2010/09/30

9月30日 ブダペスト、ヴァーツ

2010年9月30日(木曜日)
ブダペスト、ヴァーツ

■ ブダペスト


天気予報。気温が日本の冬のようだ…


朝起きて外を見ると、快晴。昨日のように、曇ってこなければよいのだが…。大学の宿泊所での朝食7時30分より。8時、大学のキャンパスを横切ったところより、トラム6系統に乗って西駅(ニュガティ駅)へ。通勤通学の時間帯なので、トラムの車内も道路の自動車もさすがに混雑しているが、トラムの敷地に自動車が入ってこないので、トラムは時間通りに走っているようだ。

西駅、以前来た事あるような…。ブラチスラバからの列車が、確かこの駅に着いたときに来た事があったような気がする。切符売り場へ。ヴァーツまでの往復切符(1280フォリント)を買って、少し時間があったので国会議事堂のほうへ。

以前、この辺りの貸し部屋に泊まった事があるので、地理感は大体つかめている。国会議事堂の前にはたくさんの観光客が行列を作っている。見学ツアーの行列だろうか。

西駅に戻る。名前が"西駅"なのに、ブダペストの北の方の地区にあるし、列車の行き先もスロバキアのブラチスラバ方面なので北方向じゃないのかなぁ。西へ行く列車は、南駅(いまは迂回線を通って全て東駅に集約されているが)に到着しているので、どういう基準で、"西"駅としたのか不思議だ。 9時7分の、快速列車に乗る。 ヴァーツ方面へは1時間に3本程度の列車があるが、そのうち1本が快速で所要時間が20分。他の列車は40分。

スロバキアとの国境までの半分の距離のところがバーツの町になっていて、快速列車はノンストップでそこまで走る。途中、大きな鉄道車両の工場があり、中古の"イタリア鉄道の客車"が大量に置かれていた。最新の近郊列車はドイツのシーメンスから購入し、長距離列車用の車両はイタリア鉄道の中古を化粧直しして使うのだろうか。まあ、ヨーロッパの客車は頑丈にできているから、化粧直しすれば古くても使えるのだろう。そういえば、ギリシアとか、ルーマニアとか、モロッコとか、辺境地に行くにしたがって中古の度合いがひどくなっているのは、中古でも新しそうなのは値段が高いのだろうかね。

■ ヴァーツ

ブダペスト西駅から30分弱でヴァーツ駅に到着(ブダペストから34km北にあるらしい)。まだ晴れている(快晴)。駅を出てドナウ川の方向へ10分ほど歩くと、露天市場がある。野菜屋が多くて、肉屋が少ない。ハンガリー人の料理は、野菜の割合が多いのだろう。(肉屋が半分以上という国もあった) チーズやヨーグルトを売る店が目立たないということは、乳製品はそんなに採らないのかな。


三位一体のモニュメントとピアリスト教会


三位一体のモニュメントの横を通り過ぎて18世紀に建てられた大聖堂へ。大聖堂を取り囲んでいる公園の周回道路を、女子高校生が体育の授業か何かで走らされている。大聖堂の中は町の規模に比べてやけに広く、豪華なフレスコ画や油絵で飾られている。Wikipedia英語版によれば、大聖堂はローマのサンピエトロ大聖堂(カトリック総本山)に模してデザインされているそうだが、ぜんぜん似てないよ…。




再び旧市街の中心へ。境界をはさんで、露天市場と中央広場がある。中央広場の周囲はバロックの1棟ごとに色を変えているカラフルな建物に囲まれている。ざっと見たところ、観光客は皆無。中央広場の真ん中には、かつての境界の跡が遺跡として保存されている。


中央広場に面したカラフルな色の建物


さらに北へ向かうと、(本物の)刑務所があって、その横にマリア・テレジアのために建てられた小さな凱旋門がある。ハンガリーで凱旋門を見かけたことはないので、珍しい部類に入るんじゃないだろうか。(そもそも、この国が、外国との戦争に勝って凱旋したということがないと思われる)

刑務所の横の道をドナウ川のほうへ。(刑務所の)監視塔があり、その横に旅客線乗り場がある。事務所の窓はシャッターが下りたままで、本当に運行されているかどうか分からないが、看板には1日1便ずつがブダペストとブラチスラバ方向へ行くらしい。何のためにそんな遠くへ船で? 電車の方が速いでしょう…。


ヴァーツの西側を流れるドナウ川


ちょっと下流に対岸へわたる客船が停まっている。こちらは、30分に1本あると看板に時刻表が掲示されている。対岸は、森があるだけで何もないようだけど、渡し舟に需要あるのかなぁ。ちょうど出発する渡し舟には、白い自動車が1台載っていただけだった。11時30分の列車でブダペストに戻る。

■ ブダペスト

工業大学の食堂へ。学生用の"安さが売り"の食堂ではなく、教員が来るちょっと高級タイプの食堂。確かに、日本の大学でもこの手の"ちょっと高級な"生協食堂があったと記憶している。電光掲示板にはメニューが690フォリントと790フォリントの2種類あるらしい。カウンターに並んでいるおかず類を適当に注文して、1皿に収まればよしということらしい。教員や学生が食べてるのを見ると、スープというか、シチューの需要が高いようだ。飲み物は、テーブルの上に置かれた水瓶から"水道水"を飲むらしい。私も飲んでみたが、まあ、ドナウ川の水なのにそれほどまずくはない。

さて、観光と思ったが、ブダペストに来るのは3回目(くらいだったかな)なので、一通り観光地は巡ってしまっている。ということで、超B級観光地の、共産主義時代の石像を集めた博物館へ行くこととする。観光局で無料で配っているブダペスト地図に行き方が書いてある。トラムの19、49系統のコスツトラニ・デッセで降りて150系統バスに乗り換える。バスは20分に1本あるようだ。ブダペストの市境界ぎりぎりのところ、バスで30分ほどのところに博物館はあった。正式名称は、メメント・ミュージアム。入場料1500フォリント。


