>> アジア人等』となっていて、差別ではなく確実に区別されていることが分かる。イスラエルに居るパレスチナ人が、ちょっとデモをするだけでイスラエルの治安部隊からゴム弾で攻撃を受けるように… フルスペックの人権は権力者側にしか無いということだ。

大量の人々を迂回路を作ってうまく時間調整させ、駅に入る人間をコントロールしているから、10分おきに来る電車は混雑することもなく普通に運行している。日本ではありえない、巧妙な雑踏対策だ。『止まって並ばせない。常に歩かせ疲れさせる。武器で脅し権力者が誰かわからせる』というポイントを押さえた理想の国なのかもしれない。

■ ドバイ・モール → ブルジュマン 乗換 → アル・ファヒード 20:05頃着 (メトロ Red Line→Green Line,1日乗車券 14ディルハム)

再び、夜のオールド・スークに向かう。中東の旧市街の夜景は、あまり期待できないのは北アフリカ諸国で体験済みだ。予想通りモスクはライトアップされているが、グランド・モスクがライトアップされても見所とは言えないだろう。川沿いは街灯も少なく、暗い中を対岸との渡し船が頻繁に行き来している。この街の夜景の撮影ポイントは、金持ちが入るホテルやリゾート施設を除いて公道から見られる、ブルジュ・ハリファくらいかもしれない。

■ アル・ファヒード 20:40頃発 → ブルジュマン 乗換 → 空港第三ターミナル 21:00着 (メトロ Green Line→Red Line,1日乗車券 14ディルハム)

空港の出発ロビーにある発着案内では、22時から02時まではそれほど出発便はなく、02時30分から04時までの間に大量の飛行機が出発する。3時間前にチェックインが開始されるとしても、まだ乗客は空港に来る前だ。チェックイン・カウンターがある出発ロビーには誰一人客の姿は見かけず、不思議なくらい静まり返っている。

朝、ターミナルビルの到着ロビーにある荷物預かり書に預けた荷物を回収。12時間が20ディルハムなので、14時間ほど預けたので40ディルハムをクレジットカードで支払う。出国審査を済ませ、まだあまり客の来ていないゲート前付近のリクライニング・ソファーに陣取る。24時頃、昨日パリの空港で発券してもらったミール・クーポンを使い、バーガーキングで無料のワッパー・メニューを注文。普通のセットに加えて、アップルパイも付くという妙な豪華さ。欧州へ行く時に入ったマクドナルドの価格から推定すると、1000円分くらいの価値はあると思う。

■ ドバイ空港 (翌日)03:00 → 大阪 関西空港 (翌日)16:30 (エミレーツ航空 EK316)

パリから乗った便と違って、今度は日本人が大半で、そこに観光目的で日本に行くと思われるヨーロッパ人が少数という乗客構成。日本人は搭乗口前に殺到することもなく、大声で騒ぐこともなく、至って静かな人種だ。ヨーロッパ人も似たようなものなので、いかに中国人が異常かが1日に乗った2便の飛行機で感じた。

今度乗った飛行機はB777-300で、2005年にエミレーツ航空に納品された機体。機内エンターテイメントのコンピューターも古く、操作性や画面の美しさはA380の最新型の足元にも及ばない。もちろん、HDDの容量も不足しているのか、番組の数も翻訳の件数も少なく、同じ料金で乗るのなら最新の機種のほうが良いと思う。

2015/09/23

9月23日 パリ

9月23日(水曜日)

今夜21時すぎ、ドバイ行きの飛行機に乗る予定。パリは朝起きた時点では快晴。天気予報では、昨日のような雨はもうなさそうだ。ついでに、ドバイの天気も確認すると、予想通り快晴続き。砂漠だから当たり前か…


ヨーロッパの気象衛星写真


パリの天気予報(最低気温が7℃くらい、最高気温が18℃くらいだ)


北アフリカと中近東の気象衛星写真


ドバイの天気予報(最高気温が35℃以上)

9時、ホテルをチェックアウト。かさばる荷物はホテルに預かってもらい、今日も貸自転車Velibで観光。昨日、雨で撮影できなかったモンマルトル付近をもう一度見に行ってみる。コースを少し変えて、まずサン・マルタン運河を地下鉄スタリングラード駅まで直進する。


