2009/12/23

12月23日 上海

12月23日(水曜日)

■ 上海

今日も上海市街地をうろうろと観光することにする。8時過ぎ、人民広場駅よ
り地鉄8号線に乗り虹口足球場(ホンコウ ツゥキュウチャン)駅で下車(運賃
4元)。駅から地上に出ると、サッカースタジアムとの間に地鉄3号線の高架橋
が架かっている。地下がだめなら、高架にしてでも地下鉄を無理やり通してし
まったという感じで、駅舎が5階建てビル並みに高いところに見えている。


魯迅公園でダンスをする人々


魯迅公園(ルーシュン コンユェン)に入ると、林の中でたくさんの人が太極
拳ではなく、音楽にあわせて社交ダンスのようなものをしているのが見える。
405組のグループが、それぞれ違う音楽を流して、それにあわせて踊っている。
「静と動」よりも、踊れればもう何でもいいということなんでしょうか。 少
し離れた中日友好モニュメントの前でも音楽に合わせて踊っている人たちがい
る。 公園の通路では、筆に水をつけて道路に文字を書いて習字の練習をして
いる人もいる。さすが、文学人魯迅の墓がある公園だけあって、文学的なこと
もやっているようだ…。

魯迅公園の園路で書道
魯迅公園の園路で書道


公園内には魯迅記念館(入場料は無料)もあって、魯迅直筆の原稿などが展示
されている。(私は魯迅の作品をこれまで読んだこと無かったと思うので、今
度図書館で借りて呼んでみよう…) そのほか、上海天長節爆弾事件(1932年
に起きた爆弾テロ事件の犯人、尹奉吉の記念碑が梅林にあるらしい。入場料15
元と入り口に表示されていた)の場所でもあるようだ。当時は虹口公園と呼ば
れていたようだが…

魯迅公園を出て、南へ向かう。このあたりは第二次世界大戦前は「日本軍警備
区域」で、一種の「日本租界」のような地域だったそうだ。四川北路の南端に
ある電脳城の横に古い門があり、そこから南が歴史的街区としてアンティーク
ショップが軒を並べるなど、観光地化されている。戦前の建物も結構残ってい
て、「日本人家屋」であった建物も改造を経て現在でも使われている。

その多倫路には、20世紀初頭の文化人(もちろん魯迅も含まれる)の銅像が何
体か建てられているが、そのうちの一つが当時の文化サロン的役割を果たした
内山書店の主の内山完造の像もある。)

再び虹口足球場駅に戻り、地鉄3号線に乗り除家匯(シュージャーホイ)を目
指す。といっても単にその駅で降りるのでは観光にならないので、3号線の宜
山路駅で降りて歩くこととする。宜山路駅のような郊外の駅でも、周辺は上海
万博関連の工事だらけ。 除啓公園あたりまで来ると、周囲の工事の雑音が少
しは聞こえにくくなる。公園の真ん中には、なぜか巨大な十字架があり、明の
時代の天文学者 除光啓の墓もある。公園の横には上海気象台もあって(名前
から想像するよりずっと小さい建物)、その入り口には公園にあるものよりも
立派な銅像があったりする。

除光啓の墓の前で碁を打つ人達
除光啓の墓の前で碁を打つ人達


公園の北側には除家匯天主堂(ゴシック様式の教会)があり、周囲の雰囲気か
ら浮いている。教会のような西洋的なものがあると、必ずといっていいほど
「中国人の結婚写真」を撮影する人たちが居る。こういうものだけ、彼らの合
理性は発揮されないようだ。合理的に考えれば、コンピュータ グラフィック
スで写真を「作成」した方が手っ取り早く安いはずだ。(撮影に行く必要も、
カメラマンを雇う必要も無い)

除家匯天主堂で結婚写真の撮影
除家匯天主堂で結婚写真の撮影


大混雑する除家匯の繁華街に足を踏み入れる。お持ち帰りの点心の店で、巨大
なゴマ団子を買い(3.5元)、昼食とする。除家匯交差点の角にある電脳城を
チラッと覗いてみる。最近はメーカー製のノートパソコンと、アップルのipod
など出来合いの製品が並べられているだけなので、わざわざ見学するまでも無
い。(以前は、中国にしかないような摩訶不思議なコンピュータの部品や、著
作権無視のCD-ROMなどが売られていたこともあった)


科技京城電子市場前の交差点を電動バイクが行き交う


電脳上を見たついでに、電子部品のほうも久々に見物したくなった。地鉄1号
線に乗り、人民広場駅まで戻る。電子部品城は、南京東路の数百メートル北に
並行して走る北京東路にある。周辺は電気工事のための電気部品や工具類を売
る店が軒を連ねている。こちらは見てもなんのことやら分からないので、パス。
目的の科技京城電子市場へ。こちらは出来合いの製品ではなく、ちゃんとICや
電子部品など、電子制御基盤を作るのに必要なすべてのものが販売されている。
 以前は、こういうのは秋葉原が世界最大級だったが、現在では中国にあるこ
のような電子城が世界最大級じゃないだろうかと個人的には思おう。

2009/12/22

12月22日 上海

12月22日(火曜日)

■ 上海

上海を「観光」モードで歩いてみようと思う。 天気予報では晴れのち曇りの
はずが、一日快晴だった。

8時過ぎ、人民広場駅から地鉄2号線に乗り、黄浦江を挟んだ対岸の浦東に渡る。
陸家嘴(リュジャーチ)駅で下車(運賃3元)。通勤の人の流れに沿って地下
鉄の駅から出ると、目の前に東方明珠塔の正面入り口がある。朝もやではなく、
砂埃なのか黄砂なのか、快晴なのに薄い黄色のベールに包まれている。平日で、
観光の季節でもないので、東方明珠塔の入り口には誰も並んでいない。傍らを
通り過ぎて、黄浦江沿いの公園(浜江大道という名前らしい)に出る。対岸の
外灘(ワイタン)が、これまた黄色くかすんだもやなのかに見える。黄浦江は
干潮で泥の干潟が広がっている。干潟のごみを拾う作業員が何人か川の中を歩
いている。

黄浦江沿いの公園には中国人団体ツアー客が20人くらい居ただけで、ほかには
誰も来ていない。3日前に行った豫園商場にはたくさん観光客が着ていたが、
商店が無いこういう場所は人気が無いんでしょうかね。 川沿いの公園を南へ
向かう。途中からは高層アパートの横の道に出てさらに南へ。15分くらい歩く
と、ちょうど上海で最も高い環球金融中心ビル(日本人的には上海 森ビルの
呼称のほうが有名か)がちょうど目の前に見える位置に出る。今日の目的は、
この環球金融中心ビルの展望台に登ることにある。

環球金融中心ビルの西側には、さらに高いビルが現在工事中で、地下深く穴を
掘っている。環球金融中心の見学者入り口から入り、100階展望台への入場料
150元を払う。 単なるビルに150元(2000円)も払うなんて、相当気合を入れ
て観光モードで来ない限り、入ろうと思わないようなボッタクリ価格。 とい
うことで、今回初めて100階の展望台に登りました。地上474mということで、
ちょっとした山の高さのレベル。高層マンションに住んでいる私でさえ、この
高さの景色はすごいです。

環球金融中心100階展望台からの眺望
環球金融中心100階展望台からの眺望


30~40階建てのマンションが「ゴミのように小さく」見えるわけです。作業員
がゴンドラに乗って屋外を登って来ている。怖いとか、そういう感覚を通り越
した高さなんじゃないですかね。すぐ横に建っている88階建てのビルでさえ、
下の方に見えるんですから。

展望台からエレベーターで降りたところに郵便局がある。3日前に買った0.8元
の切手がすでに印刷されている年賀葉書を日本に向けて発送する。1枚あたり3.
7元の追加料金が掛かる。つまり、日本までの葉書は1枚あたり3.7+0.8=4.5元
掛かる。

東昌路駅まで歩き、地鉄2号線に乗る。プラットホームには列車がすでに停まっ
ており、なぜか一向に発車する気配が無い。車内放送で、1号線が列車故障で
停まっているというアナウンスがある。 なんで、2号線のこの列車まで停まっ
てるわけ? 数分したら列車が動き出した。人民広場駅で下車。改札口がすべ
て開放されて、下車時の切符検査が省略されてしまっている。


