11月7日(金曜日)
夜中はずっと雨が降っていたようで、朝起きてからテレビを見てみると、イタリア各地で洪水や橋の落下などが起こっているようだ。例年にない温かさの秋の終わりに、冬の空気が入れ替わる前に猛烈な低気圧が発生するのだろう。
イタリアのテレビは茶目っ気たっぷりで、大洪水を伝えるニュースの後に、洪水を茶化した映像を流していました。数年前にイギリスで大洪水に巡りあわせた時も、ホテルの近くの洪水現場で釣りをしているオサーンが居たし、BBCテレビに映る場面ではしゃいでいる市民や、ジェットスキーで水没した街を疾走する人を全国放映していたりもしていた。洪水程度で必死になる日本とは、大きな違いがある。BBCに出演していた専門家は、「日本のように防災に金をかけまくるような国を除いて、予算制約のある我々は洪水などの災害は甘んじて受けなければならない」と言っていた。
6時40分、ホテルをチェックアウトし、テルミニ駅に向かう。外は、大雨。駅まで1分足らずの道なのでそれほど濡れずに済んだ。南東端のプラットホームに沿って歩く。空港行きの急行列車 レオナルド・エクスプレスが停車している。市内から空港まで近いのに、14ユーロとぼったくり料金の列車だ。地下鉄に乗り、空港行きの近郊列車が停まるオスティエンセ駅に向かう。
■ テルミニ 6:50 → ピラミデ 7:01 (地下鉄 B線)
早朝の地下鉄は混雑はしていないが、席は空いていなかった。ピラミデ駅で長い通路を歩いてオスティエンセ駅へ。サビーナ発フィウミチーノ空港行きの近郊列車は15分毎に走っている。駅の出発案内表示では、列車に遅れは無いようだ。吹き降りの雨が吹き込んでくる12番線で待つ。隣のプラットホームには、ヴェネツィア行きの特急 italoが停車している。ここからヴェネツィアまで、どれくらいかかるのだろうか… というより、大雨で途中で運転打ち切りとかありえるような天候だ。
■ オスティエンセ 7:17 → フィウミチーノ空港 7:48 (トレニタリア 近郊鉄道)
フィウミチーノ行き列車は、オスティエンセで大量の通勤客を降ろしたので、車内はがらがらだ。空港までの運賃は、おそらく加算料金を取られているため、8ユーロだ。空港直通バスが4ユーロなので、競争するつもりはないのだろう。
この文章は、空港ターミナル内で書き込み中。TIMのSIMカードでネット接続はできるので、書き込み程度はできる。Skypeはブロックされているのか、接続速度が遅すぎるのか、音声が聞き取れなくて使い物にならない。WCDMAで接続されているはずだが、速度制限がかかっているのだろう。
■ ローマ フィウミチーノ空港 10:40 → アムステルダム スキポール空港 12:40 (KLM1598)
10時発のはずの飛行機は、ガートを20分遅れで離れ、20分間誘導路で放置され、離陸したのは10時40分。さすが、イタリア・クオリティの出発管制だ。こういう事態を想定して、KLMの運行ダイヤは余裕をもたせまくっているようで、アムステルダムには予定通りの時間に着陸していた。
機内アナウンスで、機長が「急いで飛びますので」と言っていたが、巡航速度をオーバーして飛ぶわけもなく、こういうリップサービスが出来るだけのダイヤの余裕があるのは大切なことだ。
ローマで大雨を降らせていた寒冷前線と低気圧の後ろの冷たい冬の空気に覆われているアムステルダムは、冷たい雨の天気だった。
2014/11/07
2014/11/06
11月6日 ローマ
11月6日(木曜日)
昨晩から、間欠的に滝のような雨が降り、落雷の稲光が不気味に空を照らしている。テレビのニュースでは、イタリア各地で洪水や山崩れなどが起こっていると報道している。朝食を食べ終わっても、この雨では外に出ることもできない。10時少し前、雨が止んだので観光に出かける。まずは、テルミニ駅前にあるディオクレティアヌス浴場跡へ。
テルミニ駅と浴場跡の間の緑地には、ラムセス2世のオベリスクが建っている。オベリスクを見つつ数十メートル行くと、巨大なラウンドアバウトの中央に噴水がある共和国広場。この下には地下鉄A線の駅がある。共和国広場に沿って建てられている建物は、かつてのディオクレティアヌス浴場のエクセドラに沿って建てられている。広場のもう一方には、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の不格好な入口がある。かつてのカルダリウム(熱浴室)の円筒形の壁をそのまま利用しているので、湾曲した入り口になっている。その入り口を入ると、テピダリウム(温浴室)の円筒形の部屋が、そのまま教会の翼廊になっている。教会の身廊はかつてのフリギダリウム(冷浴室)だ。内装は完全に中世の教会風に変えられてしまっているので、単に部屋の外形がかつてのローマ浴場の部屋割りに一致しているというだけだ。
教会のある1ブロックをぐるっと回ってみると、ほかにもローマ浴場跡の構造物を再利用した建物がいくつかある。ローマ・コンクリートは丈夫なので、現代でも十分建物の柱や壁として利用し続けられるのだろう。
教会の裏手のディオクレティアヌス浴場博物館に入場する。入場料は7ユーロ。かつての浴場建物の外、外壁と囲まれた間のギムナジウム部分(?)と建物外にまたがって造られた「ミケランジェロの回廊」が、この博物館の見どころのようだ。回廊の壁や、中庭部分には古代ローマ時代の墓石や石像が所狭しと置かれている。
雨ざらしになっている屋外に置かれた墓の碑文を読みながら歩いていると、「IMP CAESAR DIVI F / AVGVSTVS / PONTIFEX MAXIMVS / TRIBVNIC POTEST … 消えてて読めん」 =「インペラトール・カエサル・神君アウグストゥス・最高神祇官・最高指揮官…」と書かれているものがある。けっして大切に保存されている雰囲気でもないが、なかなか意味深の文章の冒頭部分だ。