メメント公園のレーニン像





共産主義が崩壊して、撤去されてきた銅像が展示されている。ナチス時代のもの、共産主義時代のもの、こういうのを展示して客がくるんだから、全体主義や共産主義には観光目的としての魅力があるのだろう。

(日本にあるハウステンボスのようなありふれたものではなく)ナチス村とか共産主義国家村とか作れば、観光客を集めれるのは間違いなしでしょう。



夕日を受けてオレンジに染まる国会議事堂



鎖橋の夜景(日没直後)

2010/09/29

9月29日 エゲル

2010年9月29日(水曜日)
ブダペスト、エゲル

■ ブダペスト

朝起きると、今回の旅行で初めて"晴れて"いた。7時30分、ブダペスト工業大学宿泊所の食堂で朝食。9時33分にブダペスト東駅から乗る列車の時間に間に合うように、のんびりと宿泊所を出て、(まだ学生がほとんど登校してきていない)大学構内を横切り、ペトゥーフィ橋の袂からトラム6系統に乗って市内中心部へ。

途中、緑色のモザイクタイルで表面が覆われている奇抜なデザインの教会風の建物があったので降りて見てみる。市内地図によれば、工芸美術館とのこと。本『旅名人 ハンガリー』によれば、この緑色の屋根などは、ペーチのジョルナイ工房で焼かれた陶器で、ハンガリーの"アールヌーボー"様式だということだ。ジョルナイといえば、一昨日にペーチにあった噴水が、このジョルナイの陶器で作られていて、不思議な緑色の光を放っていたことを思い出した。

途中で、トラムから地下鉄に乗り換えて東駅(ケレティ駅)へ。9時33分の列車は東駅を出て、ハンガリー東部を巡って、再びブダペストの西駅へ戻ってくるという妙なコースの列車だ。駅の行き先表示板には、"ブダペスト西駅行き"と表示されている。

今回の列車(インターシティ)は9時33分ちょうどに出発。ひたすら平原が続く中を、(インターシティが停まるような町が無いために)1駅も停まらずに1時間30分でフューズサボニー駅に到着。ここでエゲル行きのローカル列車に乗り換える。


どこまでも続く平原(ブダペストとフューズサボニー駅間



平原を走る鉄道。どこまでも一直線の線路


■ エゲル

11時30分、エゲル駅到着。駅の切符売り場に貼り出されている町の観光地図には、駅が載っていない。手書きで、こっちが駅のような落書きのようなものが書かれている。ま、とにかく、駅の正面を出て真っ直ぐ歩いていくと、大きなロータリーがある。自動車用の標識に、"CENTER →"とあるので、そちらへ行くと、10分ほどでオレンジ色の大聖堂が見えてくる。

地球の歩き方の地図では、この大聖堂の位置が最大掲載範囲になっている。このガイドブックはツアー客向けだろうから、駅を掲載しなくても誰も困らないのだろう。(個人旅行客は、GoogleMapにGPSで現在地表示させるような端末を持って行けということになるんだろうか…)


エゲル 大聖堂


大聖堂は有料のオルガンコンサートがあるらしく、中へ入るのは後ほどにする。旧市街中心部へ。平日だけど観光客(?)が歩いている繁華街があり、そこを抜けると野菜売りが目立つ中央市場がある。ハンガリーといえば、調味料のパプリカを思い出すが、あれは観光のお題目なのだろうか…。ほとんど売っているのを見かけない。アラブ世界では、露天市場にはパプリカの乾燥させた奴などを軒先につるして売っているのをよく見かけるのだが、アラブがパプリカで有名とは聞いたことないし。この辺りは、ハンガリーの商売のうまさ(観光のお題目つくりのうまさ)なのかもしれない。


エゲル旧市街の繁華街 セーチェニ・イシュトバーン通り


旧市街中心の、ドボー・イシュトバーン広場までやってくる。広場の名前になっているドボー・イシュトバーンの銅像が城を背景に立っている。振り上げている刀は、どことなくオリエント風の弧を描いた剣。


ドボー・イシュトバーン像


Wikipedia日本語版では、"赤ワインの生産で有名"とか、ハンガリーの歴史で重要なことを全てすっ飛ばして食い物のことしか書いていない欠陥記事になっているが、英語版にはちゃんと書いてあるので、英語版を読む。『エゲル城、温泉、ミナレットに代表されるオスマン建築と赤ワインで有名な町。オスマン・トルコがハンガリーを占拠したときに、ハンガリー側の最前線となって、ここに篭城したドボー・イシュトバーンが有名… 云々』となっている。ハンガリーの中では、相当有名な史実らしいが、日本人の私はぜんぜんこういう歴史を知らないもので…。

なにわともあれ、歴史舞台の中心となった城へ。旧市街中心の広場から、観光客向けの店が並んでいるイシュトバーン通りのゆるい坂を上っていくと、城門がある。入場料1800フォリント。入場券売り場の横に"ガイド"のオッサンが居て、盛んに営業活動してくるのがうざい。1800フォリントも払ってんだから、観光客に許可も得ずに話しかけてくる輩くらい排除してくれよ。


エゲル城の城門


1重の城壁に囲まれている城は、これでよくぞオスマン帝国に対抗できたものだと感心する。以前、ギリシアのロドス島の旧市街の壁を見たことがあるが、あちらは2重の鉄壁の城壁だったが、それでも2回目の総攻撃で敗退して、騎士団はマルタ島へ逃げたくらいだ。ハンガリー辺りまで来ていたオスマン軍は弱かったのか、もしくはドボー・イシュトバーンが相当な運の持ち主だったのかのどちらかなのだろう。

