2015/09/15

9月15日 バッサーノ・デル・グラッパ、チッタデッラ、パドヴァ

9月15日(火曜日)


朝起きると、外は曇っている。天気予報では晴れだったはずだが、まあ、雨になるよりはマシだ。7時30分にユースホステルの地下で朝食を手早く済ませ、7時50分に歩いて駅に向かう。今日は、バッサーノ・デル・グラッパ、チッタデッラとパドヴァの3か所を回る予定だ。

■ ヴィツェンツァ 08:14発 → チッタデッラ 08:45着 (普通列車,2等運賃 4.05EUR)

ヴィツェンツァ発トレヴィーゾ行きの普通列車。通勤時間帯のみ1時間に1本走っている不思議な路線。ヴィツェンツァを出ると畑の中を15分くらい爆走し、そこから小さい駅にいくつか停車する。チッタデッラの1つ前の駅で、女性の車掌に乗客が絡んで喧嘩して、電車の出発が5分ほど遅れる。

チッタデッラで20分の待ち合わせのはずが、15分しか余裕がない。この15分で、駅から500mほど離れたところにあるチッダデッラの要塞都市を見に行く。

湿度が高いので、小走りに歩いていくだけで汗をじっとりと出てくる。アルプスの北側まで秋の空気が来ているのに、イタリアはまだ夏の空気のままだ。チッタデッラは大砲などの城壁を遠方から破壊できる兵器が発明されるまでに造られた要塞都市で、それほど分厚くなさそうな壁と狭い堀が円形を描いて町を取り囲んでいる。近世になると、砲撃で反撃を行うための星形城塞(二重火線を考慮している)などになるため、こういう古い形の中世の要塞都市も、また興味深いものがある。

ただ、乗り継ぎの15分では入口の門とその周囲の壁と堀をチラッと見るのが精いっぱいだ。


チッタデッラの南北の目抜き通りと南側の城門(時間切れでここで引き返した)

■ チッタデッラ 09:01発 → バッサーノ・デル・グラッパ 09:20着 (普通列車,2等運賃 ヴィツェンツァからの切符が通しの価格)

先ほどまで乗ってきたのは、最新鋭(?)の電車で、今度乗る列車は数十年前の古き良き海外旅行の時代をほうふつとさせるようなディーゼル列車。もちろん、冷房などという粋なものは付いていない。

心地よいディーゼルエンジンの音に揺られながら、20分ほどで終着駅のバッサーノ・デル・グラッパに到着。すぐ隣に、ドイツ方面(?)に抜けていく長距離列車が並走している。駅から北を見ると、もうすぐそこにアルプスの山々が見えている。


チッタデッラから乗車した旧式の気動車(ディーゼルカー)

駅を出て西へ。数分歩くと、旧市街の城壁にぶつかる。城壁に新しく作られた切り欠きがあり、そこを入ると観光案内所などがある。そこを通り過ぎてさらに西へ。

時計塔がそびえるガリバルディ広場。13世紀ごろに建てられたゴシック様式のフランチェスコ教会も、広場を挟んで時計塔の反対側に建っている。地方都市でよく見かける町の中心広場といったところだろうか。この町は、それらの地方都市より少し発展していたのか、中心広場がもう一つ隣接して造られている。そちらはリベルタ広場と称し、ネオクラシカル様式の教会と、天文時計が埋め込まれている建物がある。


ガリバルディ広場の時計塔と噴水

旧市街の北側、ひときわ高い丘の上には城塞と大聖堂がある。なぜ大聖堂が町の中心広場じゃなく、城塞のほうにあるのだろうか…。 Wikipediaによればバッサーノ・デル・グラッパの町が記録として残る最も古いものは、9世紀ごろに城塞があったということが記されている程度らしい。旧市街のひときわ高くなった丘の部分が、歴史的には町の起源であり中心部分だったのだろうか。町の名前は、この地に農園を開いていた古代ローマ人バッサニウスから取ったそうだ。