博物館の2階は、古代ローマ以前の埋葬方法の展示だ。火葬にしたのは、ローマ文明だけの特質だったのだろう。古代ローマ以前は土葬だったようだ。室内展示を見学しているときに、外は土砂降りの雨が降っていた。入口の所にあるミュージアムショップで、アウレウス金貨とデナリウス銀貨の「複製品」が7ユーロで売っていたので購入。コインホルダーに入れて、本物っぽく見せられないことはないのだろうけれども、よ〜く見ると「WRL」(= Westair Reproductions Limited)という小さい刻印が押されているのであくまでも模造品だ。本物のデナリウス銀貨と並べてみると、写真だけではあまり判別は付かない (笑
次に浴場跡の斜め向かいにある国立博物館 マッシモ宮に入る。こちらは、皇帝・皇族の胸像や彫像がたくさん展示されている。地下は銀行の金庫室のような金属製の扉の中の部屋に、古代ローマ時代から現代までの硬貨が展示されている。アウレリアヌス金貨とアス銅貨はたくさん展示されていたが、実質的に最も広く流通していたデナリウス銀貨がほとんど展示されていなかった。
博物館の最上階は、ローマ近郊のドムス(邸宅)から移設されたフレスコ画が展示されている。展示室のパーティションを発掘現場の建物の壁に一致させ、内装を移設してきた豪華な展示だ。
博物館を出て、共和国広場から少し北へ行くと、道路の壁面に噴水が埋め込まれている。現在はモーセの泉と呼ばれているが、かつて中世にこの泉が造られた時は、フェリクス水道の泉とされていた。公共施設や、接続料金を支払ったドムスやヴィッラ(邸宅)には水道が直結されたが、インスラ(集合住宅)に住む一般市民などは泉に水を汲みに来ていたそうだ。このモーセの泉ができるまでは、隣の丘にあるトレヴィの泉まで水汲みに行っていたそうだ。
泉の碑文は『 SIXTUS V PONT MAX PICENUS / AQUAM EX AGRO COLUMNAE / VIA PRAENEST SINISTRORSUM / MULTAR COLLECTIONE VENARUM / DUCTU SINUOSO A RECEPTACULO / MIL XX A CAPITE XXI ADDUXIT / FELICEMQ DE NOMINE ANTE PONT DIXIT 』となっており、『ピケヌス出身のローマ教皇シクストゥス5世が、コルムナエ村のプラエストル街道の左側にある幾つかの水源から、およそ20ローマ・マイルの水道を建設し、教皇になる以前のフェリクスという自らの名前を水道に付けた』と読める。これなら、庶民でも分かる簡単な解説文としては的確なものだ。
■ バルベリーニ 13:56 → ヴィットリオ・エマニュエレ 14:02 (地下鉄 A線)
バルベリーニ広場から地下鉄でヴィットリオ・エマニュエレ広場にもどり、数日前に夕食を食べたインド料理屋で、ココナツカレー(4ユーロ)を食べる。
■ ヴィットリオ・エマニュエレ 14:32 → スパーニャ 14:40 (地下鉄 A線)
スペイン広場駅で下車し、駅の出口からさらにエレベーターに乗ってスペイン階段の頂上まで一気に登る。スペイン階段の最上部に、ラムセス2世のオベリスクを、古代ローマ時代に複製したものが立てられている。この場所は、観光客に付きまとう悪質な物売りが多数いて、私にもサッカー選手の名前を言いながら寄ってきて、妙なひものようなものを売りつけようと手をつかんできた。日本人の中で、サッカーに興味ある人は1割か2割程度なのに、サッカー選手の名前を言って興味を持つとでも思っているのだろうか…。
スペイン階段を降り、まっすぐ西へ向かう。テヴェレ川を渡ると、最高裁判所の巨大な建物がある。その正面入り口の左側に、キケロの像がある。古代ローマで最も弁が立った元老院議員だ。
裁判所前からテヴェレ川の下流方向に歩いていく。西の空に真黒な雲が接近してきている。稲光も光っているので、もうすぐどしゃ降りの雨が降ってくるのだろう。円柱型のハドリアヌス廟(中世に砦に改造されて、いまはサン・タンジェロ城と呼ばれている)がある。ここで雨が降り出せば、城に逃げ込むしかないが、残念ながら雨はまだ降ってはこない。テヴェレ川を再び渡り、東へ。ドミティアヌス競技場跡(現 ナヴォーナ広場)に向かう。競技場跡がそのまま長細い広場になっていて、中央には、マクセンティウスの競技場から移設したオベリスクがそびえている。空全体が真っ暗になり、冷たい風が吹いてきたかと思うと、雨が降り出した。広場の中央部に面した教会に逃げ込む。広場にいた多くの観光客も、周囲の建物に一斉に避難しているようだ。
30分ほどで雨も小降りになったので、外へ出て観光を続ける。
ナヴォーナ広場から東へ。パンテオンの少し手前の建物の壁に、ネロ浴場の円柱が2本だけ残存している。ネロ浴場は、ドミティアヌス競技場とパンテオンの間にあったのが、古代の地図を見ると分かる。パンテオンの南側にも、アグリッパが建てた小規模の浴場があり、パンテオンの建物の南端外部がに不自然につけられたエクセドラは、おそらくこのアグリッパ浴場のものだろう。付近の路地には、1カ所だけ建物の外壁柱にアグリッパ浴場の柱を流用したところがあり、道路にレンガ造りの浴場の柱が飛び出して見えている。
普通の観光客が興味を持たないような、単なるレンガの柱などを熱心に写真撮影していると、団体観光客などから怪訝な目で見られる。旅行ガイドブックは中世の教会芸術中心に掲載していて、地味な古代ローマ遺跡はあまり載っていないので仕方ないのだろう。
アグリッパ浴場とネロ浴場の南側には、ポンペイウス劇場が存在した。現在残っているのは、トッレ・アルジェンティーナ広場に残る神殿跡だけだ。劇場本体と列柱廊を挟んで反対側にあるこの神殿跡付近が、ユリウス・カエサルが暗殺された場所として有名だ。