人民広場駅から新天地まで歩き、さらにそこから復興公園のあたりまで歩く。
この地域でもっとも有名そうな場所が、孫文(こちらでは孫中山と呼ばれてい
る)の住んでいた住居が博物館として公開されている。入場料20元。近くには
周恩来の旧居も公開されている。こちらはなぜか入場料無料。 また、19世紀
初めに建てれらたフランスクラブが、現在でも上海市科学堂として残っている。
こちらは公開されていないようだが、入り口が開いていたので中に入って写真
だけ撮影した。

大韓民国臨時政府址
大韓民国臨時政府址


日本のガイドブックには掲載されていない名所として、大韓民国臨時政府舊址
もある。(韓国人用のガイドブックには掲載されているようだが…) ウィキ
ペディアによれば『1919年に朝鮮の独立運動を進めていた人々によって中国の
上海に創設された』となっている。当時朝鮮半島全域は日本国内だったので、
いわゆる国際法上の「交戦団体」というような意味合いのものなんでしょうね。

淡水路の野菜屋店頭の子猫


淡水路の野菜屋店頭の子猫


その後、共産党第一次党大会址を見て(こちらもなぜか入場料無料)、ホテル
に戻る。(観光地があまり無いといわれている)上海でも、観光するぞと気合
を入れてみれば、結構面白いですね。 夕食は、地球の歩き方に「小龍包」が
有名だと書かれているので、南京路の周辺を歩いて地元の人でにぎわっている
小龍包屋に入ってみる。さすがに日本で食べるのとは少し違う、あっさりした
味に仕上がっている。8個で12元。 これだけでは足りないので、定食屋で9元
の定食を食べる。

浦東の夜景(外白渡橋より撮影)
浦東の夜景(外白渡橋より撮影)


夜、浦東の夜景を撮影に行く。川沿いの黄浦公園は全面閉鎖されているので、
外白渡橋から撮影。中山路は工事でものすごい砂埃。こりゃ、観光どころでは
ない。

2009/12/21

12月21日 杭州

12月21日(月曜日)

■ 上海

今日は杭州に日帰りで行く予定。列車が8時に上海駅を出るため、昨日より30
分ほど早く行動開始。7時少し前に東亜飯店の北側の筋にある麺類屋で「辣肉
面(ラーローメン:7元)を食べてから、地下鉄の人民広場駅へ。 上海火車
站(上海駅)には十分余裕を持った8時30分ごろに到着。 D5653次の乗客に指
定されている第三候車室(待合室)で待っていると、入場が締め切られる発車
5分前になっても検票(改札)が始まらない。 大量の乗客が入場口を見つめ
る中、電光掲示板に「約晩至8:20開」が表示される… 上海始発なのに、遅れ
るわけ?

今日もやって来たのはボンバルディア製をコピーしたCRH1型の高速列車。上海
を出て、市街地の外を大きく迂回して南に向かう。高速列車なのに、時速
180km/hくらいしか出さない。線路の状態が悪いか、新空調車などの普通の列
車が前に居てスピードが出せないのだろうか…。 すぐ東側に平行して高速鉄
道の高架橋の建設現場が、杭州までずっと平行して続いている。 高架橋のコ
ンクリート橋脚を造っているのが手に取るように見えるが、その鉄筋が明らか
に「まばら」というか、細い鉄筋で楕円形をした橋脚の表面の形がかろうじて
保てる程度の骨組みを造っているだけというか。 地震に耐えなくて良いので、
日本とは違う強度基準なんだろうか。 (それとも、単に日本がオーバースペッ
クのものを作っているだけという可能性もある)

嘉興、南寧に停車して、出発から1時間45分後の10時05分に杭州駅に到着。


■ 杭州(ハンジョウ)

駅を出ると、普通の中国の大きな駅前広場等感じではない。何かのビルの前で、
高速道路か何かの高架橋が架かった下に出てきてしまったという雰囲気だ。は
て、どちらが観光地(西湖)の方向なのか…  そのあたりの様子を伺ってい
ると、通りがかりのおばさんが、ちょうど目の前に停まっているK7系統のバス
に乗って4つ目の「湖畔」というバス停で降りたらよいと教えてくれる。

運賃2元払って、K7系統のバスに乗る。バスは10分おきくらいに走っているよ
うで、湖畔までは約15分ほど。途中、中層ビルの建ち並ぶ市街地中心部らしき
ところを走る。何のモニュメントかは分からないが、記念写真を写す集団のよ
うな「銅像群」が展示されている場所があった。

湖畔バス停で降りて、中国工商銀行があったのでATMで400元ほどクレジットカード
でキャッシングしておく。(昨日のように、入場料が意外に高い可能性がある
ため)

西湖の遊覧船
西湖の遊覧船


湖の周囲は遊歩道になっていて、中国っぽくないような雰囲気になっている。
遊覧船らしき中国風の屋根を乗せた派手な船が停泊している。切符売り場で聞
いてみると、湖の中央にある三潭印月の島まで行く船らしい。周囲十数キロメー
トルの湖畔に分散して観光地があるようなので、とてもじゃないけど歩いては
回れない。渡りに船とはこのことで、遊覧船に乗れば名所の1箇所目にたどり
着けそうだ。 運賃と三潭印月の入場料込みの券を45元(610円)を買う。25
分おきくらいに出発するようで、次は11時10分とのこと。しばらく湖畔の遊歩
道を散策してみる。 中国楽器の生演奏でカラオケをしている人がいたり、手
漕ぎのゴンドラの客引きが居たりする。 手漕ぎの船で数キロメートル向こう
の島まで行くのだろうか…

11時10分に遊覧船が出発する。 今日は最高気温が9℃まで上がるらしく、屋
外のデッキに立って景色を眺めていてもそれほど寒くは感じない。西湖の東側
には延々と杭州市のビル群が連なっている。遊覧船が手漕ぎのゴンドラを追い
越す。何分ぐらいかかるんだろうねぇ…。20分ほどで島に到着。

三潭印月
三潭印月


17世紀、明の時代に埋め立てられた人工島らしい。当時から埋め立てなんてやっ
ていたのか…。 人工島だけあって、中国人の考える「中国庭園の美」を追求
したものなのだろう。確かに、小さな島の間を結ぶ桟橋の上を歩いていると、
楽しいような何というか…。

湖の南側に大きな寺院の塔が見える。その塔も名所のようなので行ってみるこ
とにする。きたときとは違う船着場に、今度はまったく普通のデザインの渡し
舟が待っている。中国人団体客が来て満員となり、12時10分に出航。10分ほど
で湖の南にある船着場に到着。 入り江には遊覧船の親玉のような、金ピカの
巨大な龍の頭が付いた遊覧船が停まっている。小さな渡し舟に囲まれた親玉の
遊覧船は、シューティングゲームの難攻不落のボスキャラのようにも見える。
 中国人の感性は分からんわ…

雷峰塔
雷峰塔


巨大なお寺の塔(雷峰塔)入り口に到着。入場料40元。やっぱり値段高いなぁ。
 入り口から中に入ると、塔のある陸の上まで一直線にエスカレーターが付い
ている。 さすが、中国の観光地はお客様を疲れさせたりしない、この過保護
さが巣晴らしい。 10世紀に建てられた塔は、20世紀前半に崩壊して基礎の部
分のレンガがわずかに残っているだけ。今見えてるのは、鉄骨造で、内部には
2基のシースルーエレベーターがある近代的な建造物。  寺の塔に見せかけ
て展望台を造って、40元ってのはないんじゃないというのが率直な感想。 中
国人の美学では、オリジナルより近代化した塔の方が価値があるのだろうか。
その感性、分からんわ…。

帰りの列車の時刻が迫ってきた。塔の前の幹線道路にバス停がある。ちょうど
循環バスY2系統が来た。3元払って乗る。バスは駅と反対方向に走り出し、湖
を挟んで街とは反対側の軍人病院(終点)で運転を打ち切ってしまう。循環し
ないの? と思っていると、車掌の女性が残りの客を引き連れてK7系統の市バ
スに案内してくれる。 西湖湖畔に来るときに乗ったバスの終点でもあるよう
だ。 結果としてバスで湖を1周したことになる。