このあたりの歴史的遺物を展示した展示館が場内にあって、見学できる。

天気予報では「曇り時々晴れ、時々雨」みたいななんでもありの天気予報になっているのだが、案の定、雨がぽつぽつと降ってくる。ミナレットを見てから、旧市街の中心のマクドナルドで昼食。

14時過ぎ、駅に戻る。この時になって、雲が切れて青空になってくる。運が悪いとはこのこと…。14時33分、ブダペスト行きローカル列車に乗車。4駅目のフューズサボニー駅で下車し、インターシティに乗り換え。案の定、インターシティは20分も遅れてやってくる。


20分遅れで到着するインターシティ


エゲルから乗ったローカル列車もブダペストへ行くのだが、結局、このローカル列車とインターシティはほぼ同時にブダペスト駅に到着することになる。インターシティの値打ちないなぁ…。

■ ブダペスト

東駅よりバスとトラムを乗り継いで、大学近くまで戻る。この辺りは、安い食堂やら、学生向けの店がたくさんあって生活コストが安くできている。で、またもや中華料理屋に入って、中国語で注文してみると、食べきれないほどの量が出てくる。(焼き飯だけしかないと思っていたら、中国語でパイファン(白飯)と注文すると出てくるという謎なシステム…)

旅行を始めて1週間程度になるため、ズボンの状態がヤバくなってきた。洗濯屋に行き(コインランドリーだけど、なぜか管理人のおばちゃんが居たりする)、洗濯(800フォリント)乾燥(300フォリント12分)とする。ズボンとか、手で洗うより遥かに楽。

部屋に戻り、たまっている動画をYouTubeにアップロードしてみる。大学のインターネット接続速度は結構速いみたい。夜だから、利用者が少ないからかなぁ。

2010/09/28

9月28日 ブダペスト

2010年9月28日(火曜日)
ペーチ ~ ブダペスト

■ ペーチ

朝起きて、窓の外を見ると、すごい霧が出ている。泊まっているホテルは、ヒーターが入っていなかったが、寝てるときにそれほど寒くなかったということは、外気温はそれほど下がっていないのだろう。天気予報では最低気温は10℃位といっていた。

8時、朝食を食べてからチェックアウト。1泊7250フォリント(約2900円)。8時25分、1時間に2本しか走っていない40系統バスに乗り、駅へ(2本しかない割りに、定刻より3分も早くバス停にやって来た…)。

ブダペストまでのインターシティの切符を買う。4250フォリント(1700円)。2時間に1本しか走っていないインターシティだが、全てがボスニア方面への国際列車というわけではないようだ。今回乗った9時23分発の列車は、ペーチが始発だ。昨日まではぜんぜん気づかなかったが、どうも座席指定のようだ。インターシティの切符には車両番号と座席番号が入っているが、ハンガリー語だけで絵文字も書かれてないので、外国人には分かりづらいものだ。


車窓から見る畑は、いたるところが水没している




気象衛星写真ではハンガリー辺りが雨と晴れの境界か…



ブダペストへ向かう車窓、畑や放牧地のかなりの場所が水没している。テレビのニュースでも、道路が水没して車が走れないというようなことをやっていた。豪雨というほど降ってはいないと思っていたが、この国では昨日までの雨が"豪雨"なんだろう。その雨のせいかどうかは知らないが、前回に続いて15分程度遅れてブダペストに到着。

■ ブダペスト

曇っている(雨は降っていない)。ブダペスト・ケレティ駅を降りて地下鉄駅へ行こうとしたが、工事中で地下道が閉鎖されている。工事多いねぇ…。ブダペストの工事は、地下鉄4号線の新設工事らしいけどね(2年後に完成予定らしい)。いったん駅舎の外へ出て、地下鉄駅へ。72時間切符を買う(3850フォリント)。地下鉄駅には改札口は無いけど、全ての出入り口に鉄道会社の社員が立って、切符のチェックをしている。いまさら、人海戦術で改札するよりも、ICカード(ヨーロッパで普及しているのはオランダのフィリップスが作っているMIFARE方式)を導入したらいいのに。

今日泊まるところは予約しているのだが、チェックインが14時からと決まっているので、それまでに昼食でも食べようと市街地中心のデアーク広場へ地下鉄で向かう。マクドナルドのセットメニューの半額で食べられる、中華料理の店へ。焼き飯(最近は白いご飯じゃなくて焼き飯になっている店が多い)の上に野菜炒めのような八宝菜のようなおかずをかけてくれるタイプのもので680フォリント(280円)。


ブダペスト工業大学



宿泊所の部屋。寝室からしたの階を見下ろす



トラムを乗り継いで、ブダペスト工業大学へ。今日泊まるところは、大学の宿泊所。10年以上前に、このあたりに泊まった時に大学の位置は確認済みなので、すんなりと発見できた。そういえば、宿泊所の隣にちょっと高級な学食(セットメニューが700フォリント弱)があったので、ここで昼食にしても良かったわけだ。

指定された住所のところは、学生寮。入り口で聞いてみると、学外者の宿泊所は入り口が別らしい。別の入り口から入り、学生とは別のエレベーターを使って部屋へ。1階~7階が学生寮。8~9階が宿泊所のようだ。宿泊所の部屋は全て2階建てになっていて、えらく広いつくりになっている。これで、1泊35ユーロの安さ、さすが東欧の国というところだろうか。

10分ほど西へ行ったところにあるショッピングモールへ。10年ほど前に来たときには、こんな豪華な施設は無かった。どんどん便利になってますね。モールの中のintersparで食品などを買い込む。