劇場本体の方も見に行ってみる。いまでも半円形の客席部分の形に合わせて、道路と建物が湾曲しているところがある。ちょうど湾曲している建物にホテル・ポンペイウス劇場というのもある。
南へ行き、テヴェレ川の畔に出たら、東へ。しばらく行くと、巨大なシナゴーグがある。このあたりは、古代ローマ時代もユダヤ人街だったそうだ。シナゴーグの横にオクタヴィアのポルティコ跡がある。金属足場で囲まれて修復中なので、全体の姿を見ることはできない。ポルティコの横は、マルケルス劇場(円形劇場)がある。カエサルの甥のマルケルスが手掛けたもので、完成させたのはアウグストゥス帝だ。内部は、インスラに改造されて人が住んでいるそうだ。
テヴェレ川の中州のティベリーナ島に向かう。かつて、アスクレペイオンがあったそうだ。いまは、その位置に教会がある。川は、上流で大雨が降っているため、茶色い濁流になっている。
さらに少し南へ行くと、真実の口で有名な教会がある。このあたりは、フォルム・ロマヌムなどの基幹施設ができる前から、フォルム・ボアリウムという名前の都市遺跡だった。円筒型の勝利のヘラクレス神殿や、四角柱型のフォルトゥーナの神殿などが、テヴェレ川沿いの緑地に建っている。
■ チルコ・マッシモ → テルミニ 17:43 (地下鉄 B線)
夕食は、昨日は行ったイタリア料理店で食べる。トルテッリーニのクリームソース添えと、仔牛肉のレモンソース添え、デザートにケーキ1切れ、ミネラル水で10ユーロ。食後、スーパーに寄ってホテルに戻ると、大雨が降り出した。
昨晩から、間欠的に滝のような雨が降り、落雷の稲光が不気味に空を照らしている。テレビのニュースでは、イタリア各地で洪水や山崩れなどが起こっていると報道している。朝食を食べ終わっても、この雨では外に出ることもできない。10時少し前、雨が止んだので観光に出かける。まずは、テルミニ駅前にあるディオクレティアヌス浴場跡へ。
テルミニ駅と浴場跡の間の緑地には、ラムセス2世のオベリスクが建っている。オベリスクを見つつ数十メートル行くと、巨大なラウンドアバウトの中央に噴水がある共和国広場。この下には地下鉄A線の駅がある。共和国広場に沿って建てられている建物は、かつてのディオクレティアヌス浴場のエクセドラに沿って建てられている。広場のもう一方には、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の不格好な入口がある。かつてのカルダリウム(熱浴室)の円筒形の壁をそのまま利用しているので、湾曲した入り口になっている。その入り口を入ると、テピダリウム(温浴室)の円筒形の部屋が、そのまま教会の翼廊になっている。教会の身廊はかつてのフリギダリウム(冷浴室)だ。内装は完全に中世の教会風に変えられてしまっているので、単に部屋の外形がかつてのローマ浴場の部屋割りに一致しているというだけだ。
教会のある1ブロックをぐるっと回ってみると、ほかにもローマ浴場跡の構造物を再利用した建物がいくつかある。ローマ・コンクリートは丈夫なので、現代でも十分建物の柱や壁として利用し続けられるのだろう。
教会の裏手のディオクレティアヌス浴場博物館に入場する。入場料は7ユーロ。かつての浴場建物の外、外壁と囲まれた間のギムナジウム部分(?)と建物外にまたがって造られた「ミケランジェロの回廊」が、この博物館の見どころのようだ。回廊の壁や、中庭部分には古代ローマ時代の墓石や石像が所狭しと置かれている。
雨ざらしになっている屋外に置かれた墓の碑文を読みながら歩いていると、「IMP CAESAR DIVI F / AVGVSTVS / PONTIFEX MAXIMVS / TRIBVNIC POTEST … 消えてて読めん」 =「インペラトール・カエサル・神君アウグストゥス・最高神祇官・最高指揮官…」と書かれているものがある。けっして大切に保存されている雰囲気でもないが、なかなか意味深の文章の冒頭部分だ。
博物館の2階は、古代ローマ以前の埋葬方法の展示だ。火葬にしたのは、ローマ文明だけの特質だったのだろう。古代ローマ以前は土葬だったようだ。室内展示を見学しているときに、外は土砂降りの雨が降っていた。入口の所にあるミュージアムショップで、アウレウス金貨とデナリウス銀貨の「複製品」が7ユーロで売っていたので購入。コインホルダーに入れて、本物っぽく見せられないことはないのだろうけれども、よ〜く見ると「WRL」(= Westair Reproductions Limited)という小さい刻印が押されているのであくまでも模造品だ。本物のデナリウス銀貨と並べてみると、写真だけではあまり判別は付かない (笑
次に浴場跡の斜め向かいにある国立博物館 マッシモ宮に入る。こちらは、皇帝・皇族の胸像や彫像がたくさん展示されている。地下は銀行の金庫室のような金属製の扉の中の部屋に、古代ローマ時代から現代までの硬貨が展示されている。アウレリアヌス金貨とアス銅貨はたくさん展示されていたが、実質的に最も広く流通していたデナリウス銀貨がほとんど展示されていなかった。
博物館の最上階は、ローマ近郊のドムス(邸宅)から移設されたフレスコ画が展示されている。展示室のパーティションを発掘現場の建物の壁に一致させ、内装を移設してきた豪華な展示だ。
博物館を出て、共和国広場から少し北へ行くと、道路の壁面に噴水が埋め込まれている。現在はモーセの泉と呼ばれているが、かつて中世にこの泉が造られた時は、フェリクス水道の泉とされていた。公共施設や、接続料金を支払ったドムスやヴィッラ(邸宅)には水道が直結されたが、インスラ(集合住宅)に住む一般市民などは泉に水を汲みに来ていたそうだ。このモーセの泉ができるまでは、隣の丘にあるトレヴィの泉まで水汲みに行っていたそうだ。