あまりパリの雰囲気ではない、さわやかなサンマルタン運河

この運河は5年位前の真冬に、歩いてみて回ったところだ。ずっと昔の映画の舞台で有名な「北ホテル」というのがあるのだが、私はその映画も小説も読んでいないので、特に思い入れはない。スタリングラードのロトンダまで到達し、そこから先の広くなった運河をチラッと見て、こんどは地下鉄2号線の線路に沿ってモンマルトル方向を目指す。

この道(地下鉄)は環状にパリ中心街の外周をまわっているので、おそらくかつての城壁の跡(フェルミエー・ジェネローの城壁)を利用したものだろう。(最外周の高速道路が、もっとも近代に近い時代に造られた城壁の跡で、いまは新しくできたトラムが走っている)

東駅から出た鉄道の線路をオーバーパスする橋の手前で自転車をいったん返却し、再度借りる。30分を越さないためのテクニックだ。ここから、北駅の鉄道の線路のオーバーパス付近まで、黒人が路上販売をしていて大量の人が地下鉄の高架下に群がっている。どうみても、新品とは思えないような服や雑貨を地面に並べて売っているが、買う人もそれを気にしている雰囲気はない。

大阪でいえば、新今宮(西成区)の露天商みたいなものか。新今宮では生活保護で無料でもらった精神安定剤や睡眠薬などを大量に横流しして売っていたり、期限が切れたコンビニ弁当などの中食を売っていたりと、これも買う人が気にしなければ商売が成り立つ。

モンマルトルに近づくと、謎の黒人フリーマーケットの景色から、観光客向けのセックス・ショップに沿道の景色が変わる。モンマルトルのふもとで自転車を返し、坂を登る。

サクレ・クール寺院の下まで来ると、写真撮影スポットの延々と続く階段がある。昨日、警官が窃盗犯の黒人を取り締まっていたところだ。今日は警官がいないので、黒人が一列に並び、観光客を狙う阻止線を張っている。どう見ても、これは脅迫だろう。ものを売りつける態度ではなく、確実に観光客を圧迫し、脅迫している。

移民政策や人道主義に賛成する人は、こういう光景を見てどう考えるのだろう。あきらかに、「フランス人種」(古代ローマ的に言えば、ガリア人)ではない、アフリカ人がたむろして犯罪寸前の行為を公然と行っているのは。

かつて、古代ローマ時代には、ローマ市民になったアフリカ人(マグレブ地方のマウレタニア人も含む)や中東の人、あるいはガリア人などは、ローマのしきたりに習いその文明を尊重したそうだ。もちろん、それを受け入れる寛容な(クレメンティア)ローマ市民の立場もあったから、最大の文明圏を作れたのだろう。

今のヨーロッパやアメリカを見ていると、外国から受け入れた移民はそれぞれが自己の文化や風習を主張しすぎて、その国の一員になるという義務を果たしていないように思う。単に、経済的恩恵を受けたいがためと主張する反対派の論者の意見は、かなり説得性があると思う。


ムーラン・ルージュ


天気が良い日のサクレ・クール寺院

サクレ・クール寺院の前を通り、給水塔、ムーラン・ド・ラ・ギャレットなどの横を通り過ぎて、再び坂を下る。途中、中華料理店があったので昼食。メニューが7.8ユーロ。ヴォルテールで昨日食べた中華料理店はメニューが6ユーロだが、こちらはサイドメニューが1皿ついて1.8ユーロ高い。

■ ブランシェ → シャルル・ド・ゴール・エトワール → パレ・ロイヤル (メトロ M2,M1,乗車券 1.8ユーロ)

地下鉄で、ルーヴル美術館へ向かう。最後の時間調整で美術館。駅を降りて、まず入場口のあるガラスのピラミッドのところへ。猛烈に長い行列ができている。1時間くらい… 並ぶのだろうか。そんなアホらしいことはしていられないので、ガラスのピラミッドの下の地下街に別の場所から入れる場所であるカルーセル・ド・ルーヴルの入り口から入る。切符は、ここの隅にあるタバコ屋に売っているのは、地元の人は知っている公然の事実だ。(看板には、ミュージアムパス販売中と書かれているだけ)

タバコ屋なのでクレジットカードは使えず、現金で入場券を購入。1枚15ユーロ。

美術館に入場し、やたら混雑しているイタリア絵画をパスし、古代ギリシャと古代ローマ美術を見る。皇帝ティベリウス、カラカラ、マルクス・アウレリウス、セプティミウス・セヴェルス、トラヤヌスなど、歴史をかじったことのある人ならだれでも知っている偉大な皇帝(カラカラ除く 笑)の像が「様々な像に交じって」展示してある。たいていの人は、はでなアフロディテ像とか、対象不明の像などの写真を撮っていたりする…。