大渋滞の杭州市街地を抜けて、約30分掛かって杭州駅に到着。14時55分発の列
車の改札はすでに始まっている。今回も、CRH1型ということで、今回の旅行で
乗った動車組の車両はすべてCRH1ばかりだった。 この地域ではCRH1が一番多
く走っているのだろうか。車窓を見てると、たまに日本の新幹線のパクリの
CRH2型も稀にではあるが見かける。

朝からのまず食わずだったので、車内販売の「キリン 午後の紅茶」のペット
ボトルを買う。値段6元は良心的価格なのかどうかは分からないが、長距離列
車のような「弁当」を売りに来てくれないのは少々さびしい。

■ 上海

16時20分、上海南站に到着。地下鉄1号線で人民広場まで戻り(運賃4元)、ウ
イグル料理屋で牛肉チャーハンとラーメンを注文。店員が、「2人前も食うの
か」と聞いてくるが、昼飯兼夜飯なので、2人前要るのだと強調しておいた。2
人前食っても、17元と日本人の感覚では全然高くはない。その後、串焼き屋で
シシカバブ1本(2元)を食ってるので、食べすぎではあるかもしれない。

外灘(ワイタン)を念のために見に行く。上海万博のためという工事が延々と
続いているが、今日も工事中。建物のライトアップも行われておらず、「観光
客お断り」状態は相変わらずだ。 対岸の東方明珠塔のライトアップも消され
ており、「エコ」が徹底されているともいえる。

2009/12/20

12月20日 蘇州

12月20日(日曜日)

■ 上海

今日は蘇州へ日帰りで行く予定。7時、ホテルのあるビルの北側の广西路にあ
る麺類屋で肉絲菜炒面(ロースーツァイチャオメン。分かりやすく言えば焼き
うどん)を食べる。8元(110円)。8時過ぎに人民広場から地鉄1号線に乗り、
上海火車站(上海駅)へ。

上海火車站に停車している動車組 CRH1
上海火車站に停車している動車組 CRH1


今日乗る動車組 D5410次 南京行きは、カナダのボンバルディア社製の高速列
車をコピーしたCRH1型車両。座席指定の7号車へ。車内は満員。自動券売機で
ほとんどの列車が売り切ればかりという状況が良く分かる。列車は定刻の8時
52分に出発し、上海万博関連かどうかは知らないが、工事中だらけの路線をの
ろのろと走っていく。市街地を出たあたりからスピードを上げて、時速230km/
hほどで走り出す。日本や欧州のように専用軌道を走っているわけではなく、
今までの長距離路線の線路をそのまま使っているので、切符をこれだけ安く売
ることができるのだろう。途中ですれ違う列車も、日本の新幹線の劣化コピー
版のCRH2型や、旧来から走っている長距離用の新空調車など様々。

途中、昆山駅に停車して、蘇州には9時35分に到着。15両編成の列車に乗って
いた半分くらいの乗客が降りている模様。


蘇州駅に停車する動車組 CRH1



■ 蘇州(スージョウ)

駅を出ると、駅前広場というか、建物が何もない。市街地から離れたところに
駅があるようだ。旅遊会社の客引きやら、タクシー、三輪バイクなど様々な客
引きが現れる。今日は時間もあることだし、徒歩で行くと決めていたので客引
きはすべてお引取り願って、歩いて市街地の方向を目指す。 地図がないと困
るので、駅の前にたむろしている地図売りから、交通地図(5元)を買い、歩
き出す。

報恩寺
報恩寺の門と北塔


市街地を囲む堀なのか、川なのかは知らないが、外城河を渡る橋(平門橋)を
渡って市街地に入る。駅から一番近い場所にあるはずだが、遥か向こうに見え
る塔(報恩寺 北塔)を目指す。地図上では近そうだが、歩いて20分ほど掛かっ
て報恩寺に到着。入場料25元(340円)。案外入場料高いぞ…。今から1800年
ほど前の呉の時代に建てられた寺ということで、9重の塔は900年前の南宋の時
代のものらしい。まあ、どっちにしてもかなり昔だということくらいしか私に
は分からないわけだが…

塔に登ってみると、木造と思っていたが、3階くらいからレンガ造りのレンガ
がむき出しになっている。塔の上から見下ろすと、近隣は3階建てくらいの住
宅が碁盤の目に建ち並んでいる。家々はどれも白い漆喰が施されていて新しそ
うに見えるが、実は古いのだろうか…。


次に、蘇州では有名らしい拙政園へ。地図では2ブロック西ということだが、
これまた遠い。15分ほど歩いて、観光客用土産物屋に囲まれた拙政園の入り口
に到着。こちらは入場料50元(670円)。中国の物価価値からすると、べらぼ
うに高い金額ではないだろうか。ベルサイユ宮殿並みの見所の数々を期待して
はいると、単なる中国式庭園だけなので、50元の価値が… と思ってしまう。
この庭園が蘇州にある数多くの庭園の中で最大のもので、明の時代に作られた
ものといわれても、東京の皇居東御苑が無料なのとつい比べてしまう。

ガイドブックの写真ではハスの葉に覆われた池と、その池に浮かぶ島に建てら
れている中国式東屋という景色が印象的だが、なにぶん真冬なので、ハスはす
べて枯れて池には何も入っていない。

それでも迷路のように配置された東屋を結ぶ回廊をめぐりつつ、変な形をした
岩の置物などを眺めながら庭園をぶらぶら歩くと、案外時間が掛かったりする。

迷路の庭園を巡って、思想を巡らせてくださいという深い意味なのだろうか。
氷点下かどうかというくらいの寒さの真冬では、思想よりも鼻水の方が先に出
てきてしまう。それにしても、たくさんの中国人が入場しているが、これがベ
ストシーズンの春や秋だとどれくらい混雑しているのだろうかと思う。


獅子林
獅子林の庭園


その後、庭園をさらに獅子林、怡園と2箇所めぐる。それぞれ微妙に風情が違
うが、どれも池と中国式東屋、奇岩の置物という組み合わせは同じだ。(それ
が中国式庭園というものなのだろうか…)

蘇州の繁華街である観前街へ。観光客用の地区はあるが、家電品などの巨大デ
パートが建ち並んでいる。日曜だからか、ものすごい数の人が歩いている。昼
食は、観前街から少し西へ行ったところにあるウイグル人のレストランへ。店
の看板にはイスラムでは必須の「清新(ハラール食品を使っている意味)」の
文字も入っている。紅焼牛肉面(8元)を食べる。包丁で切ったのではない、
手で伸ばして作った本物のラーメン。

双塔を見に行ってから、16時過ぎにバスに乗って蘇州駅に戻る。

17時19分発の列車は遅れているようで、待合室に入ってから15分遅れと電光掲
示板に表示されている。高速列車でも、遅れが出るのか…。時速200km/h以上
で走る列車が、ばらばらの遅れでやってきて同じ線路を走っているのだから、
ダイヤの調整も大変なのだろうか。(それとも、適当に間隔をあけて走らせて
いるだけとか…) 上海には18時25分到着。

2009/12/19

12月19日 上海

12月19日(土曜日)

■ 上海 浦東機場(シャンハイ プートン ジージャン)

真冬の寒さの日本を出て2時間30分、中国国際航空のB737-800は定刻どおり
11時ちょうどに、上海 浦東空港に到着した。関空を飛び立って以来、東シナ
海上空まで真冬の雪雲がずっと続いていたが、中国大陸から数十キロメートル
の位置で雲が切れて快晴となっている。機内アナウンスでは上海の気温は氷点
下1℃らしい。日本も今日が寒波の底になるので、こちらも同じような感じで
寒さの底なのだろうか。

今回の旅行の荷物は、ノートパソコン用のIBM印のショルダーバックとカメラ
とガイドブックが入ったポーチの2つだけなので、すべて機内持込済み。飛行
機を降りて、入国審査をさっと通過して、荷物受け取りに並ぶこともなく空港
を出る。 空港ターミナルからやや離れたところにある磁浮(リニアモーター
カー)の駅へ。往復80元(1080円)の切符を購入。完成直後には、ほとんど乗
客が居なかったリニアモーターカーも、最近では満員近くの乗客を乗せている。
80元の価値が中国人にとっても妥当な値段になってきたということなのだろう
か。

ウイキペディアの『上海トランスラピッド』では、最高時速430km/hと謳って
いると書かれているが、車内の速度計は302km/hの巡航速度が最高速度だった。
空港駅から地下鉄龍陽路(ロンヤン ルー)駅まで7分ほどで、30kmの距離を結
んでいる。さすが、ドイツ製のリニアモーターカーの効果というか…