丘の上の城塞

城塞を少し下ると、アルプスを源とするブレンタ川にぶち当たる。その場所からは、町の対岸を結ぶ橋を見下ろすことができる。この屋根の付いた木造橋「アルピーニ橋」は、16世紀の建築家パッラーディオの設計したものらしい。ヴィツェンツァに多くの建物を残した、有名な建築家だ。Wikipediaによれば、増水で何度も流されては架け直されているそうだ。最盛期のローマ軍団なら、規格化された木造橋なら数週間で架橋できた。恒久的な橋は木造ではなく石やコンクリートで造られているので、容易に流されることはない。古代ローマが滅んで技術知識も散逸し、その挽回は中世16世紀のパッラーディオの時代でも取り戻してはいなかったということだ。


ブレンタ川に架かるアルピーニ橋


あと1時間この町で粘っても、見るべきものはすでに見てしまっているので、要塞都市チッダデッラに引き返すことにする。予定していた列車の1時間前に、パドヴァ行きの長距離バスが出る予定なので、それに乗ることとする。

■ バッサーノ・デル・グラッパ 10:20発 → チッタデッラ 10:50着 (国鉄バス,運賃 2.50EUR)

バッサーノ・デル・グラッパとパドヴァの間は、超ローカル列車が2時間に1本程度、その間に国鉄バスが走っているので、1時間に1本のパターンダイヤ的なものになっている。線路があるんだから、列車を走らせればいいのに。不思議な国だ…。

バスは片側1車線の国道を南へ。交差点の信号のタイミングなのか、郊外型家電量販店などに入る車のためなのか、途中で重体に引っかかる。予定より10分遅れてチッタデッラに到着。

鉄道駅とは真反対側のバス停で降りたので、今朝の乗り換えの時に見た城門とは違う門から城塞都市の中に入る。


壁の上の通路から見た市街地中心部分

チッタデッラは都市パドヴァの辺境要塞として12世紀ごろに建てられたもので、その時点ではヴェネツィア共和国の支配はこの地までは及んでいなかった時代だ。この要塞都市には、東西南北に4つの城門があり、北側の門に展示施設と壁の上に登る料金所がある。展示施設にはこの城砦を守っていた兵士のマネキンなどが飾られていて、また弓矢や石の弾丸の投てき機などの模型もあり、城塞が想定していた敵の装備がだいたい推測できる。Wikipediaによれば、城壁は石や煉瓦で作った壁の内側に、石などの詰め物を放り込んだ構造だそうだ。壁の厚さは2.1m、高さは約15m。古代ローマのアウレリウス城壁と同じような構造だ。オスマントルコのような強力な軍隊が攻めてくることは想定してないので、中世のこの地域ではこの程度のものでよかったのだろう。


城壁と門

展示館と壁の上に登るための入場料は5ユーロ。見学コースは城塞を反時計回りに1周、約1.7㎞程歩かないといけない。12時01分発の列車に乗らないといけないため、そんな距離を歩いてはいられない。壁の上に登っている人は皆無なので、ちょっと4分の1週ほど逆走して戻ってくる。

■ チッタデッラ 12:01発 → パドヴァ 12:50着 (普通列車,2等運賃 4.05EUR)

冷房のない気動車、車内は蒸し風呂のように暑い。窓を全開にしても、外から吹き込んでくる風自体が蒸し暑い。この時間帯に通学なのだろうか、女子高生の集団が乗っている。列車は、ほぼダイヤ通りにパドヴァの駅に到着。

駅前にマクドナルド発見。近くには切り売りのピザ屋などの別の選択肢はなさそうなので、値段が高くて味もいまいちだがマクドナルドに入る。ビッグマックセットが7.2ユーロ。日本政府が国民資産の4割が消滅するような通貨安政策をとったため、もはやマクドナルドが1000円以上という無茶苦茶な価格設定にしか思えない。イタリア内で考えても、切り売りのピザ屋で飲み物をつけても5ユーロもしないので、もはやマクドナルドは「味の悪い高級品? 割高感で罪悪感まで覚える」の地位を確立しつつある。