泉の碑文は『 SIXTUS V PONT MAX PICENUS / AQUAM EX AGRO COLUMNAE / VIA PRAENEST SINISTRORSUM / MULTAR COLLECTIONE VENARUM / DUCTU SINUOSO A RECEPTACULO / MIL XX A CAPITE XXI ADDUXIT / FELICEMQ DE NOMINE ANTE PONT DIXIT 』となっており、『ピケヌス出身のローマ教皇シクストゥス5世が、コルムナエ村のプラエストル街道の左側にある幾つかの水源から、およそ20ローマ・マイルの水道を建設し、教皇になる以前のフェリクスという自らの名前を水道に付けた』と読める。これなら、庶民でも分かる簡単な解説文としては的確なものだ。
■ バルベリーニ 13:56 → ヴィットリオ・エマニュエレ 14:02 (地下鉄 A線)
バルベリーニ広場から地下鉄でヴィットリオ・エマニュエレ広場にもどり、数日前に夕食を食べたインド料理屋で、ココナツカレー(4ユーロ)を食べる。
■ ヴィットリオ・エマニュエレ 14:32 → スパーニャ 14:40 (地下鉄 A線)
スペイン広場駅で下車し、駅の出口からさらにエレベーターに乗ってスペイン階段の頂上まで一気に登る。スペイン階段の最上部に、ラムセス2世のオベリスクを、古代ローマ時代に複製したものが立てられている。この場所は、観光客に付きまとう悪質な物売りが多数いて、私にもサッカー選手の名前を言いながら寄ってきて、妙なひものようなものを売りつけようと手をつかんできた。日本人の中で、サッカーに興味ある人は1割か2割程度なのに、サッカー選手の名前を言って興味を持つとでも思っているのだろうか…。
スペイン階段を降り、まっすぐ西へ向かう。テヴェレ川を渡ると、最高裁判所の巨大な建物がある。その正面入り口の左側に、キケロの像がある。古代ローマで最も弁が立った元老院議員だ。
裁判所前からテヴェレ川の下流方向に歩いていく。西の空に真黒な雲が接近してきている。稲光も光っているので、もうすぐどしゃ降りの雨が降ってくるのだろう。円柱型のハドリアヌス廟(中世に砦に改造されて、いまはサン・タンジェロ城と呼ばれている)がある。ここで雨が降り出せば、城に逃げ込むしかないが、残念ながら雨はまだ降ってはこない。テヴェレ川を再び渡り、東へ。ドミティアヌス競技場跡(現 ナヴォーナ広場)に向かう。競技場跡がそのまま長細い広場になっていて、中央には、マクセンティウスの競技場から移設したオベリスクがそびえている。空全体が真っ暗になり、冷たい風が吹いてきたかと思うと、雨が降り出した。広場の中央部に面した教会に逃げ込む。広場にいた多くの観光客も、周囲の建物に一斉に避難しているようだ。
30分ほどで雨も小降りになったので、外へ出て観光を続ける。
ナヴォーナ広場から東へ。パンテオンの少し手前の建物の壁に、ネロ浴場の円柱が2本だけ残存している。ネロ浴場は、ドミティアヌス競技場とパンテオンの間にあったのが、古代の地図を見ると分かる。パンテオンの南側にも、アグリッパが建てた小規模の浴場があり、パンテオンの建物の南端外部がに不自然につけられたエクセドラは、おそらくこのアグリッパ浴場のものだろう。付近の路地には、1カ所だけ建物の外壁柱にアグリッパ浴場の柱を流用したところがあり、道路にレンガ造りの浴場の柱が飛び出して見えている。
普通の観光客が興味を持たないような、単なるレンガの柱などを熱心に写真撮影していると、団体観光客などから怪訝な目で見られる。旅行ガイドブックは中世の教会芸術中心に掲載していて、地味な古代ローマ遺跡はあまり載っていないので仕方ないのだろう。
アグリッパ浴場とネロ浴場の南側には、ポンペイウス劇場が存在した。現在残っているのは、トッレ・アルジェンティーナ広場に残る神殿跡だけだ。劇場本体と列柱廊を挟んで反対側にあるこの神殿跡付近が、ユリウス・カエサルが暗殺された場所として有名だ。
劇場本体の方も見に行ってみる。いまでも半円形の客席部分の形に合わせて、道路と建物が湾曲しているところがある。ちょうど湾曲している建物にホテル・ポンペイウス劇場というのもある。
南へ行き、テヴェレ川の畔に出たら、東へ。しばらく行くと、巨大なシナゴーグがある。このあたりは、古代ローマ時代もユダヤ人街だったそうだ。シナゴーグの横にオクタヴィアのポルティコ跡がある。金属足場で囲まれて修復中なので、全体の姿を見ることはできない。ポルティコの横は、マルケルス劇場(円形劇場)がある。カエサルの甥のマルケルスが手掛けたもので、完成させたのはアウグストゥス帝だ。内部は、インスラに改造されて人が住んでいるそうだ。
テヴェレ川の中州のティベリーナ島に向かう。かつて、アスクレペイオンがあったそうだ。いまは、その位置に教会がある。川は、上流で大雨が降っているため、茶色い濁流になっている。
さらに少し南へ行くと、真実の口で有名な教会がある。このあたりは、フォルム・ロマヌムなどの基幹施設ができる前から、フォルム・ボアリウムという名前の都市遺跡だった。円筒型の勝利のヘラクレス神殿や、四角柱型のフォルトゥーナの神殿などが、テヴェレ川沿いの緑地に建っている。
■ チルコ・マッシモ → テルミニ 17:43 (地下鉄 B線)
夕食は、昨日は行ったイタリア料理店で食べる。トルテッリーニのクリームソース添えと、仔牛肉のレモンソース添え、デザートにケーキ1切れ、ミネラル水で10ユーロ。食後、スーパーに寄ってホテルに戻ると、大雨が降り出した。
2014/11/05
11月5日 ローマ
11月5日(水曜日)
夜中に猛烈な雨が降ったようで、テラスの窓の雨戸に吹き降りの雨が当たる音が時折していた。朝起きるころには、雨は上がって風の強い曇り空になっていた。
■ テルミニ 9:10 → カブール 9:12 (地下鉄 B線)