トラムと地下鉄を乗り継いで、再びブダペスト・ケレティ駅へ。明日、ハンガリー東部の観光地、エゲルへ行くための切符を買う。往復で5400フォリント。宿泊所の近くに戻り、中華料理屋にまた入り夕食。繁華街のデアーク広場よりも安く、580ユーロでご飯大盛状態。学生街だから安いのか、郊外だから安いのかは知らないけど、安いのに越したことは無い。

夜、鎖橋のところまでトラムで行き、ミニバスで王宮の丘に登る。夜になって晴れてきたので、夜景の撮影も日没のちょうどいいタイミングでできた。


王宮



鎖橋の夜景



自由橋を渡るトラム

2010/09/27

9月27日 ペーチ

9月27日(月曜日)
ジュール ~ ペーチ

■ ジュール

8時、ペンションをチェックアウト。さっきまで曇っていたが、少しだけ晴れ間が覗いている。駅へ。8時31分発の列車、ウィーンとブダペストの間を走っている急行レールジェットに乗る。珍しく時間通りに出発したと思ったが、だんだん遅れが蓄積していく。ブダペストに入る手前で単線になり、行き違いの列車を待ったりして約20分遅れて、ブダペスト・ケレンフェルド駅に到着。

乗り継ぐはずのペーチ行きインターシティの出発時刻が5分後に迫っている。隣のプラットホームの案内表示には、10時発インターシティのドンボルバル行きと書かれていて、"小さく" ペーチ、サラエボ方面という表示も見える。ホームの移動をせずに乗り換えられるのはありがたい。

と思っていると、"ドンボルバル行きインターシティは20分遅れ"との英語で放送が…。どうも、ほとんど全ての列車が15分~20分遅れているようだ。

20分遅れでやって来たインターシティは、到着駅別に1両~数両の車両をつなぎ合わせた列車だ。電気機関車のすぐ後ろは(一番遠い)ボスニアのサラエボ行き、その後ろにペーチ行きの車両、その後ろは良く見てないので分からないが、もっと手前の駅で切り離されるのだろうか…。


ペーチに到着したブダペスト発サラエボ行き列車


ブダペストを出発したときには晴れていたが、南へ行くにしたがって曇ってきて、ぽつぽつ雨が降り出す。辺りは霧に包まれたように、低い雲が手に届くような所を流れている。30分遅れの13時10分ペーチ到着。

■ ペーチ

ネットで予約したホテルは、値段が安いため、市街地中心から2kmほど離れている。駅前からバスが出ているが、どれに乗ってよいのかさっぱり分からないので、GoogleMapの情報に従って30分ほど歩く。

旧市街の南東部に巨大なショッピングモール(ARKAD)が、ホテルの近くにスーパー(MATCH)があるのが歩いている途中に分かった。とりあえずは、スーパーを探す必要は無いわけだ。ホテルに荷物を置いて、旧市街へ。

小さな国境の街と思っていたら、結構にぎわっている大きな繁華街があるのには驚いた。Wikipediaによれば人口15万人で、ジュールの12万人より少し大きい程度だが、旧市街の繁華街の賑わいはこちらの方が上だと思う(ショッピングモールもあるし…)。


セーチェニ広場のモスクと三位一体のモニュメント


旧市街中心のセーチェニ広場まで、ホテルからゆっくり歩いても15分ほど。1階にマクドナルドが入っている市役所、三位一体のモニュメント、オスマン・トルコ時代のモスクなどが一望できる。広場の真ん中では、コンサートをやるらしく、準備の真っ最中だ。今日は祭日か何かなのだろうか…

モスクは、現在では教会として使われているようで、丸い屋根のてっぺんに付いている(モスクでよく見かける)三日月の上に、十字架が付き刺さっている。モスクのまま観光地にしちゃえばいいのに…。中には入れないようだ。


19世紀末に再建された大聖堂



大聖堂の内部(身廊)


セーチェニ広場から西へ。4つの塔を持つ19世紀末に建てられた大聖堂がある。ここは入場料600フォリント払う必要がある。ドイツ人の団体が来ていたので、堂内のシャンデリアに明かりが点っていた。個人客ばかりだったら、堂内は大抵の場合真っ暗だから、団体はうるさいがありがたいものでもある。歴史が短いだけに、地下のクリプトは"墓場の雰囲気"があまりしない明るい地下室だった…。


旧市街城壁の砦


先ほどまでどんよりと曇っていたが、少しだけ晴れ間が出てくる。めまぐるしく変わる天気だ…。とりあえず、青空が出ている間に、一通り観光地の写真だけでも撮影しておく。
セーチェニ広場に戻ると、コンサートが開かれていた。アマチュアの出演者が出てきて、歌と踊りを披露している。アマチュアといっても、それなりに訓練されててうまいけどね。ショッピングモールへ。フードコートで中華料理(アジア料理と書かれている)の店で夕食。八宝菜みたいなのと焼き飯で660フォリント、キャベツの酢漬けサラダが220フォリント。まあ、高くも無く安くも無くという価格。


セーチェニ広場でのコンサート



セーチェニ広場でのコンサート


明日、ホテルから駅へ行くバスを試すため、駅から逆向きに乗車してみる。40系統で駅(Fopalyaudvar)からホテルの近くのバス停(Major utca)まで。切符(220フォリント)はあらかじめホテルの近くのバス停横のバーで買っておいたのを使った。バス車内では切符は売っていない模様。しかし、30分に1本とか、あまりにまばらな運行ダイヤ…。

2010/09/26

9月26日 ショプロン、ソンバトヘイ

9月26日(日曜日)
ジュール、ショプロン、ソンバトヘイ

■ ジュール

夜中にかなり雨が降っていたようで、雨が地面をたたきつける音がずっとしていた。7時過ぎに朝食を食べて、8時過ぎに駅へ。雨は上がったばかりで、雲がすごい速さで南の方へ流されていくのが見える。