皇帝ティトゥス像

そのなかでも、最も地味に展示されていたのが、元老院議員ホルテンシウスの頭部像。平民と貴族が同等の権利を持つとされるホルテンシウス法を作ったディクタトールだ。

ナポレオンの部屋とか、ルイ15世の部屋とか、いままで4~5回ルーヴルに来たことがあるが、初めて見る部屋があった。広すぎて、自分が今どこにいるのかすらわからない美術館はここだけだ。

16時過ぎ、美術館を後にし、地下鉄でバスティーユ広場に戻る。

■ パレ・ロイヤル → バスティーユ (地下鉄 M1,乗車券 1.8ユーロ)

バスティーユ広場の近くで自転車を借り、ヴォルテール広場へ。歩いても10分も掛からないが、自転車のほうが楽だ。昨日食べた中華料理屋で夕食。6ユーロのメニューに1.5ユーロの水。その後、近くにイタリア風の切り売りのピザ屋があったので、1つ食べてみる。重さをはかって売る形式で、1枚5.2ユーロと結構高い。イタリアとフランスの物価の差だろうか…

17時30分、ホテルで荷物をピックアップして、地下鉄とRERを乗り継いで空港へ。

■ ヴォルテール → オーヴェルカンプ → 北駅 → CDG2 (M9,M5,RER-B,運賃10ユーロ)

空港に着き、昨日ネットでちえっくインした情報通り、第二ターミナルへ。エミレーツのチェックインカウンターは、18:50から開くとされているが既に長い行列が出来ている。行列の末端にいるエミレーツの職員に、スマホの画面に表示される搭乗券を見せると、念のためにパスポートの登録を確認するから、「向こうにある」カウンターに行けという。そちらには誰も並んでいない。ドバイ空港のミールバウチャーを発行してくれた上、紙の搭乗券も念のために印刷してくれる。

なぜか、私の後ろに大量の中国人が行列している。が、私が去った後を見てみると、ちゃんと長い行列に並べと追い払われていた。爆買の荷物を預けるなら、長い行列に並びなさいということだ。

この書き込みは空港から

■ パリ シャルル・ド・ゴール空港 21:50(予定)→ ドバイ空港 翌06:30(予定)

2015/09/22

9月22日 パリ、シャンティイ

9月22日(火曜日)

天気予報は雨。朝起きた時はまだ曇っていた。


パリの天気予報


パリ付近の気象レーダー(午前7時ごろ)


ヨーロッパの気象衛星画像


昨日買っておいたパンとヨーグルトを部屋で食べてから、観光に出かける。泊まっている所のすぐ近くのヴォルテール広場にある貸自転車(Velib)スタンドで自転車を借り、モンマルトル方向に向かって走り出す。スマートフォンのGoogleMapナビを確認すると、反対方向に走っていて時間を少しだけロスした。まず、共和国広場近くのサン・マルタン運河の起点あたりへ。ここで自転車をいったん返却し、共和国広場に向けて歩く。

共和国広場の第三共和政モニュメントは、見事に落書きだらけ。去年、風刺画を掲載する新聞社が襲撃されたときに、大きな集会が開かれたのがこの広場だったと思う。共和国広場からサン・マルタン通りをしばらく行くと、作曲家ヨハン・シュトラウスの胸像がある。あと少し行くと、太陽王ルイ14世の凱旋門であるサン・マルタン門がある。中世の城壁のあったところに造られた門だが、城壁は周囲には残っていないようだ。

東駅付近で自転車を借り、マゼンタ通りをまっすぐ北西へ、地下鉄2号線の高架橋があるところで左折。そこから緩やかな坂道を登っていくと、ムーラン・ルージュの風車があるブランシェ駅のところまで来る。ここで自転車を返す。キャバレーのムーラン・ルージュは画家ロートレックのポスター画で有名。


モンマルトルに残っている2基の風車のうちの1基
ムーラン・ド・ラ・ギャレット

雨が降ってきた。傘をさして、ブランシェ駅のところからモンマルトルの丘を登る。坂道の突き当りに、かつて13基あったパリの風車の中で残存する2基がある。こちらの風車は、ルノワールの絵画で不朽の観光地となっている。このあたりから、モンマルトルの周辺の観光地の間は、少しお金持ちそうな住宅地となっている。