9時少し前、ホテルを出発し観光に出かける。カピトリーノ美術館を目指す。テルミニ駅から地下鉄に1駅だけ乗り、そこからカピトリヌスの丘を目指す。属州の植民都市のように、碁盤の目状の道路ならわかりやすくてよいのだが、ローマは7つの丘の上に造られた町を起源に、徐々に拡張してきた街なので、道路が不規則な角度で交わっていてわかりにくい。地下鉄駅から、一旦フォルム・ロマヌムの前に出て、そこから急な階段でカピトリヌスの丘に登った。カピトリーノ美術館の入場口には数人の客しか並んでおらず、平日はこんなものなのだろうか…。入場料は15ユーロと、かなり割高な感じだ。
入場口を入ると、中庭にコンスタンティヌス1世の大理石像(コロッサス)の破片が展示されている。頭部だけでも高さは2.5mあるそうで、石像がマクセンティウスのバシリカに建てられて時には、高さは12mほどあったそうである。博物館内は、主に古代ローマ時代から中世までの彫刻が展示されている。
ローマを建国したロムルスとレムスが、生まれて間もなく川に捨てられオオカミに助けられたという神話を表現した、「オオカミの乳をのむ兄弟」の像は有名だ。他の地域から移動してきた男性が中心となり都市国家を作ったローマには、当初男性ばかりだったため、近隣のラテン人国家の女性を略奪したという神話を表現した『サビニの女たちの略奪』の絵もある。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に長らく飾られていた、マルクス・アウレリウスの騎馬像の「実物」も、この美術館内にある。ローマ帝国の皇帝騎馬像は幾つもあったが、異教の神の像としてキリスト教徒に破壊され、現存しているのはこのマルクス・アウレリウス騎馬像だけだ。カエサルやアウグストゥスのように有名で「顔が割れている」場合は迷わず破壊されたが、マルクス・アウレリウスは有名じゃなかったのか、長らくコンスタンティヌス1世と間違われて大切に保存されていたそうだ。
マルクス・アウレリウス騎馬像のすぐ横には、本来この場所にあったはずのユピテル神殿の基礎部分の遺構が残っている。
ローマ帝国の皇帝胸像や、哲学者の胸像などがずらりと並んでいるのは圧巻だ。ソクラテスやプラトンの胸像は、ギリシア語で名前が刻まれていたので、古代ギリシアの彫刻なのだろう。
有名なアフロディテ像(エスクイリーノのヴィーナス)や、ブロンズ製のケンタウロス像、瀕死のガリア人像など著名な彫刻も数多くある。
フォルムや神殿、テルマエなどのニッチ(円筒状にへこんだ碧眼部分)には、ローマ神などの彫刻が置かれていたはずだが、長い年月の間に建材として持ち出されたり、異教の神の像として破壊されたりしたはずだ。どこに何の彫刻が置かれていたのかわからないので、無責任に複製を並べられないのはわかるが、それならせめて遺跡の近くに想像図だけでもおいてほしいものだ。
たとえば、カエサルのフォルムにあったはずの、カエサルの騎馬像がどんな形をしていたのかわからないので、無責任なことはやりたがらないのは分かるが…
3時間ほど見学した後、一昨日と同じくトラヤヌス記念柱の近くのスナック・バーで、パニーニを食べる。スプライトも買って合計5.5ユーロ。
昨日、チェチーラ・メテッラ廟を見学したときの入場券は、カラカラ浴場などとの共通券のため、カラカラ浴場を見に行くことにする。20年前に見学した記憶はあるが、入場口がどこにあるのかすら忘れてしまっている。
■ カブール 13:24 → チルコ・マッシモ 13:27 (地下鉄 B線)
再びカブール駅に戻る。駅前に、ちょっと高級品そうな品物をショーウインドウに展示したスーパーがあったので、中を覗いてみると普通のスーパーだった。土産物用に高級な岩塩でも買おうかなと思ったのだが… (古代ローマ時代は、オスティアの海岸で取れた海の塩を使っていたはずなので、岩塩は場違いなのかもしれない。どこかの属州から輸入はしていたのかもしれないが…)
地下鉄に2駅だけ乗って、キルクス・マクシムスの所で降りる。駅の階段を上がったところに国連の旗が立っていて、国連機関(世界食糧機関?)の大きな事務所がある。その南東の裏側がカラカラ浴場だ。
中に入ると、確かに20年前に来たときに見たような景色だ。昔はフェンスなど無く、壁の近くまで寄って見れたという記憶があるが、いまはがっちりとした手すりが全面に取り付けられていて、壁に近づくこともできない。
見学ルートは、トレーニング施設だったパレストラから建物に入ることになる。現代ならトレーニング用の機器が置かれるところだが、昔はこの広い空間でレスリングやランニングをしていたといわれる。GoogleMapで計測してみると、55m×40m位の広さの部屋だ。そのまま、大きな建物の北東側の部屋を通って歩いていくと、脱衣場の隣に巨大なプールがあったナタティオがある。もちろん、今では水は張られていないので、好きなところを歩ける。プールは80m×20mくらいあったようだ。現代でも競技用に使えるレベルの広さは十分とれる広さの部屋だ。ナタティオの北東側の壁は、3階建て相当のそれぞれのフロア部分にニッチ(碧眼)がずらりと並んでいて、当時は見事な彫刻が並べられまるで美術館のような景色だったのだろう。
建物の軸線中心にあるナタティオの向うは、再び脱衣室とパレストラだ。当時の床に張られていたモザイクタイルが一部分だけ残っていたり、壁面に立てかけられて展示されている。コンスタンティノープル大宮殿のような豪華な多色のモザイクではなく、白と黒の2色で表現されたモザイクだ。カラカラ帝の時代には、まだ多色のモザイクは一般的ではなかったのかもしれない。
見学コースは、南西側の建物内側の列を入場口に向けて引き返す形で作られている。