ショプロン行きの列車3番線、ソンバトヘイ行きの列車3番線、どちらも8時35分発?? と駅の出発案内に出ている。3番線のプラットホームへ行くと、案内表示にはぜんぜん違う行き先を表示している。どれが本当なんだろうねぇ…。車両の連結装置をつなぐ作業員がプラットホームに居たので、ショプロン行きの車両を教えてもらって乗車。5分遅れの8時40分出発。

列車は西へ。気象衛星の写真では晴れの領域に近づいているはずだ。車窓の畑は、低いところは一面の水溜り状態になっている。
ショプロン往復の切符を一昨日に買ったが、時間が余りそうなので、ついでに他の所も寄ろうかと、Kindleをインターネットに接続して時刻表検索する(いまのところ、Kindleのネット接続は無料なのでありがたい)。ソンバトヘイに接続する列車がちょうどいい具合にあるようなので、そこへ行くことに決める。
本当に乗客が乗り降りするのか、畑の真ん中にあるような辺鄙な駅にも一つずつ停車して、9時45分にショプロン着。


Kindleで列車乗り継ぎ検索中


■ ショプロン

Wikipediaによれば、ローマ帝国時代の"スカルバンティア"という町が起源だそうだ。当時から(旧市街の)中心広場の位置は変わっていないそうだ。

駅を出る。雨が降ったためなのか、北からの空気が流れ込んだのか、結構肌寒い。駅から旧市街方向へ真っ直ぐに延びている通りを10分ほど歩く。今日は日曜日なので、沿道の商店は全て閉店している。旧市街へ入っても、もちろん商店はお休み。観光地とかそういうのは全く関係ない模様。そこらじゅうの教会の鐘が一斉に鳴り、教会から信者が吐き出されてくる。この瞬間だけ、街に人通りが戻るが、自動車などで一目散に家に帰ってしまうので、すぐにゴーストタウン状態。


火の見塔は修復工事中だった


旧市街の中心広場へ。17世紀に造られた"火の見塔"と呼ばれている時計塔と、山羊教会の尖塔に挟まれた広場の中心には、三位一体のモニュメントが建っている。ちらほらと観光客が居るくらいで、秋の観光の季節の観光地とは思えないほどの静寂さ。まあ、火の見塔はフェンスで囲まれて修復工事中だし、山羊教会の内部は床が引き剥がされて工事の真っ最中だし、観光客に来てもらう体制になっていないことは確かだろう。


中心広場の三位一体のモニュメントと山羊教会


ローマ時代からの街ということで、その当時の遺跡か何かを期待してみたが、そういうのは目立つ形の観光地としては残っていないようだ。

天気予報は「雨」なのだが、チラッと晴れ間が覗いてくれた。駅へ戻りソンバトヘイ行きのローカル列車に乗る。(この列車は、ハンガリー国鉄じゃなくて、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代に起源を持つ歴史ある GYSEV Raaberbahnという会社が走らせている。)


ショプロン駅に展示されている蒸気機関車 324-1518


11時37分、ショプロン発。単線の各駅に停車していく。途中、発電用風車が建ち並んでいるところを通る。12時45分、ソンバトヘイ到着。


列車の入り口扉を開けると、犬が二匹鎮座


■ ソンバトヘイ

Wikipediaによれば、この街もローマ時代を起源としていて、当時の町の名前はサヴァリア。ローマ帝国のパンノニア州の州都だったそうだ。

ショプロンで少し見えていた青空も、すっかり影を潜めて、どんよりと曇っている。駅を出て真っ直ぐ西へ。サヴァリア博物館のある公園の横に、泥水の濁流渦巻く小川が流れている。よっぽど雨が降ったのだろう。カルガモの親子が岸辺の木の陰に避難している。

この街もゴーストタウン状態。イスラムの食べ物"ケバブ"屋も休んでいる。中央広場に近づくと、音楽が流れてくる。露天が出て、仮設ステージでは(ハンガリーの)カントリー・ミュージックを演奏している。


中央広場のB級グルメ露天


と、とある露天を見ると、ブタを大量展示中。看板には"HUNGA PIG"とある。"HUNG A PIG"の間違いなのか、ブタを売っているのか…。親ブタだけでなく、子豚も付けて売っているのか全くの謎の露天。


中央広場での民俗音楽演奏と民族舞踊


その露天の並んでいる中央広場から、市役所を越えて南側にイシス神殿跡があると"歩き方"には書かれている。遺跡のある辺りが仮設の壁で囲われて、コンクリートでパルテノン神殿のような建物の建設真っ最中。隣の建物の階段から工事現場を見下ろすが、地面は完全にコンクリートやタイルで覆われて、どこが"遺跡"なのか分からない。これじゃあ、復元を通り越して、捏造じゃないですか…。

中央広場を再び通り抜けて、大聖堂へ。市役所は味気ないコンクリートの四角いビルだが、大聖堂の近くにある県庁舎は歴史ありそうな建物。さらに歴史ありそうな司教館と18世紀に建てられた大聖堂がある。大聖堂は、中には入れない。日曜だからなのか、いつも入れないのかは知らないけど。雨が降ってくる。土砂降り。大聖堂横のローマ遺跡公園に入る(入場料600フォリント)。モザイクタイルが残っているのを見れる以外は、復元されまくった遺跡が見れる。学術成果をもとに、コンクリートと石で遺跡を"造って"しまっては、もはや"遺跡"じゃないでしょう…。


ローマ遺跡と大聖堂の尖塔


土砂降りの雨の中、駅へ戻る。15時発のブダペスト行きインターシティに乗る。この列車は、運賃(2110フォリント)の他に特別料金(540フォリント)の切符が必要。買った切符には指定席の席番号が書かれていないので、たぶん自由席なのだろう。乗客はうまい具合に座席が全て埋まる程度の満員状態。特別料金が要らない各駅停車の半分の時間、約1時間でジュールに到着。