大阪市が関西空港との間にリニアモーターカーが欲しいというのも分かる気が
する。ただ、日本でやるとなると運賃が中国の10倍くらいなので、往復1万円?
 まあ、無理でしょうねぇ。


■ 上海

龍陽路駅で4元の切符を買い、地鉄(地下鉄)2号線で市内中心部の人民広場
(リンミン ガンチャン)へ。龍陽路駅の自動券売機は動いていなかったので、
售票処(窓口)のみ。果たして漢字が読めない外国人が購入できるのかと思っ
て、私の後ろに並んでいた西洋人の様子を見てみると、"people's square" で
購入できていたようだ。 最近の窓口の人は英語通じるんだ…

人民広場駅から南京歩行路へ。そのど真ん中辺りにある東亜飯店が今日から5
日間泊まるホテル。20世紀初頭に建てられた上海時装公司ビル(第二次大戦前
は先施公司ビルと言ったそうだ)の中にあり、1泊198元。チェックイン時の
『押金』のクレジットカードチャージ額は1100元だったりする。若干多めやね。
(フロントのお姉さんは、後で返すからレシートなくさないでねと強調してい
たが)

部屋に荷物を置き、外へ。南京路から東へ福建中路を少し行った所にある食堂
で「'虫毛'油牛肉面(ハユニュウロウメン)」(' '内の文字は1文字)を食べ
る。「虫へんに毛」なので、どんなのが出てくるかと思ったら、普通のロース
とビーフの薄切りが乗っかったラーメンだった。値段8元(110円)。郵便局が
近くにあったので、年賀葉書(新年明信片)を買う。0.8元の切手がすでに印
刷されており、1枚2.88元。

上海火車站
上海火車站 南口


地鉄1号線に乗り、上海火車站(上海駅)へ。運賃3元。明日と明後日、それぞ
れ日帰りで蘇州・杭州へ行く切符を買いに来た。地下鉄を降りて地上へ。駅の
出口を振り返ってみてみると、SADWAY…。なんのこっちゃ。高速鉄道(動車組)
が運行されるようになってから出現した「自動售票処(自動券売機)」。駅の
窓口や旅社でしか購入したことないので、今回初めて使ってみる。座席番号が
まったく選べないのを除いて、普通に切符購入できる。ただ、端末機の反応が
めっぽう遅く、満員でない列車を選んでも満員とダイアログが表示されたり、
プログラムの作りこみがいまいちな雰囲気。ただ、今後には大きく期待が持て
るシステムだなとは思った。

・12/20 D5410次 上海→蘇州 2等座:26元(所要時間41分)
・12/20 D5473次 蘇州→上海 2等座:26元
・12/21 D5653次 上海→杭州 2等座:63元(所要時間1時間47分)
・12/21 D5670次 杭州→上海南 1等座:64元

動車組は「和諧號」といって日本やドイツの高速列車の劣化コピー版らしい。
劣化コピーであったとしても、最高時速300km/hの列車に1時間45分も乗車して、
たったの850円はすごくお値打ち価格だ。劣化コピーとはいえコストダウンの
工夫はさすがだ。


再び地鉄に乗り人民広場へ戻り、そのまま南東へ歩く。豫園(ユーユェン)商
場へ。一応観光地を見ておこうということで向かう。途中、沈香閣(シェンシャ
ンゴースーミャオ)の入り口があったので入ってみる。明の時代に建立された
寺だそうだが、現在のものは1989年に復興されたもの。尼寺だそうで、今日も
奥の本殿で、尼僧が集まってお経を上げていた。

豫園商場
豫園商場


豫園商場は、本当に観光客だらけ。まあ、こういうのもいいんじゃないのかな
という程度で見てまわる。このショッピングエリアで数件だけ、地球の歩き方
に紹介されている食べ物屋がある。ものは試しにと入ってみる。陳列されたお
かず類をトレーに乗せて、レジで清算する形式。粥と鳥の手羽肉のフライと、
蒸し餃子を取ってみたが、粥はさめて冷たくなってるし、鶏肉は骨ばかりでフ
ライの皮がむちゃくちゃ分厚く、その上冷めてるし… これはとんだ食堂です
ね。80元もしたんだけど…。 さすが、現在でも地球の迷い方の称号は返上で
きてないな。

大通りでたまたまやって来た926系統バスに乗り、南京東路へ。吉野家があっ
たので牛丼大盛を食べる。さすがに、「ギュウドン オオモリ」は通じなかっ
たな。「ニュウロウファン ダイ」では、旨さが半減する。味噌汁を付けて22
元(300円)。

南京東路(上海時装商店付近)の夜景
南京東路(上海時装商店付近)の夜景



南京東路(世紀広場付近)の夜景
南京東路(世紀広場付近)の夜景



南京路北側のあまり観光客が行かなさそうな地区にある食堂の入り口に「日式
相撲火鍋面」というポスターがあったので入ってみる。(食べ過ぎだって…)
出てきたのは、案の定ちゃんこ鍋。カレー味のだしに、讃岐うどん、竹輪やつ
みれ団子、トンカツ、もちのスライスしたものなど、日本を代表する食材が無
理やり詰め込まれている。12元(160円)。観光客が行くフードコートで80元
も出して食えたものではなかったのに比べ、12元で十分おいしい食事というの
はどうなんだろうか。

2009/10/06

10月6日 ベルリン

10月6日(火曜日)
■ ベルリン
朝から、雨。7時にアパートを出発して、ウォリナー通りのトラム停留所へ。トラムが走り去るのが見えたので、仕方なくベルナウ通り地下鉄駅まで歩く(10分ほど掛かる)。地下鉄8号線で市内中心部と反対方向のオスロアー通り駅まで行く。ここで、市バス128系統に乗り継げば、ベルリン・テーゲル空港へ行くことが出来る。市内中心部をまったく通らないので、バスも渋滞にまったく遭遇することなく、定刻どおりテーゲル空港に到着。7時45分。

テーゲル空港。初めて利用するけど、欧州随一の技術大国ドイツの首都空港とは思えないような安っぽさ。なんか、古い建物を増設しまくって、ぐちゃぐちゃになったって感じ。狭いし…

9時55分のエールフランス便でパリのロワシー空港へ。上空から見ても、曇りと晴れの領域が入り混じって、微妙な天気なんだなという事が分かる。

■ パリ
今回は2時間の乗り継ぎ時間。ベルリンよりかなり暖かく(暑く)感じる。ベルリンからの便はDターミナルに到着したので、フランス鉄道の駅をはさんだ対面にあるEターミナルまで行く。出国審査、これまたものすごい長蛇の列。30分以上は並ばないといけない。その後に控える荷物検査も20分待ち。 通過するだけで1時間も掛かるぞ、ヴォケ。 大量の乗り継ぎ客を集めて儲かってるんだから、出国審査の審査官や、X線チェックの警備員を大量増員して、さっさと捌いてくれと思う。 こういうのを見ると、破綻していても関西空港のような閑散としたところがうらやましい。

2009/10/05

10月5日 ベルリン

10月5日(月曜日)
■ ベルリン

天気予報が当たったようで、晴れている。市内交通1日券(6.1ユーロ、810円)を買って、ベルナウ通り駅からアレクサンダー広場駅まで地下鉄で行く。列車はそれほど混雑していなかったが、アレクサンダー広場駅はいろいろな路線が集まってきているので、すごい人の数だ。駅から出る人よりも、乗り換えの人が多いようだ。駅前は閑散としている。オフィスビルとか、この地区には無いんですかね…

駅を出ると、目の前に、空高くそびえ建つテレビ塔がある。1969年に建てられた塔は高さ368mもあるらしい。この景色は東ドイツ時代と同じだ。だれも歩いていないウンター・デン・リンデン通りを西へ。ブランデンブルク門の方へ歩く。

マルクス、エンゲルス像とベルリン大聖堂のクーポラ
マルクス、エンゲルス像とベルリン大聖堂のクーポラ


ベルリン大聖堂には、これまで入場したことがなかったので、入ってみる。入場料5ユーロ(660円)で、トイレはさらに0.4ユーロ取るというぼったくり価格だが、入場料でクーポラの上まで登れるので、(普通は別のチケットが要る場合が多いので)お得な価格なのかもしれない。この大聖堂も、ドレスデンで見たのと同じく、新しく改装されている。どうも、ドイツ人は忠実に過去の状態を復元するという事を好まないようだ。