今度は建物中心のフリギダリウム(冷浴室)の所を通る。部屋の長さはナタティオと同じく80mほどで、幅は40mほどだろうか。ナタティオとの間には円形の浴槽がある。より建物の中央方向にはテピダリウム(温浴室)とカルダリウム(熱浴室)が見えるが、その部屋は遠くから見るだけで見学はできない。テピダリウムは天井がまだ残っているので、崩れてくる心配があるのかもしれないね。
建物から出て、南西側の外から眺めると、屋外にカルダリウム(熱浴室)だった部屋の遺構が建物の外にあるのがわかる。テルマエ本体の建物は、あと1スパンだけこちら側にもあったはずで、カルダリウムも建物内に含んでいたはずだ。カルダリウムは床が抜け落ちて、地下構造を横から眺めることができる。アーチ状になった地下室は、ボイラーからの熱水(蒸気?)を送るための管があったのか、それともそれらの地下室に直接ボイラーが置いてあったのか…。
カラカラ浴場を出て、北東のサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の方向を目指す。古代ローマ時代の地図では、アヴェンティヌスの丘に向かうアッピア水道の水道橋と、パラティウムの丘に向かうクラウディア水道の水道橋が、プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)から延びてきていたはずだ。GoolgeMapの航空写真で調べた限りでは、クラウディア水道は所々に遺構が残っているが、アッピア水道は見つけることができなかった。
メトロニア門(今でも同じ名前)のところから、ラテラーノ教会へ向かうと大きな病院があり、その裏手の軍の病院との間のステファーノ・ロトンド通りの壁がクラウディア水道の水道橋を「再利用」して造られたものだ。一部分は一般住宅の内部の柱に取り込まれているようなところもあり、長い年月の間に街並みに組み込まれてしまったのだろう。
ローマ三大聖堂と名高いサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂を見学する。大聖堂の前の広場、クラウディア水道との間には、ルクソールのカルナック神殿から運ばれたトトメス3世の巨大なオベリスクがそびえている。現存する古代エジプトのオベリスクでは最大のもので、230トンもの重さがあるそうだ。このオベリスクが建てられる前は、カピトリーノ美術館に保存されているマルクス・アウレリウス騎馬像が(中世の間)この場所に置かれていたそうだ。大聖堂の方も由緒があり、4世紀にコンスタンティヌス1世がミラノ勅令でキリスト教を公認したのと同時期に造られた教会が起源だそうだ。12使徒の石像が並んでいる身廊の端には、聖ペテロと聖パウロの聖遺物(頭蓋骨)が収められているそうだ。世界中で聖遺物とされるものは、12使徒の骨の量よりはるかに多く、全く違う骨が間違って奉献されている例も多くあるだろうが、さすがに、ローマ教皇庁直轄のこの大聖堂にあるものは「本物」だろう。
大聖堂を出て東へ向かう。アウレリアヌス城壁に沿って行くと、城壁を作るときに壁の一部に取り込まれてしまったカストレンセ円形闘技場がある。いまは、すぐわきにある教会の庭の壁となってしまっていて、中に入ることはできないが、フェンスの隙間から少しだけ覗くことはできる。
カストレンセ闘技場のすぐ北東には、トラムのターミナル駅にもなっているマッジョーレ門広場がある。すぐわきには、アウレリアヌス城壁を切り崩して、テルミニ駅に入る鉄道の本線が通っている。古代ローマ時代は、プラエネスティーナ門といってプラエスティーナ街道が通過する地点でもあり、クラウディア水道やマルキア水道などアニエネ川上流から導水してきたローマ水道が市街地に入る地点でもある。かつても、今も、交通の結節点だ。
ここから国鉄(トレニタリア)の線路に沿って北西へ伸びるアウレリアヌス城壁は、マルキア水道の水道橋のアーチ部分をコンクリートと煉瓦でふさいだ形で、水道橋を再利用して造られている。近郊鉄道FR1線が、ここからテルミニ駅まで路面電車のように道路上を走っているので、1駅だけ乗車
■ ポルタ・マッジョーレ → サン・ビビアナ (近郊鉄道FR1)
電車は国鉄の線路のすぐわきの道路を走り、円柱型のニンファエウムを避ける形でカーブして1駅目の停留所に到着。そこで下車する。ニンファエウムは古代ローマ時代に造られた水の精を祀る施設だったようだが、現在は観光地でも何でもなく、単に道路の横にある廃墟に過ぎない。巨大な円柱型の建物は、西ローマ帝国内では最大のドームを持つ建物だったそうだ。コンスタンティノープル(現 イスタンブール)のソフィア大聖堂に似たようなものだったらしい。
そこから国鉄の線路の下をくぐる道路を通って向う側に出ると、ティブルティナ門がある。3日前に、ティヴォリに行ったときに通ったローマ街道の起点となる門だ。プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)からティブルティナ門までが、マルキア水道の水道橋を再利用して造られた城壁だ。ティブルティナ門で水道橋は市内に向けて分岐し、泊まっているホテルの近くのヴィットリオ・エマニュエレ広場にある分水施設カステロ・アクアエまで達している。いまは、分岐部分の1本目の橋脚しか残っておらず、テルミニ駅の駅舎を作るときに取り壊されてしまっている。
さて、日も暮れたのでテルミニ駅の向う側の繁華街(?)に戻り夕食。イタリア料理のレストランの店頭に、10ユーロメニューと書かれていたので、そこに入ってみる。リグーリア風パスタと、チキン・グリルのベークド・ポテト添え、ケーキ、飲み物がセットだ。パスタはフルサイズが出てきたので、結構お得なメニューだ。
■ Hotel Acqualium 521号室
夜中に猛烈な雨が降ったようで、テラスの窓の雨戸に吹き降りの雨が当たる音が時折していた。朝起きるころには、雨は上がって風の強い曇り空になっていた。