2010/09/25

9月25日 パンノンハルマ、コマールノ

9月25日(土曜日)
ジュール、パンノンハルマ、コマールノ

■ ジュール

7時、ペンションで朝食を食べてから、すぐ近くにある(鉄道駅南側に隣接する)バスターミナルへ。今日はハンガリー最古の建造物であり、いまから1000年前に建てられたベネディクト会 パンノンハルマ修道院へ行こうと思う。昨日、案内窓口で聞いた11番乗り場へ行くと、すでにパンノンハルマ行きバスに乗客が乗り込んでいるところだ。運転手から切符を買って(460フォリント)、バスに乗り込む。8時出発。

バスターミナルを出ると、少し線路に沿ってブダペスト方向に走る。線路沿いにLIDL(ショッピングセンター)がある。そこからまっすぐ南へ。アパートの建ち並ぶジュールの住宅街にあるバス停で次々と乗客が乗ってくる。休日なのに、バスは着席定員ぎりぎりの乗客になる。天気予報どおり曇っているが、ところどころ晴れ間が出ている。

広大なヒマワリ畑が、種の収穫が手付かずのままで放置されていたりするが、いつごろ収穫するのだろうか。30分ほどでパンノンハルマの村に差し掛かる。遠くの丘の上に修道院の塔が見える。村の中心部と思われるところを通り過ぎ、修道院からも遠ざかっていくと見えたが、丘に登るのに裏側から道路が回りこんでいるようだ。通り過ぎてしまったのかと、少しだけ焦る…

■ パンノンハルマ

8時40分、修道院の正面にバスが到着。降りた観光客は、私だけの模様。修道院の正面ゲートに行って見ると、"CLOSED"と札が出ているではないか。入り口の係員に聞くと、バスが来たほうと違う道を下っていき、そこに切符売り場があると言う。坂を下っていくと、建物があり駐車場には観光バスが停まっている。ハンガリー人の老人団体が切符売り場周辺に大量に居たりする。受付で、日本語の説明文を印刷した紙をもらう。修道院内のツアーはハンガリー語で行われるようだ。切符は1800フォリント(約720円)。

9時にツアー開始。切符売り場の建物の3階で修道院を紹介するDVDビデオを見る。入り口で"日本人"であることをさりげなくアピールしておいたので、字幕が日本語だったり…。(DVDメニューでは英語や日本語を含めて5~10程度の言語メニューがあって、その日の外国人の質に合わせて言語を選択しているようだ)
30人ぐらいのグループ2つに分かれて出発するようで、私は"年寄り度の高い"グループの方に加わる。(歩くのが遅いので、写真をとる時間が十分に取れるという魂胆)


パンノンハルマ修道院 時計塔


先に行った"年寄り度のそれほどでもない"グループが出発してから20分くらい経ってから出発。正面入り口の門を入り、中庭を抜けて、時計塔の下へ。運がよく、晴れ間が出てくる。ちょうどここで晴れてくれて、写真を撮るのに都合が良い。


パンノンハルマ修道院 礼拝堂


ツアーは時計塔の横の入り口から建物に入り、礼拝堂、回廊と進み再び建物から出て、時計塔の裏側に回りこみ図書室へ入るというコース。礼拝が行われているときには礼拝堂の見学ができないらしい(日曜と聞いている)ので、そのときは回廊と図書室だけしか見学できないのだろう。

修道士の居る区画には一切立ち入りできないので、修道士を見かけることも無い。このあたりは、ギリシアのメテオラの修道院を見学したときとの大きな違いだ。ギリシアでは修道士から直接話を聞いたり、食堂での食事に加わることもできる(観光客用の施設が無いということの裏返しか…)のだが、パンノンハルマでは見学方式がキッチリしていて修道士の手を煩わすこと無いようにツアーが組まれるのだろう。そのあたりが、ちょっと味気ないというか、残念というか…。


パンノンハルマ修道院 図書室の巨大地球儀


ツアーを終えて、土産物屋を経て外へ。駐車場やバス停と反対側の遊歩道を行くと、時計塔の下を回りこんでギムナジウム(学校)の校庭に達する。高校生ぐらいの生徒がサッカーしてたりする。ギムナジウムの横から、村の方へ降りてゆく急な坂道が分岐している。どんどん歩いてゆくと、10分ほどで村に出る。村の方は観光地じゃないので、もちろん先ほどの団体客はこちらの坂を下りてくることは無い。でも、ここからみる修道院の景色が一番良かったりする。


パンノンハルマ村中心から見た修道院



■ ジュール

11時10分に修道院からジュールへ向かうバスが村のバス停に来たので、乗る。運賃は来たときと同じく460フォリント。11時40分ごろジュールのバスターミナルに到着。バスターミナルの横にあるギロス屋でギロスを食べる(ギロス690フォリント、ペットボトルのアイスティー290フォリント)。"ケバブ"でなくて、マイナーなギリシア語の"ギロス"を使うあたり、かつてオスマン・トルコに占領された歴史からイスラム自体が嫌いなのだろうか…。

さて、せっかく出てきた晴れ間も、南から雲が近づいてきてうす曇になりつつある。駅に行って、コンコースの時刻表を眺めてみる。雲から遠ざかる方向で、一番最初に出る電車がブダペスト行き。途中に、スロバキアとの国境の町コマーロムに停まる各駅停車がある。切符売り場へ行き、コマーロムへの往復切符を買う(1470フォリント)。

ブダペスト行き各駅停車、13時31分出発。途中3駅くらい停車して14時10分にコマーロムに到着。


コマーロム駅に到着したローカル列車


■ コマーロム(ハンガリー)