クーポラに登る。階段は、もちろん新しい。それなら、大阪城のようにエレベーターも付けちゃえよ(笑

たとえば、バチカンの大聖堂から見た景色のように赤い屋根で統一感のある街並みが見えるとか、ロンドンのサン・ピエトロ大聖堂から見た景色のように、近代的な高層ビル群が見えるとか… そういうのがないですね、ここからは。なんというか、一般的な都市の景色って感じです。

ベルリン大聖堂の周辺にある博物館などは、どれも改修工事中。中には閉館しちゃってるものもある。工事現場に入らせてもらって、何枚か写真を撮る。

ウンター・デン・リンデンを西へ歩く。この通りでは、ジプシーが外人に物乞いをしてくる。自分の国で生活保護でももらって、パチンコ三昧で遊んで暮らせやと思うが、彼らには国というものが無いんだな。なんというか、信じられん価値観の民族…。

シラー像とベルリン音楽堂(ジャンダルメンマルクト広場)
シラー像とベルリン音楽堂(ジャンダルメンマルクト広場)


1810年に創立されたベルリン大学が、通りに面してある。通り沿いには、古本を売る露天が出ている。(パリには古本を売る露天がよくあるが、ベルリンではここ以外では見かけなかった) でも、地球の歩き方では、いまだに東ドイツ時代の「フンボルト大学」という名前で書いてあるけど、本当の所はどうなんだろう…

ベルリンのブランデンブルク門
ブランデンブルク門


ブランデンブルク門、いまだに工事中。というか、この門、ちゃんと工事が完了して解放していたことあるの? 東西ドイツが統一された数年後に来たときは、確かに車が走りぬけてたと記憶しているが…

国会議事堂へ。ここが国会議事堂となってリニューアルオープンして以降、始めて見る。前回見たときは、まだ、「旧帝国議会 跡」のような感じで、フェンスに囲まれた廃墟だった。いまは、芝生の公園に囲まれて、ガラスのクーポラがあり、見学者が数百メートルの列をなしている。議事堂はフェンスなどで囲まれておらず、周囲に警官も目立って配置されていない、ムチャクチャ解放的な議会。 テロの脅威とか、変質者の脅威とか無いのかね。

ソ連戦勝記念碑を見て、ごみだらけの道横切り、公園を横切って、ポツダム広場の再開発地区へ。(しかし、自宅の中はきれいにするドイツ人は、公共の場所ではムチャクチャですね。ごみは捨てまくり、落書きしまくり、電車の窓は引っ掻きまくる。学生は奇声を上げて動物のように威嚇していたりするし…。)

ソニー・センター、あの日本の家電品メーカーのソニーが出資して作った街区もある。今では、ぱっとしない遅れた感じのする、あのソニーが、ベルリンでモダンなオフィスビル群(ショッピングスペース付き)を作ってたんですね。ドイツ資本のダイムラーが作った街区はモッサリしているけど、ソニー・センターは一つ抜きんでている感じがします。

旧フリードリッヒ通り検問所(通称チェックポイント・チャーリー)へ行く途中で、昼食にケバブを食べる(3ユーロ、400円)。ベルリン議会の裏手には、ベルリンの壁が数百メートル程度保存されている。その横を通り、フリードリッヒ通り検問所へ。今は検問所は単なる観光用のイミテーションの、古いタイプの小屋に様代わりしてしまっているが、たくさんの観光客が来てますね…。

ベルリンの壁、検問所、旧東ドイツ国鉄の車両など、旧東ドイツが観光資源としてムチャクチャ人気がありますね。それなら、東ドイツテーマパークとか、戦前のドイツ帝国テーマパークとか作ればはやるんじゃないですか。

昼過ぎからだんだん曇ってきて、夕方ごりには完全に曇りに。(夜は雨という天気予報)

ペルガモン博物館へ。今回の旅行では、一度もギリシア、ローマ遺跡を見ていないので、ここでギリシア・ローマ文明期の遺跡を見ることで、旅行の目的を果たしました。ニューヨークの博物館に小さなピラミッドがそのまま収められているメトロポリタン博物館の例は知っているけど、ここは宮殿の一部をそのままの形で再現しているという、スケール大きいです。ここにあったから、現代まで保存できたという功績もありますし。(イラクの例を見ても、ほとんどの遺跡が略奪・崩壊の危機にあるように、管理できるレベルじゃない)

ベルリン ソニーセンターの夜景
ソニーセンターの夜景


夜、ソニーセンターの夜景を撮影して本日の予定終了。まだ雨は降ってきてません。

2009/10/04

10月4日 ヴィッテンベルク、ベルリン

10月4日(日曜日)
■ ヴェルニゲローデ

今日もドイツ鉄道のインターネット予約の乗車券を使って、ヴィッテンベルクで途中下車してベルリンまで行く。IntercityやICEを利用しても値段は29ユーロ。

ハレで乗り換えるときに、余裕時間がたった4分しかないのは困るので、余裕を持って1本早めの列車に乗ることにする。

ヴェルニゲローデの天気は吹き降りの雨。まったく天候には恵まれていない。ドイツ鉄道の駅の隣に、ハルツ狭軌鉄道の蒸気機関車の車庫があり、既に全ての機関車に火が入れられ煙突から蒸気が立ち登っている。機関車を点検している運転士に女性が居るのには驚いた。日本では女性の蒸気機関車運転士は居ないと思う。

7時36分発の列車に乗車する。2両編成の車内は、地元の人が地らほら乗っている程度で、旅行客は今日は誰一人見かけない。途中の駅で運転士が「腹具合が悪くなった」ようで、駅に停車中に列車内のトイレに駆け込むこと2~3回。こういう職業って、大変だと思う。日本のように陰険な国では、途中で運転士がトイレなぞ行こうものなら、電鉄会社に通報されて「日勤教育」が待っているに違いない。

ひたすら続く広大な農地の間を列車が走る間に、天気が雨、曇り、晴れ間と目まぐるしく変わる。低気圧から伸びる前線がこのあたりに掛かっているので、こういう具合になるのだろうか。

約2時間掛かってハレ駅に5分ほど遅れて到着(1本後の急行なら1時間10分)。多分、運転士の腹具合のせいで5分遅れている (笑

約30分の乗り継ぎ時間で、インターシティに乗り換え。終着駅はドイツじゃないような、北欧の港町のような地名。2駅目、30分で下車。なんだか相当田舎の駅のようである。

■ ルターシュタット・ヴィッテンベルク

駅のプラットホームの間を結ぶ地下道を旧市街の方へ抜けると、駅舎がない… 巨大なテントでタクシー乗り場などを覆っているだけの、超田舎の駅… コインロッカーを探してるんだけど、無いねぇ…。プラットホームの反対側を見ると、建物があり、駅舎らしいので行ってみる。切符売り場の窓口が11時から開くので、11時まで待って窓口でコインロッカーのありかを聞く。案外、駅舎の横にあったりして…

この駅のロッカーはたったの1ユーロ(130円)。安い。

旧市街へ向けて歩く。だれも居ない道を、駅を出ると、駅も含めて商店すらないような田舎の住宅街20分くらい歩いて、旧市街に到着。

久しぶりに青空になり、太陽がさしてくる。

かつて、16世紀にヴィッテンベルク大学の教授だったマルティン・ルターが、大学構内の教会(現在のヴィッテンベルク城教会)に「95カ条の論題」を貼り出したことが、宗教改革の口火を切ったことで有名な町らしい。

市庁舎前広場(マルクト広場)にあるルター像は、残念ながら補修工事中で鉄の枠組で囲まれている。メラヒントの像のほうは鉄枠が外れているが、さっきWikipediaで調べてみて、この人の名前を始めて知った。

ヴィッテンベルク城と城内教会
ヴィッテンベルク城と城内教会


旧市街の駅から一番遠い端っこに、ルターが95カ条…を貼り出したヴィッテンベルク城教会がある。円筒型の、変わった形の時計塔があるが、教会じゃなくて、城の塔なのだろうか。