20年近く前に一度来たことがあるが、もう記憶のかなたなので、もう一度サクレ・クール寺院を見学する。19世紀末にフランス第三共和政を記念して造られたものなので、(昨日見たパンテオンと同じく)歴史ある教会というわけではない。


サクレ・クール寺院

サクレ・クール寺院の前の階段を下りる。途中で、何人もの警官が黒人数人を追いかけて捕まえていた。スリの現行犯逮捕だろうか。マウンテンバイクに乗った警官まで動員して、すばしっこく逃げる何人もの犯行グループを一網打尽にするのは大変そうだ。せっかく、苦労して逮捕しても、スリ程度なら大した罪にならずすぐに再犯を繰り返しているのだろう。軽犯罪でも重犯であれば、重罰にするくらいじゃないとダメでしょうね。

■ アンヴェル 10:57発 → スターリングラド → オフェルカンプフ → ヴォルテール 11:20着 (メトロ M2,M5,M9)


スターリングラド駅のメトロM2号線

アンヴェル駅から地下鉄に乗り、いったんホテルのあるヴォルテールに戻る。中華料理屋で6ユーロ メニューを購入しホテルに持ち帰って食べる。

午後、雨も止んだようなので、ルーヴル美術館を見に出かける。

■ ヴォルテール → ナシオン → パレ・ロイヤル (メトロ M9,M1)

パレ・ロイヤル駅とルーヴル美術館は地下通路でつながっていて、通路にはたくさんの店が入っている。観光客でいっぱいだが、美術館は休館のようだ。なぜ、休館日にこんなにたくさんの観光客が来ているのか不思議だ。

これといって予定がないので、1時間以内に行ける観光地を考えてみる。そういえば、シャンティイの城を一度も見たことがなかったので、行ってみることにする。スマートフォンで時刻表検索すると、13:49にパリ北駅から列車が出るようだ。再び地下鉄に乗り、北駅へ。

■ パレ・ロイヤル 13:07発 → ポアショネア 13:17着 (メトロ M7)

メトロ M7線は北駅にはいかないので、近くにあるポアショネア駅で降りる。20年ほど前にパリに来たときは、この駅の近くのホテルに泊まったことがある。

■ パリ北駅 13:49発 → シャンティイ 14:15着 (急行列車 ter,2等運賃 8.7ユーロ)


パリ 北駅

北駅発の急行列車は、超大編成のわりにお客さんが少ない。北駅の正面入り口から遠い先頭車両付近は、1両に数人しか客が乗っていない。列車はRERの線路と並行して走っている。おそらく、RERは各駅停車なので時間がかかるのだと思う。雲の切れ間から太陽が時折出てくる。このまま天気が良くなってくれればいいのだが。

シャンティイ駅に到着後、GoogleMapのナビで城を目指す。地図上では、およそ2㎞ほどあるようだ。駅と城の間には、競馬場と厩舎がある。こちらは後で見ることにして、まずお城へ。


シャンティイ城


シャンティイ城 絵画展示室

池に浮かぶような城の景色を撮影しようとするが、あいにく曇ってきた。まず、城に入場して中を見学する。入場料は、厩舎の見学も併せて16ユーロ。15世紀から16世紀に建てられた城で、内部は膨大な絵画が飾られている。昔の領主はよほど絵画が好きだったのか、絵画を飾る場所が足りなくなるくらい購入してしまい、壁一面に絵画を並べて展示している。つまり美術館としては、建物の大きさのわりに、見るべき絵画が多いということだ。パリから電車で30分(1~2時間に1本)、駅から歩いて30分とちょっとだけ不便なので、それほど客数も多くはなく、のんびりと中を見学できる。

城を出ようかと思ったとき、外を見ると豪雨。しばらく雨宿りに城内にとどまる。吹き降りの雨の中を、広大な城の庭を見学している人もいる。そこまでして見物しなくても…。
30分ほどしたら雨が止んだ。城の少し高くなったところから、幾何学的に池を配置した庭をチラッと見る。のんびり庭を散歩していたら、帰りの電車の時間を逃してしまう。次に、競馬場横の厩舎に向かう。厩舎の中は小さい区画に分かれたところに沢山の馬が飼われていて、ちょうど乾草の餌を与えられているところだった。お客の数が少ないので、実際に飼育している本物の厩舎を見物できる珍しいところだ。まだ子供の馬もいて、調教師の人が1匹ずつ連れ出して「散歩」させていたりする。