駅前から市内中心部を目指す。5分くらい歩いただろうか、アレナ広場(円形闘技場広場)という公園がある。公園の一角に有名な教会があり、それに隣接する美術館とともに闘技場跡地をフェンスで囲んで入れなくしている。古代ローマ遺跡に現代美術館をセット販売するとは…


円形闘技場の楕円形の壁と、現代芸術の展示品

それでも、フェンスの隙間から円形闘技場を見放題なのはありがたい。闘技場の楕円形の壁が1枚だけ残っている。この楕円形の壁は、闘技場の客席の最前列部分なのだろうか…。

さらに市街地中心へ向かう。旧市街の中心は、ラジョーネ宮という中世の裁判所跡だ。現在では地上階は公設市場で、上層階は博物館になっている。地下にはローマ時代の建物の遺構もあるそうだが、今回は見て回るだけの時間がないのでパス。ラジョーネ宮の南北に隣接する広場は、野菜などの露店市が出ている。少し西へ行くと、シニョーリ広場という、ここもまた旧市街の中心広場となっている。広場の西端には、この街がヴェネツィア共和国の支配下にあったことを示すライオンの像が載った円柱が立っている。


ラジョーネ宮と露店市

旧市街の南端の聖アントニウス教会を目指す。大聖堂シニョーリ広場の南側にある大聖堂よりも大きな、この街最大の教会だそうだ。聖人アントニウスの墓もある有名な巡礼教会だそうだ。内部の写真撮影は不可。


回廊から見た聖アントニウス教会

14時56分の列車に乗るために、駅へ急ぐ。10分前に駅に到着したら、14時40分発の快速列車が遅延して、そろそろやってくるということだ。運がよく、遅延した1本前の快速列車に乗車。

■ パドヴァ 14:50発 → ヴィツェンツァ 15:05着 (快速列車,運賃 4.05ユーロ)

インターシティ(現在のフレッチャ・ビアンカ)と同じく、大きな都市の駅しか停車しない快速列車は、猛スピードで次の停車駅ヴィツェンツァまでノンストップで走る。わずか15分でヴィツェンツァに到着。

おととい夕方に見れなかった、オリンピコ劇場に向かう。古代ローマの劇場を復元して、現代の演劇場としたもので、舞台背後の彫刻の飾られた壁も「忠実に」復元していることで有名だ。ここまで完璧な形で残っている古代ローマの劇場跡はないため、ここを見れば歩い程度かつての姿を推測できる参考とはなる。


オリンピコ劇場

次に、自然史博物館へ。入館料は、先ほどのオリンピコ劇場で美術館共通券(15ユーロ)を買っているので、個別には買う必要がない。閉館10分前だったので、すでに戸締りを始めていたところだった。まだ開いている展示室を、5分だけなら見てよいということなので見学する。入口左側の展示室は、オリンピコ劇場の発掘で出てきた大理石の彫像や建物の化粧板が飾られている。右側の展示室は、古代ローマの住宅跡から発見された床のモザイクだ。自然史博物館なのに、古代史博物館になってしまっているのだろうか。


オリンピコ劇場(古代ローマ劇場跡)から発掘された彫像


古代ローマの邸宅跡から出土したモザイクタイルの床

いったんユースホステルに戻り、ここ数日汗をかきまくった服をコインランドリーで洗濯。7ユーロ。その後、夕暮れの街に戻り、シニョーリ広場で夜景の撮影。


シニョーリ広場の夜景


夕方時点での気象衛星写真 そこらじゅう雲だらけ


■ オステロ・ヴィツェンツァ 201号室 (30ユーロ/1泊・ツイン)