列車を降りて、跨線橋に登ると、駅の北側に隣接してドナウ川が流れている。向こう岸はスロバキアだ。雲から逃げてきたはずが、やはり雲の速度のさるもので、青空が今にもなくなろうとしている。国境の向こうに教会の尖塔が見えているので、そちらへ行って見る。

駅から、ドナウ川沿いを少し下ったところに、緑色の鉄橋(1892年に架けられたエルジェベート橋)が架かっている。ハンガリーとスロバキアがEUに加盟して、シェンゲン条約で国境検査を撤廃して以後、国境検査は無いはずだ。中央の車道を挟んで、両側に歩道があり、観光客がぞろぞろと渡っている。下流の方から相当強い風が吹いてくるが、かまわずに渡る。雨が降って風があると、傘をさせないので悲惨な状況になるはずだが、今日は雨が降っていないので大丈夫だ(実は、帰りがけに雨が降った…)。

向こう岸まで5分ほどで渡りきる。Wikipediaドイツ語版によれば、延長415mらしい。ちょうど中央あたりが国境で、両国の名称を記した銀色の境界プレートが欄干に取り付けられている。


国境のエルジェベート橋


■ コマールノ(スロバキア)

鉄橋を渡りきったところに、かつての国境検査所が使われなくなった状態で放置されている。さらに運河を渡る橋を渡って、コマールノ市街地に入る。橋の北東側が旧市街で、自動車乗り入れ禁止になっている。旧市街のちょうど中央付近にある聖アンドリュー教会へ向かう。18世紀に建てられたとWikipediaには書かれているが、中に入ると結構質素な雰囲気だ。教会の向かい側には、Jokaiの銅像のある博物館がある。Jokaiはハンガリーの作家なので、この街がまだハンガリー領だったころに生まれた人なのだろう。


旧市街中心にあるアンドリュー教会


旧市街の北側に隣接して、ヨーロッパ・タウンというヨーロッパ中の伝統的建物のレプリカを集めたテーマパーク的なショッピングセンターがある。今日は土曜日なので、旧市街の商店はほぼ全てが閉店だが、このヨーロッパ・タウンの中だけは営業中で、若い人がたくさん来ている。


各国のレプリカの建物を集めたヨーロッパ・タウン


旧市街を出て東へ。大学があり、公園があって、その向こう側に砦の壁が見える。(この手の砦は現在でも軍や警察の土地の場合が多いので)中に入れるのかどうか不明だし、大体スロバキアのお金なんて持っていない。ハンガリーじゃないので、Kindleに入っている自炊したガイドブックにも、この街の情報は存在していないところが辛いところだ。

ハンガリーのコマーロムに戻る。国境の橋を渡っているときに、とうとう吹き降りの雨が降り出した。運が悪い…。

15時53分のローカル列車に乗り、ジュールへ戻る。

■ ジュール

ジュールの繁華街も、今日は土曜なのでほぼすべて閉店している。案の定、マクドナルドが開いているので、ここで夕食。1270フォリントでビッグマックセットのlargeを注文。ジュースをセルフサービスで入れさせる店は、ここが初めての体験だ。ドリンクバーじゃないので、1回しか注いではだめだが、数種類のジュースの液をミックスすることも可能だったりする。

9月24日 ウィーン ~ ジュール

9月24日(金曜日)
ウィーン ~ ジュール

■ ウィーン
6時30分起床。40分に食堂へ。このYHは6時30分から朝食時間が始まる。スイスと同じく早く始まる規則でもあるのだろうか。ハムとかチーズが無いが、パンと果物、飲み物をセルフでという形。ハムの代わりにパン用のパテでも食いまくれということか…

8時少し前、チェックアウトして地下鉄Hutteldorf駅へ。自販機に24時間件というのがあったので、それを買う。5.7ユーロ。昨日これを買っておけばよかった…。 大抵の都市では、24時間じゃなくて1日券というのが多いので、ついうっかりと。

オンライン時刻表では、Sudbahnhofからジュール行きのローカル列車が出るとなっているので、Sudbahnhofへ。地下鉄のSudtrioler Plz.というところで降りる。(地下鉄会社のホームページに公開されている地図では、ここであっているはず) 駅構内には"南駅へ"という案内板があるが、これまた途中で消滅して、階段を上がるとまたしても工事現場。ウィーンは土建帝国にでもなろうとしてるんだろうか (笑

土建開発しても、経済は落ちる一方というのが日本の例で分かるはずなのに、これほど工事しまくるとは、政治家もバックマージンで笑いが止まらないでしょうね。

10年位前に来たときには、ここに巨大な駅があったはずだが、跡形も無くなくなっている。これまた通行人に駅はどこへ行ったのか聞いてみると、バスで1つ先の停留所まで行くと、仮設の駅があるそうな。行って見る。たしかに、プレハブの駅があって、ハンガリーやスロヴァキア方面の列車が出発しているのが、案内表示から分かる。ジュールへの切符を買って(19ユーロ ← よくみたら往復料金ぽい)、コインロッカーが無いか聞いてみると、工事中で撤去されたので国鉄で3駅行ったマイドリングという駅にあるそうな。まあ、仕方ないんでSバーンに乗ってマイドリング駅まで行き、ロッカーに荷物を預ける(小ロッカー 2ユーロ)。

前回来たときは曇っていたので、せっかくなので市内中心部の"見所"へ行ってみることにする。Uバーンを乗り継いで、シュテファン大聖堂へ。これまた正面ファサードが修復工事中。 王宮の庭はイベントの設営の真っ最中で、芝生の上にテントが大量に建てられている。自然史博物館、国会議事堂、市庁舎と、旧市街の壁を撤去してできた外周道路沿いの"豪華建物群"を眺めたところでタイムアップ。 風も強くなってきて、薄い雲も出てきたのでちょうど良いタイミング。地下鉄でマイドリング駅に戻り荷物をピックアップ。 昼食に駅構内のケバブ屋でケバブ(3.8ユーロ)を買って食べる。 欧州B級グルメの王者だけあり、ハズレが無いのがありがたい。