厩舎のすぐ横にある競馬場は作業用の入り口が解放されていて、なぜか馬が走る芝生と土のコースの中を歩いて、競馬場の真ん中あたりまで行くことができる。テレビで日本の競馬を見たことがあるが、競馬場がこれほど広いものだとは思わなかった。この競馬場は1834年に初レースが行われたフランス最古の競馬場らしい。(Wikipediaによる)


競馬場の芝コース(手前)と調教場・厩舎(奥の建物)


厩舎の馬の食事の時間

■ シャンティイ 16:58発 → パリ北駅 17:25着 (急行列車 ter,2等運賃 8.7ユーロ)

シャンティイを出た急行列車は、大雨の地域を通り抜け、雨が止んだばかりのパリに戻ってきた。地下鉄に乗り、ヴォルテール広場のホテルに戻る。

■ 北駅 → オーフェルカンプフ → ヴォルテール 17:46 (メトロ M5,M9)

夕食も、ホテルの近くにある中華料理屋で6ユーロのメニューと、個別にブロッコリーの炒め物を購入。9.12ユーロ。ヴォルテール駅の出口の前に、毎日特価品だけを売る雑貨店があり、ちょうどオーストリア製のウエハースが1パッケージ0.4ユーロと安かったので、1ダースの箱ごと購入。たぶん、賞味期限があと2か月だから現金問屋に放出されたものだろう。(この国でも、消費期限の3分の1ルールがあるのかな…)

■ ホテル・ロイヤル・オ・マッド 14号室 (1泊 47ユーロ)

2015/09/21

9月21日 パリ

9月21日(月曜日)

屋外の最低気温は20℃くらいのはずだが、西日で温められたホテルの部屋の温度は、夜中でも27℃以下にはならず、暑くて寝苦しかった。5時30分過ぎに起きて、スーパーで買ったパンとハム、リンゴで朝食。6時30分、部屋の鍵をドアに挿した状態にして「チェックアウト」し、駅に向かう。

空港行きの7時発のバスは、「リド・ディ・イェーゾロ」行きとバスの正面の行き先表示器に表示している。どこか遠くの町に行くバスが、たまたま空港に立ち寄るので、空港バスと銘打っているだけなのだろう。途中のバス停から、通学の高校生が乗ってきて、ほぼ満員状態で空港に到着。

シェンゲン条約国内の移動なので、パスポート検査はなし。空港に着いて、10分後には搭乗口のところに到達した。出発の2時間前だが、まだ誰も乗客はやってきていない。シェンゲン条約国内なら、1時間前でよさそうだ。

■ ヴェネツィア マルコ・ポーロ空港 09:30発 → パリ オルリー空港 11:00着 (EasyJet 4292便,ネット予約)

パリ行きの便は満席。今回は、格安便なのに座席指定がある。ヴェネツィア空港を離陸した飛行機は、ヴェネツィアの島の周囲を大きく旋回して、北イタリアを横断し、スイス・アルプスを通過してフランス方向へ。ずっと天気が良く、アルプスの山々がはっきりと見えた。


ヴェネツィア空港にて


離陸直後に見えたヴェネツィア周辺の景色


スイスアルプス付近を越える

オルリー空港に到着し、まず、トラムの駅を探す。空港正面出口に出てしまうと、いきなりバスの停留所のところに来てしまう。トラム駅への表示を、わざとわかりにくく出しているようにも思える。トラムとメトロを乗り継いでパリ市内まで行くと、市内切符2枚(1.80ユーロ×2枚)だけでよく、最安値で移動できる方法だ。それに、所要時間も短い。

長い地下通路を通って、駐車場に行く途中にトラム駅がある。市内のトラムや地下鉄駅にある券売機が1台あるだけで、たぶん旅行客が使うことは予想していないのだろう。数年前に購入した回数券の余りを持ってきていたので、それを使ってトラムとメトロに乗車する。(回数券に有効期限は書いてないので、たぶん、今の切符のシステムが変更されるまで使えるのだろう)


オルリー空港南ターミナル駅のトラムT7の駅

■ オルリー空港南 11:38発 → ヴィルジュイフ 12:09着 (トラム T7,運賃 1.8EUR)
■ ヴィルジュイフ 12:28発 → イタリア広場 乗り換え → ブレケット=サビン 12:40着 (メトロ M7 → M5,運賃 1.8EUR)