■ テルミニ 9:10 → カブール 9:12 (地下鉄 B線)
9時少し前、ホテルを出発し観光に出かける。カピトリーノ美術館を目指す。テルミニ駅から地下鉄に1駅だけ乗り、そこからカピトリヌスの丘を目指す。属州の植民都市のように、碁盤の目状の道路ならわかりやすくてよいのだが、ローマは7つの丘の上に造られた町を起源に、徐々に拡張してきた街なので、道路が不規則な角度で交わっていてわかりにくい。地下鉄駅から、一旦フォルム・ロマヌムの前に出て、そこから急な階段でカピトリヌスの丘に登った。カピトリーノ美術館の入場口には数人の客しか並んでおらず、平日はこんなものなのだろうか…。入場料は15ユーロと、かなり割高な感じだ。
入場口を入ると、中庭にコンスタンティヌス1世の大理石像(コロッサス)の破片が展示されている。頭部だけでも高さは2.5mあるそうで、石像がマクセンティウスのバシリカに建てられて時には、高さは12mほどあったそうである。博物館内は、主に古代ローマ時代から中世までの彫刻が展示されている。
ローマを建国したロムルスとレムスが、生まれて間もなく川に捨てられオオカミに助けられたという神話を表現した、「オオカミの乳をのむ兄弟」の像は有名だ。他の地域から移動してきた男性が中心となり都市国家を作ったローマには、当初男性ばかりだったため、近隣のラテン人国家の女性を略奪したという神話を表現した『サビニの女たちの略奪』の絵もある。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に長らく飾られていた、マルクス・アウレリウスの騎馬像の「実物」も、この美術館内にある。ローマ帝国の皇帝騎馬像は幾つもあったが、異教の神の像としてキリスト教徒に破壊され、現存しているのはこのマルクス・アウレリウス騎馬像だけだ。カエサルやアウグストゥスのように有名で「顔が割れている」場合は迷わず破壊されたが、マルクス・アウレリウスは有名じゃなかったのか、長らくコンスタンティヌス1世と間違われて大切に保存されていたそうだ。
マルクス・アウレリウス騎馬像のすぐ横には、本来この場所にあったはずのユピテル神殿の基礎部分の遺構が残っている。
ローマ帝国の皇帝胸像や、哲学者の胸像などがずらりと並んでいるのは圧巻だ。ソクラテスやプラトンの胸像は、ギリシア語で名前が刻まれていたので、古代ギリシアの彫刻なのだろう。
有名なアフロディテ像(エスクイリーノのヴィーナス)や、ブロンズ製のケンタウロス像、瀕死のガリア人像など著名な彫刻も数多くある。
フォルムや神殿、テルマエなどのニッチ(円筒状にへこんだ碧眼部分)には、ローマ神などの彫刻が置かれていたはずだが、長い年月の間に建材として持ち出されたり、異教の神の像として破壊されたりしたはずだ。どこに何の彫刻が置かれていたのかわからないので、無責任に複製を並べられないのはわかるが、それならせめて遺跡の近くに想像図だけでもおいてほしいものだ。
たとえば、カエサルのフォルムにあったはずの、カエサルの騎馬像がどんな形をしていたのかわからないので、無責任なことはやりたがらないのは分かるが…
3時間ほど見学した後、一昨日と同じくトラヤヌス記念柱の近くのスナック・バーで、パニーニを食べる。スプライトも買って合計5.5ユーロ。
昨日、チェチーラ・メテッラ廟を見学したときの入場券は、カラカラ浴場などとの共通券のため、カラカラ浴場を見に行くことにする。20年前に見学した記憶はあるが、入場口がどこにあるのかすら忘れてしまっている。
■ カブール 13:24 → チルコ・マッシモ 13:27 (地下鉄 B線)
再びカブール駅に戻る。駅前に、ちょっと高級品そうな品物をショーウインドウに展示したスーパーがあったので、中を覗いてみると普通のスーパーだった。土産物用に高級な岩塩でも買おうかなと思ったのだが… (古代ローマ時代は、オスティアの海岸で取れた海の塩を使っていたはずなので、岩塩は場違いなのかもしれない。どこかの属州から輸入はしていたのかもしれないが…)
地下鉄に2駅だけ乗って、キルクス・マクシムスの所で降りる。駅の階段を上がったところに国連の旗が立っていて、国連機関(世界食糧機関?)の大きな事務所がある。その南東の裏側がカラカラ浴場だ。
中に入ると、確かに20年前に来たときに見たような景色だ。昔はフェンスなど無く、壁の近くまで寄って見れたという記憶があるが、いまはがっちりとした手すりが全面に取り付けられていて、壁に近づくこともできない。
見学ルートは、トレーニング施設だったパレストラから建物に入ることになる。現代ならトレーニング用の機器が置かれるところだが、昔はこの広い空間でレスリングやランニングをしていたといわれる。GoogleMapで計測してみると、55m×40m位の広さの部屋だ。そのまま、大きな建物の北東側の部屋を通って歩いていくと、脱衣場の隣に巨大なプールがあったナタティオがある。もちろん、今では水は張られていないので、好きなところを歩ける。プールは80m×20mくらいあったようだ。現代でも競技用に使えるレベルの広さは十分とれる広さの部屋だ。ナタティオの北東側の壁は、3階建て相当のそれぞれのフロア部分にニッチ(碧眼)がずらりと並んでいて、当時は見事な彫刻が並べられまるで美術館のような景色だったのだろう。
建物の軸線中心にあるナタティオの向うは、再び脱衣室とパレストラだ。当時の床に張られていたモザイクタイルが一部分だけ残っていたり、壁面に立てかけられて展示されている。コンスタンティノープル大宮殿のような豪華な多色のモザイクではなく、白と黒の2色で表現されたモザイクだ。カラカラ帝の時代には、まだ多色のモザイクは一般的ではなかったのかもしれない。
見学コースは、南西側の建物内側の列を入場口に向けて引き返す形で作られている。