王宮のフランツ2世像



入り口前まで勝手に観光できる国会議事堂




12時10分ごろ南駅へ。ジュール行きの列車は、駅の一番向こう側のプラットホームにすでに停まっていた。オーストリアの近郊列車で使われ始めた、ドイツ製の近距離専用客車が使われている。それなりに長距離走る国際列車で、近郊列車を使うのがこの辺では普通なんですかね。 12時31分、ほぼ満員の乗客を乗せて出発。 ひたすら平原の中を東へ。ハンガリーに入ると、踏み切りの遮断機がすべて壊れているようで、列車が通過するときに降りていない。列車がいったん踏み切りの前でいったん停車して、徐行で通過しているので、ジュール到着時に20分くらい遅れていた。 それよりも、1箇所、踏切が降りていないのに最高速度で突破していたところがあったが、車が来てたら正面衝突やね。 EUになっても、思考回路はロシア時代のままのロシアンルーレット鉄道 (笑


ウィーン南駅に停まるハンガリーとオーストリアの近郊列車


■ ジュール
駅の地下道は南北両方側に出ることができるが、はてどちら側が正面なのか…。どちらに出ても切符売り場すらない。と思ったら、繁華街側の別の出口のところに切符売り場があった。それにしても分かりづらい駅構造だなぁ。

駅のATMで、とりあえず60000フォリント出金。これで2万円程度のはず。 ネットで予約したペンションへ。駅の住宅街側に出たすぐ前にある。ダブルルーム3泊で25600フォリント(約10240円)。


旧市街中心のミクローシュ広場






ジュール旧市街を歩く


明日から曇りか雨が続くはずなので、貴重な晴れの日の今日中に旧市街&繁華街側を回ってみる。旧市街といっても、それほど古いというわけでもないように見えるが…。 12万人の人口の街らしいが、平日の昼間に大量の人が繁華街をぶらついている。失業率が高いのか、病気欠勤を弾力的に使いまくっているのか…

2010/09/23

9月23日 アムステルダム~ウィーン

9月23日(木曜日)
アムステルダム ~ ウィーン


日本~アムステルダムの機上よりシベリア上空


■ アムステルダム → ウィーン

17時35分出発予定のKLM1847便は、登場予定時間寸前に18:00に遅れるとアナウンスがあり、さらに18時には18:45に遅れると同時に、ゲートの変更もあるというアナウンスがあった。近距離便なんだから、定時に飛ぶものと期待してたんだが…。機内では貴重が通路に"登場"して、「mechanical problemがあったため」という説明だった。 フラッグキャリアの(一応)国際線なのだが、ミールはクッキーと飲み物のみ。10年以上前は大陸間の便と同じようなミールが出ていたが、数年前にはサンドイッチ1個に縮減され、今年はクッキーの小袋一つか…。 来年には何も出なくなって、格安便に衣替えか (笑


■ ウィーン

オランダは小雨だったが、ウィーンは快晴。機長アナウンスでは、強風(Gust)ということだった。 到着も1時間以上遅れて、20時30分。空港出口からやたら遠いゲートに到着する。結構小走りに駅へ急いだが、30分に1本の近郊列車(Sバーン)にきわどいところで間に合わなかった。
国鉄の駅周辺を工事していて、いかにもわざとらしく余所者には見えにくいように工事用の壁で入り口を覆い隠したりしている。高い運賃のMitte駅直通特急の入り口だけが目立つように技としているとしか思えない (笑

そんなに利用客からボッタクリたいのだろうか。地下鉄(や、地下鉄網直結の近郊鉄道)が空港に来てるのなら、それを正面に出して利用させて、その他の交通機関なんて要らないと思うんだけどね… 地下鉄の乗客が増えれば、さらに値下げ効果もあるだろうし。

空港駅より21時18分のSバーンに乗って、Mitte駅で乗り換える。こちらも工事中。地下鉄(Uバーン)の駅へ向かう通路で、忽然と案内看板が消える。わざとかな… 外国人お断りモードなのだろうか (笑

いったん外の道に出て、工事現場を迂回して地下鉄駅へ。プラットホームの片側を全面工事していて、片方の線路だけで運行していたりする。でも、駅の行き先掲示板が以前のままだったり。反対側の電車の乗り場しかないように見える。その辺の人に聞いて、交互運転していることは分かった。U4号線に乗り、終点のHutteldorf駅へ。22時8分着。 今日泊まるユースホステルは、ここの山手の方にあるが、GoogleMapの航空写真で一回下調べしているので、ほぼ迷うことなく到着。この時間に、何人かチェックインしようとやって来ているのには驚いた。

駅から歩いてくるときに、満月が快晴の空に昇っていた。長期予報では明後日から"ひたすら"雨なので、これが最後の天気かなぁ… とか思っていた。

ドイツ系なので、一応男女別の部屋になっているようだが、私の泊まったのは別棟の女子のフロアのようで、2部屋で1区画(ロッカー室とシャワールーム共有)となっている、片側の部屋のみ男子部屋という変則的な割り当てられ方。 部屋に入ると、(私を含めて)オサーンが4人で、全員ノートパソコン持込でベットの上で使っているという、情報化時代を体現しているような変な部屋。Wifi接続はタダなので、ネット利用も問題なし。約1名が、イビキをかきまくっていたので、ぜんぜん寝れなかったが (笑  絞め殺してやるぅ~ と一晩中思ってました。