トラムは、空港周辺に造られた新しい工業団地の中を走っていく。こんな場所だから乗客の乗り降りは少ないのかと思っていたが、以外にも途中で乗客の乗り降りが頻繁にあり、終点のヴィルジュイフ駅に到着するころには車内が満員になっていた。

新しくできたトラムなのに、起点駅での地下鉄との乗り換えは、階段を上り下りさせる効率の悪さだ。同一のプラットホームで乗り換えるようにするか、プラットホームを完全に上下に作って移動距離を最短化するか、というのが最近の鉄道駅の工事の定石なのに、欧州の鉄道会社はそういうことは考えないのだろう。


メトロ5号線 イタリア広場駅

M7とM5の地下鉄を乗り継ぎ、予約したホテルの近くのブレケット=サビン駅で下車。駅から地上に出ると、すぐ南にバスティーユ広場の7月革命塔が見えている。駅からホテルまでは歩いて5分くらいだ。途中、カルフールのコンビニがあったので、昼食のサンドイッチとミネラル水を買う。

■ バスティーユ 13:55発 → イタリア広場 14:02着 (メトロ M5,回数券,1枚1.8EUR)

ホテルにチェックインし、荷物を置いて観光に出かける。今回は、シテ島のノートルダム寺院から、まっすぐ真南へ、パリ市街地の端までを踏破してみようと思う。まず、イタリア広場駅まで地下鉄で向かい、広場にある貸自転車ベリヴを借りる。30分以内に市内至る所にある貸自転車ステーションの機械に差し込んで返却すれば、基本料金の1.7ユーロで1日乗り放題状態だ。


ポール・ヴォルレーヌ広場付近

住宅街の中にあるポール・ヴォルレーヌ広場をまず目指す。20世紀初めに造られた市営プール(ヴュット・オ・カイユ)の跡地があるところだ。そこから、カフェやレストランが並んだ通りの坂道を下る。石畳の道なので自転車ではつらいものがある。地下鉄の高架橋があり、軌道がカーブしたところにコルヴィザール駅がある。駅の下を潜り抜けて、さらに坂道を下っていくとルネ・ル・ガル公園。昔、ゴブラン紡績工場があった跡地に造られた公園だそうだ。地下鉄7号線のゴブラン駅前には、工場跡地の一部を使った紡績博物館がある。公園の周囲は高層アパートに囲まれていて、フランス庭園となった場所の中央には妙なオベリスクが建っている。

さらに坂道を下っていくと、谷底となった場所に改修工事中の聖メダー教会がある。この教会の前から、パンテオンの裏手までが(月曜を除く日に)露店市が出るムフタール通りだ。今日は月曜なので、露店がなくすっきりとしている。この谷底当たりに、かつて古代ローマ時代の幹線道路跡が発掘されたそうなので、ここがかつてのパリ(当時の名前はリュテス)の中心部だったのだろう。


屋台が並んでいない月曜のムフタール通り

ムフタール通りから少し西へ行くと、1世紀ごろに造られたリュテス円形闘技場跡公園がある。復元されきれいに作り替えられた観客席が一部だけあるが、実際は建物の外形がわかる程度にしか残っていなかったようだ。円形闘技場から先ほどのムフタール通りに戻る途中には、フィリップ・オーギュストの城壁の残骸が立っている。中世のパリの歴史で、最初のほうに建てられたものだそうだ。


リュテス円形闘技場


中世初期に造られたフィリップ・オーギュストの城壁跡

ムフタール通りを通り越し、その向こう側にあるパンテオンを見に行く。ローマにある、アウグストゥスの右腕だったアグリッパが建てた「パンテオン」ではなく、パリにあるのは19世紀に建てられたフランスの偉人の墓所として建てられたものだ。哲学者ヴォルテールやルソー、作家ビクトル・ユーゴーなどの棺が地下のクリプトに置かれている。


パンテオン


パリ大学(第1・第2大学 パンテオン校舎)

自転車でバスティーユ広場まで戻り、通りの中国料理屋でおかず2品と焼きめしを買う。12.15ユーロ。久々のご飯食なので、値段が高いのは目をつぶろう。

■ ホテル・ロイヤル・オ・マッド 14号室 (1泊 47ユーロ)