今度は建物中心のフリギダリウム(冷浴室)の所を通る。部屋の長さはナタティオと同じく80mほどで、幅は40mほどだろうか。ナタティオとの間には円形の浴槽がある。より建物の中央方向にはテピダリウム(温浴室)とカルダリウム(熱浴室)が見えるが、その部屋は遠くから見るだけで見学はできない。テピダリウムは天井がまだ残っているので、崩れてくる心配があるのかもしれないね。
建物から出て、南西側の外から眺めると、屋外にカルダリウム(熱浴室)だった部屋の遺構が建物の外にあるのがわかる。テルマエ本体の建物は、あと1スパンだけこちら側にもあったはずで、カルダリウムも建物内に含んでいたはずだ。カルダリウムは床が抜け落ちて、地下構造を横から眺めることができる。アーチ状になった地下室は、ボイラーからの熱水(蒸気?)を送るための管があったのか、それともそれらの地下室に直接ボイラーが置いてあったのか…。
カラカラ浴場を出て、北東のサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の方向を目指す。古代ローマ時代の地図では、アヴェンティヌスの丘に向かうアッピア水道の水道橋と、パラティウムの丘に向かうクラウディア水道の水道橋が、プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)から延びてきていたはずだ。GoolgeMapの航空写真で調べた限りでは、クラウディア水道は所々に遺構が残っているが、アッピア水道は見つけることができなかった。
メトロニア門(今でも同じ名前)のところから、ラテラーノ教会へ向かうと大きな病院があり、その裏手の軍の病院との間のステファーノ・ロトンド通りの壁がクラウディア水道の水道橋を「再利用」して造られたものだ。一部分は一般住宅の内部の柱に取り込まれているようなところもあり、長い年月の間に街並みに組み込まれてしまったのだろう。
ローマ三大聖堂と名高いサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂を見学する。大聖堂の前の広場、クラウディア水道との間には、ルクソールのカルナック神殿から運ばれたトトメス3世の巨大なオベリスクがそびえている。現存する古代エジプトのオベリスクでは最大のもので、230トンもの重さがあるそうだ。このオベリスクが建てられる前は、カピトリーノ美術館に保存されているマルクス・アウレリウス騎馬像が(中世の間)この場所に置かれていたそうだ。大聖堂の方も由緒があり、4世紀にコンスタンティヌス1世がミラノ勅令でキリスト教を公認したのと同時期に造られた教会が起源だそうだ。12使徒の石像が並んでいる身廊の端には、聖ペテロと聖パウロの聖遺物(頭蓋骨)が収められているそうだ。世界中で聖遺物とされるものは、12使徒の骨の量よりはるかに多く、全く違う骨が間違って奉献されている例も多くあるだろうが、さすがに、ローマ教皇庁直轄のこの大聖堂にあるものは「本物」だろう。
大聖堂を出て東へ向かう。アウレリアヌス城壁に沿って行くと、城壁を作るときに壁の一部に取り込まれてしまったカストレンセ円形闘技場がある。いまは、すぐわきにある教会の庭の壁となってしまっていて、中に入ることはできないが、フェンスの隙間から少しだけ覗くことはできる。
カストレンセ闘技場のすぐ北東には、トラムのターミナル駅にもなっているマッジョーレ門広場がある。すぐわきには、アウレリアヌス城壁を切り崩して、テルミニ駅に入る鉄道の本線が通っている。古代ローマ時代は、プラエネスティーナ門といってプラエスティーナ街道が通過する地点でもあり、クラウディア水道やマルキア水道などアニエネ川上流から導水してきたローマ水道が市街地に入る地点でもある。かつても、今も、交通の結節点だ。
ここから国鉄(トレニタリア)の線路に沿って北西へ伸びるアウレリアヌス城壁は、マルキア水道の水道橋のアーチ部分をコンクリートと煉瓦でふさいだ形で、水道橋を再利用して造られている。近郊鉄道FR1線が、ここからテルミニ駅まで路面電車のように道路上を走っているので、1駅だけ乗車
■ ポルタ・マッジョーレ → サン・ビビアナ (近郊鉄道FR1)
電車は国鉄の線路のすぐわきの道路を走り、円柱型のニンファエウムを避ける形でカーブして1駅目の停留所に到着。そこで下車する。ニンファエウムは古代ローマ時代に造られた水の精を祀る施設だったようだが、現在は観光地でも何でもなく、単に道路の横にある廃墟に過ぎない。巨大な円柱型の建物は、西ローマ帝国内では最大のドームを持つ建物だったそうだ。コンスタンティノープル(現 イスタンブール)のソフィア大聖堂に似たようなものだったらしい。
そこから国鉄の線路の下をくぐる道路を通って向う側に出ると、ティブルティナ門がある。3日前に、ティヴォリに行ったときに通ったローマ街道の起点となる門だ。プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)からティブルティナ門までが、マルキア水道の水道橋を再利用して造られた城壁だ。ティブルティナ門で水道橋は市内に向けて分岐し、泊まっているホテルの近くのヴィットリオ・エマニュエレ広場にある分水施設カステロ・アクアエまで達している。いまは、分岐部分の1本目の橋脚しか残っておらず、テルミニ駅の駅舎を作るときに取り壊されてしまっている。
さて、日も暮れたのでテルミニ駅の向う側の繁華街(?)に戻り夕食。イタリア料理のレストランの店頭に、10ユーロメニューと書かれていたので、そこに入ってみる。リグーリア風パスタと、チキン・グリルのベークド・ポテト添え、ケーキ、飲み物がセットだ。パスタはフルサイズが出てきたので、結構お得なメニューだ。
■ Hotel Acqualium 521号室