駅に戻る途中、ルターの住んでいた家の跡地の向かい側にある、ホットドック屋で昼食。

駅に戻ると、次に乗るはずのICEが20分遅れと、出発案内の表示に出ている。高速列車がしょっちゅう遅れるのは、どうにかならんのかねぇ。(専用線じゃないから無理なのかな)

13時45分にヴィッテンベルクを出発。約45分でベルリン中央駅に到着。

■ ベルリン

ずっと以前にベルリンに来たときには、この駅は中央駅じゃなくて、ベルリン・レーラーシュタット駅とか呼ばれていて、第二次大戦で破壊されたガラスドームが残っている、都市鉄道(S-Bahn)の各駅停車しか止まらないような駅だったはず…

それが今は、地下から吹き抜け構造の巨大な駅舎に、飲食店などの商店がぎっしりと入り、たくさんの人が行き来している。見違えるばかりの変わりようだ。

中央駅前のバス停に行くが、ものすごい数の人が待っている上に、道路の車が渋滞して、バスがいつ来るか分からん状況。急きょ、地下鉄を使ってトラムに乗り継ぐことにする。市内交通料金の1回券が2.1ユーロ(280円)。べらぼうに高い料金だ。ロンドン地下鉄(4ポンド、570円)よりはましだが…

ネットで予約したマウアー・パーク近くのアパートへ。到着時刻をメールしたにもかかわらず、部屋のベルを押してもだれも出ない。携帯電話で電話をかけて、アパートの部屋の持ち主を呼び出す。

わざわざ不便な住宅街にあるアパートの部屋を借りたのは、ここがかつてのベルリンの壁があった、まさにその場所だからだ。アパートのある建物はベルリンの壁のあった空き地に面していて、当時の東ドイツの中央区にあった住宅だ。

せっかくなので、アパートのすぐ近くのベルナウ通りを、北駅まで歩いてゆく。さきほどトラムで通過した所に、ほんの数百メートルだけ、かつての壁が保存されている。これを見に、かなりの数の観光客がやってきている。観光資源になるのなら、もっとたくさん残しておけばよいのに…

ベルナウ通りに保存されているベルリンの壁
ベルナウ通りに保存されているベルリンの壁


マウアー・パーク(壁公園と訳すのかな)に行ってみると、今日はフレア・マーケットをやっている。どう見ても、がらくたにしか見えない中古品などを売っている店などがある。骨董品は全くといっていいほど見かけない。

夜、吹きぶりの雨となる。やはり、天気のツキは全く無いようだ。

2009/10/03

10月3日 クヴェトリンブルク、ブロッケン山

10月3日(土曜日)祭日
■ ヴェルニゲローデ

朝起きたら、空が朝焼けで赤くなっている。もしかしたら、晴れるかもと思ったが、結局まともな晴れ間には今日一日めぐりあえなかった。

ホステルで朝食(2.9ユーロ、380円)を食べたが、これならスーパーで買ってキッチンで自分で調理した方が安い。しかしながら、安宿系の朝食はハズレの場合が多いので、別料金ならやっぱり拒否すべきなんだろうね。

駅へ行き、8時42分発のハレ行きRE(RegionalExpredss:地域急行)に乗る。車内は、こんな朝早くても、観光客で満員。祭日だからだろうか。5分遅れで出発した列車は、きっかり5分遅れの9時にハルベルシュタット駅に到着。ここでターレ行きの各駅停車に乗り換える。変わりばえしない単調な農場ばかりの景色が続く。(もっと山岳地だと思っていた…) クヴェトリンブルクには9時23分到着。運賃は6ユーロ。

■ クヴェトリンブルク

駅を出て、住宅街の通りのように閑散とした駅前通り(Bahnhofstrasse)を5分ほど歩くと、旧市街の外周道路に突き当たる。(この道路が、昔の城壁の跡地なのだろうか…)

外周道路をしばらく時計回りに歩いてゆくと、中央広場(マルクト広場)に出る。10世紀にザクセン朝ドイツ王国の初代国王ハインリッヒ1世が創立したといわれる城がこ町の起源といわれている。(つまり、古い町という事で、世界遺産に指定されたらしい)

マルクト広場の周辺には、15XX年などと年号が記された木組造りの建物もある。いかにも古そうに見える町役場の建物前では、オッサンばかりのドイツ人団体が、ひたすらガイドの説明を聞いている。町役場の横のカフェは、休みなのか、開店時間前なのかは知らないが、入り口の前のカーペットにでっかい猫が鎮座して番をしている。

クヴェトリンブルク市庁舎横のカフェに鎮座する猫
クヴェトリンブルク市庁舎横のカフェに鎮座する猫


木組造りの建物(観光客向けの店に改装されて、きれいに色を塗り替えられている)が見どころというのだろうね。

丘の上に城か教会が見えるが、時間がないので駅へ戻る。

10時30分発のターレ行き各駅停車に乗車。同時刻に、アレクシスバッド行きのハルツ鉄道の蒸気機関車でけん引されている列車が出発する。今回はうまい具合に、ターレ行き列車の運転士が蒸気機関車と速度を完全に合わせて併走してくれた。


ハルツ狭軌鉄道の蒸気機関車(併走する列車から撮影)


平地を全速力で走る蒸気機関車を、しばらくの間、真横から眺めるという、なかなか出来ない体験ができた。

■ ターレ

クヴェトリンブルクから10分で、終着駅のターレに到着。運賃2.1ユーロ(280円)。

単に観光客がたくさん行くから来てみたが、どうもほとんどすべての人が、ターレ駅のすぐ目の前にある山にハイキングか何かに出かけるようだ。ゴンドラ(Seilbahn)が500mくらいの山の頂上付近とふもとを結んでいる。

さて、どうしたものか。ここで山に登るのなら、ブロッケン山に登った方がいいのではないだろうか…

ということで、ブロッケン山に蒸気機関車でけん引される登山電車に乗るべく、ヴェルニゲローデに戻ることにする。

11時16分にターレを出発する列車に乗り、ハルベルシュタットで乗り換えて、12時16分にヴェルニゲローデ着。運賃は10.3ユーロ。

■ ヴェルニゲローデ

駅周辺には手っ取り早く食べられる食堂がないため、旧市街のケバブ屋ケバブを食べる(3.0ユーロ、400円)。駅に戻り、ハルツ山へ登る列車に乗車。往復運賃は26ユーロ(3400円)。列車はそんなに満員ではなく、かなり席には余裕がある。

13時25分、かなりゆっくりしたスピードで列車が出発。蒸気機関車で走らせているからといっても、特に言われなければ普通の列車と乗り心地は変わらない。

出発直後、天気が少しよくなり、雲の間から日が差してくる。このまま天候が回復してくれたら… とかなわぬ妄想を抱いてしまう。

林の中を右へ左へカーブしながら、徐々に高度を上げて行く。30分くらいいったところのドライ・アンネン・ホーネ駅で半分くらいの客が入れ替わる。こんな中と半端な所で降りてどうするのかな… (駅付近が駐車場になっているからなのだろうか)

ハルツ山から降りてくる列車が遅れていて、私の乗っている列車も、ずるずると遅れが蓄積されてゆく。標高700mくらいにある最後の途中駅、シエルケ駅の付近からは、雲の中に入り視界が灰色の霧で覆われる。

霧にもかかわらず、たくさんの人が山の上から歩いて降りてきている。(この駅で標高差は550m近くある) 天候悪くても、計画通りに行動するドイツ人らしい…

私の乗った席のすぐ向かい側に坐っている老人(80歳らしい)に話を聞くと、この山に登るのは3回目という事で、これほど天候が悪いことは経験したことがないそうだ。第二次大戦時には大学を卒業して、海軍に入隊し巡洋艦に6カ月くらい士官として乗務していたそうだ。で、その結果として、ニュルンベルク裁判に掛けられ、ソ連に数年間抑留されていたそうだ。鉄道ファンでもあるらしく、かなり技術的な解説をしてくれた。

列車はどんどん濃くなる霧の中を山頂を目指すが、上から降りてくる列車をやり過ごすために、何度も退避線に入って止まるため、だんだん遅れて行く。

■ ブロッケン山

霧に包まれたブロッケン山頂駅に到着したハルツ狭軌鉄道の列車
霧に包まれたブロッケン山頂駅に到着したハルツ狭軌鉄道の列車


15分くらい定刻より遅れ、15時45分にブロッケン山頂の駅に到着。すぐ目の前にあるはずの駅舎らしき建物もかすんで見えないし、寒い。駅舎につるされている温度計では5度。人の流れに従って歩いていくと、山頂の地図の掲示板がある。アンテナと天文台のような建物が山頂にあるのだが、ここからではまったく見えない。登り道が見えるが、数メートル先で霧の中に消えている。列車から降りた人が向かっているので、方向的には間違ってないんだろう。

登り道を登るが、吹き飛ばされそうな強風に崖下に吹き飛ばされないようにするのが精いっぱい (笑

数分歩いたところで、ぼんやりと目の前に建物らしきものが見える。尾根の上に出たらしく、向うから暴風が吹きつけてくる。何とか、建物のドアのあるところに到達し、中に入る。ホテルがあるらしい。あとは、みやげ物やとカフェテリア。

何かよくわからんが、山頂の施設はこれだけのようだ。駅に戻り、16時22分発の列車(10分遅れの16時30分過ぎに出発)に乗って、ヴェルニゲローデに戻る。

下山すると、なんと晴れている。ちょうど日没の18時なので、太陽は照っていないけど…。

■ ヴェルニゲローデ


ヴェルニゲローデ中央広場に面した建物
ヴェルニゲローデ中央広場に面した建物


旧市街へ行ってみると、ほとんどの店が祝日のため閉店していて、ゴーストタウン状態。運よく開いていた、西門近くの中華屋(Hot Wokという店)に入って夕食。ホステルの近くのスーパーは、もちろん休みだった。

ヴェルニゲローデ駅の蒸気機関車車庫に写真撮影に行く。本線を通過する列車は、なぜか東ドイツ時代の塗装のまま保存されている、イベント列車が次々と走りぬけて行く。旧塗装にそれほど人気があるのなら、現在走っている列車の何割かを東ドイツ国有鉄道デザインに戻せばいいのに…

2009/10/02

10月2日 ライプチヒ、ヴェルニゲローデ

10月2日(金曜日)
■ ドレスデン

天気予報では雨だが、とりあえず曇っている。トラム9系統に乗り中央駅へ。(それにしても、初乗り料金1.8ユーロは高い…)

中央駅に8時15分ごろ到着。乗る予定のICEがすでにプラットホーム2番線に停車している。(始発だからなんだろう)

今日は、ドイツ鉄道でインターネット予約した割引券を使う。ライプチヒで途中下車し、さらにヴェルニゲローデまでの合計価格が29ユーロ(3800円)。券売機で普通にチケットを買うと50ユーロするらしい。

8時54分、ICE フランクフルト行きが時間通り出発。高速列車とは名ばかりで、のろのろ運転。120kmを1時間15分掛かってるので、平均時速100kmくらい…

ライプチヒに近づくにつれて雲が厚くなって行き、とうとう雨が降り出す。3駅目のライプチヒで下車(10時10分)。コインロッカーに荷物を預け(2ユーロ)、旧市街へ向かう。

■ ライプチヒ

駅からまっすぐ、歩行者天国となっている旧市街へ歩く。ニコライ教会前の広場には花屋などの露天が開いている。(平日でも開いてるのか、明日のドイツ記念祭日が前倒しでやってるのか…)

教会に入ると、幼稚園の行事か何かで、合唱の発表のようなことをやっている。教会のオルガンではなく、先生のギターで伴奏かよ…

中央広場(マルクト広場)へ向かう。巨大なクレーンが建物の改築工事をしている。広場の半分くらいが工事現場になっているが、残りの半分には露天や野外カフェが出ている。(雨だから、カフェにはだれも客は居ないけどね)

さらに駅と反対方向に歩いてゆくと、トーマス教会と、その前に作曲家のバッハの像がある。Wikipediaによれば、1723年にトーマス教会の音楽監督になったとあるので、ここに立像と、すぐ横にはバッハ記念館という博物館があるのだろう。教会に入ると、内陣にバッハが埋葬されている墓石が埋め込まれている。(地球の歩き方では、入り口より右側と書いてあるが、入り口はいくつかあるので、右側は無いだろう… せめて東西南北で書けよ)

次に、東ドイツ秘密警察博物館(Stasi Museum)へ。地球の歩き方は完ぺきに女性向けなので、こういう見どころは全くといって掲載されてないが、LonelyPlanetには主要項目として掲載されている。

ライプチヒの近代史では、1989年の東西ドイツの統一につながる大規模デモ行進で、旧市街を取り囲む外周道路のキーポイントにあった秘密警察支部前をデモが通過できるかどうかが問題だったらしい。結果として、秘密警察支部は独自判断としてデモを阻止しせずに支部前の通過を許したことが、最終的にはベルリンの壁崩壊までの東ドイツ権威の崩壊のきっかけとなったというあたりの話は、書いてないねぇ… 歩き方には。

その秘密警察支部の1階が展示館として解放されていて、装備品の一部が展示されている。(他のフロアは、今でも政府機関の事務所)

で、見学していると、管理人らしき人がやってきて「取材ですか?」と聞いてきた。ほかの人にはそんなこと聞いていないのに、私ってそんなに怪しいですか…

次に、現代史博物館へ。さきほどの中央広場に面している。こちらは高校生が授業の一環で、何か調べろというような記入用紙を持ってやってきていた。

欧州の高校生の社会見学(?)は、日本に比べて思考能力や調査能力を試すというか、なかなかうらやましい授業をしている。私が学生のときは、バスや鉄道で遠くに連れて行かれて、適当に遊んで弁当食べて的なものしかなく、今でも日本の大学のゼミの遠足を欧州の美術館などで見かけるが、単に見学してるだけだもんね…

ここの現代史博物館の第二次大戦部分は、大幅に簡略化しているので、ニュルンベルクの国立文書管理センターの研究施設の方がずいぶん詳しく展示していた。(文書センターが一般解放をしているかどうかというのも、よくわからないけど、私は入れたので、多分一般に入れるのだと思う)

ライプチヒ市庁舎の横で行われていたファッションショー
ライプチヒ市庁舎の横で行われていたファッションショー


博物館の中まで、何やら音楽が聞こえてくるので、市庁舎の横の小さな広場を見ると、ファッションショーをやっている。 やっぱり今日は祝日の振り替え休日なのか…?

駅に戻る途中のアジア料理インビスで4.9ユーロ(650円)で昼食。駅には列車の出発前ぎりぎりに到着し、ハレ行きのRE(RegionalExpress)にきわどく乗車する。(12時51分)

■ ハレ

13時20分、ハレ中央駅到着。さて、この街については観光する予定ではなかったため情報がない。コンピュータに保存してある歩き方には「駅を出て左へ曲がり5分歩き…」とどの出口を出て左かが書いてないし、LonelyPlanetには駅の北西方向に旧市街があるとえらく適当。ま、適当に歩いてみると、適当に旧市街に到着した。駅から20分くらい歩いたかな。

旧市街広場に面して巨大な時計塔や、教会が建っている。もっと何かあるんだろうけど、何かを感じるまで時間がなく、旧市街の中央広場到着と同時に中央駅に引き返す。

今度はハノーバ行きREに乗車。プラットホームにはあふれんばかりの乗客が… やって来たのは4両編成の列車。これ、全員乗れるのかよと思っていたら、案外乗れるものだ。列車は満員となり、14時9分出発。途中の駅でだんだん客が降りて行き、ヴェルニゲローデに着くころには、車内の乗客は半分くらいになっていた。

■ ヴェルニゲローデ

旧市街と反対側の、線路の近くにあるホステルへ。1906年と建物の屋根に書いてあるので、えらく古い建物を改装して使っているのだろう。

曇っている上に、夕方となり薄暗くなった中で、旧市街の探索へ。1kmくらいある歩行者天国(ブライテ通り)には、古い建物を改装した観光客用の店が立ち並んでいて、観光客もたくさん歩いている。観光客ってのは、自宅近くの繁華街でも、ネットショップでも買える物を、わざわざ観光地で買いたくなるのかねぇ…

ヴェルニゲローデを走るハルツ狭軌鉄道の蒸気機関車
ヴェルニゲローデを走るハルツ狭軌鉄道の蒸気機関車


旧市街の外れにさし掛かると、蒸気機関車にけん引されている列車が通過していく。これが、有名なハルツ保存鉄道か。

駅の方へ行ってみる。駅手前の操作場の通用門らしき所の遮断機が、どう見てもくぐりぬけられそうな雰囲気で垂れ下がっている。すでに、何名かの鉄道ファンらしきおっちゃんが中に入って写真を撮っているので、続けて中に入ることに。

蒸気機関車、5台くらいありますねぇ。動態保存とかじゃなく、営業運転に使ってる本物が。来ている鉄道ファンに聞いてみると、何回もここに通っているそうで、晴れている日の写真など見せてもらった。20時まで待つと、すべての蒸気機関車が車庫に戻ってくるらしいが、この寒い中20時まで粘るつもりは無い。

あすは、ハルツ山までの蒸気機関車にけん引される列車に乗るか…(天気が悪いので相当寒そう)、クヴェルトリンブルクやターレといった街を見て回るか…。どうしようか。

2009/10/01

10月1日 ドレスデン

10月1日(木曜日)
■ ドレスデン

天気予報通り、今にも雨が振り出しそうな曇り空。市内交通の1日乗車券(4.5ユーロ、600円)をを使い、トラムで旧市街へ。ガイドブックやWikipediaによれば、ツヴィンガー宮殿、ドレスデン城、聖母教会などが有名という。

ドレスデン城は入場できるのか出来ないのか…、入り口すら見つからなかった。LonelyPlanetにもSchlossの記述は無いし、実際に城の中庭に通じる門から覗いたら、建築業者が盛んに作業中の模様。

まずはツヴィンガー宮殿へ。ザクセン国王が金に糸目をつけずに買い集めたといわれる、ネーデルラントやフランス、イタリアの中世絵画が大量に展示されているアルテ・マイスター(古典絵画館)へ。第二次大戦時に、岩塩鉱山などに避難させたりして助かったもののうち、ソ連による接収から返還されたもののみが現在残っているそうなので、本来はすごい数を保有していたんだろうね。

ドイツ人の高校生が美術の授業で来ていたり、ドイツ人だけでなく他の欧州諸国からの団体ツアー客が来ていたりと、すごく混雑している。日本から来た5人くらいの団体も、非常に控えめにガイドの後ろにくっついて歩いていた。

宮殿の屋上に登ると、ほんの一瞬だけ雲の切れ間から太陽が出たりする。

宮殿の美術館の入場券(10ユーロ、1300円)は、同じく宮殿の武器庫にも共通の入場券なので、武器庫にも行ってみる。

西洋風の「剣」に混じって、なぜか日本の「刀」が展示してあったりする。16世紀頃の回転式拳銃の展示は、まだ刀で切りあいをしていた戦国時代の日本と欧州とは、大分様子が違ったのだろうか。(まあ、拳銃が普及していたなら、射程距離の短い剣の出番は無かったわけで、剣の展示が多いという事は…)

絵画、武器ともに、このサイズの建物にコンパクトにまとまっていて、手っ取り早く見れる。でも10ユーロは高いのでは…  ルーブル美術館(入場料9ユーロ)やロンドン塔のホワイトタワーの武器展示の広さや量で比べるわけにも行かないんだろうけど。

ドレスデンの聖母教会
聖母教会


次に、聖母教会へ。空襲の後も燃え続け、数日後にドームが崩れ落ちたという。爆撃の衝撃では崩れなかったところが、18世紀には、このような巨大建築物を安定して建てられる実力があったって事なのだろう。

教会の横に、崩れ落ちたときのドームの一部分がそのままの状態で残されている。断面の厚さは1~2mもあって、思っていたよりはるかに厚い壁面になっているようだ。(それだけ重たいという事なので、よほど力学的に安定して作られてるんだろう。鉄の骨組とかまったく使わずに、石やレンガを積み上げただけなのにね)

外壁は損傷の少なかった石の一部がまだらにはめ込まれている。全体の数パーセントくらいだと思うけど、黒濃げになっているからとても目立つ。中に入ると、最新の塗壁になっていて、復元されているのは外部だけのようだ。

ドレスデンが、第二次大戦の破壊から街並みを復元したという事だが、それは城や宮殿、教会だけのようだ。ツヴィンガー宮殿の美術館には、かつてのドレスデンを描いた絵画があったが、聖母教会の周辺の建物は、三角に尖った前面を持つ5階建てくらいの建物に復刻すべきだけど、主要建築物以外は好き勝手にビルを建てて、昔風の色に塗っているだけのようだ。

その点においては、ポーランドのワルシャワ旧市街広場や、グダンスクの旧市街は、昔の絵画から完璧にすべての建物を復刻しているので、評価はできると思う。

昼食は、旧市街広場に出ているソーセージの露天でCurryWurstを食べる(2.5ユーロ、330円)。カレー味はベルリンの専売特許だと思っていたが、案外いろんな所で打っているのだろう。単にカレー粉を余分にかけているだけだから…

13時ごろ、城の入り口を探しに、カトリック大聖堂の横を歩いているときに、旧に強風が吹いて工事現場の砂埃が舞い上がり、直後に猛烈な雨が降ってきた。広場を歩いている観光客が屋根のあるところを求めて逃げまわっている。

30分ほど、カトリック大聖堂で雨やどり。ここも外部は古い部材で復刻しているけど、内部は新しい漆喰になっている。おそらく、鉄筋コンクリート建築なのでは… まるで、大阪城みたい。(大阪城は、外部も勝手な妄想で復刻した内外ともに完璧な偽物なので、こっちの教会の方が外だけでも本物に近いのは、すごいと思う)

一旦、ペンションに帰り、周辺をうろついてみる。トラム13系統の停留所にAltipischen Radhausとあるので、ここに市役所があるという事は、ドレスデン市ではないのか、それとも区役所なのか…

S-Bahnの駅がある。郊外の住宅街の中にあって、完全に忘れ去られたように、数十年前から放置されたような木造駅舎がある。張り出されている時刻表では、1時間に2本弱の列車が止まるようだ。近所の住民は、駅の下にあるバス停に大量に並んでいる。まあ、市内交通はトラムもバスもS-Bahnも同じ会社がやっているので、顧客ターゲットが違うんだろう。(競争しても仕方ないし)

20分に1本くらいしか来ない13系統のトラムで、新市街へ。新市街といっても、中世からある由緒ある市街地で、町の火災から復興させるために、中世の王様が「新市街」と名付けたらしい。新・旧なんて、つけるものじゃないね… 時代とともに、すべて古くなって、「新」の基準があやふやになるんで。


Centrum Galerieとプラガー通り


夕食は、中央駅近くのプラガー通り沿いに9月にオープンしたばかりのCentrum Galerieへ。2階のMediaMarkt(家電量販店)を覗いてみると、液晶テレビが大量展示してあり、ドイツ製がなかったりする。(フィリップスはオランダ製だし、あとはSamsung, LG, 東芝、パナソニック、SONYが目立った)

32インチ300ユーロ(4万円)くらいというのが、売れ筋のようで、ちょうどそのサイズを買っている人が居た。日本のメーカーはダンピング販売してるな…。日本国内はガラパゴス状態をいいことに、高いものを売りつけて、海外では安くお得なものを売る。 EUの報復関税まだですか…

日本と違うのは、ネットラジオ(著作権問題で日本ではまったく普及できない)や、各種フォトフレーム、B-CASカードがないから劇安のCS受信機(最安値は20ユーロ台)などがたくさん展示されていた。

HDTV出力を省いた廉価版の製品でも、B-CASカードや変な著作権管理ができる日本方式チューナーは、5000円もするので、この方式を採用した南米諸国は外れクジを引いたのか…。(どうせ、南米も日本メーカーじゃなく、韓国にチューナーやテレビを注文するので、安く買えるんだろうけど)

ドレスデン交通博物館に展示されている蒸気機関車
ドレスデン交通博物館に展示されている蒸気機関車

2009/09/30

9月30日 パルドゥビツェ、ドレスデン

9月30日(水曜日)
■ オロモウツ

昨晩は雲の間から月が見え隠れしていたが、早朝より雨が降り出していた。スーパーで買っておいたパンなどを食べて、7時30分ごろ教会のホステルを出る。(鍵はポストに放り込んでおいてよいと、チェックイン時にすでに聞いてある)

土砂降りの雨の中を、最も近い場所にあるトラム停留所 Trzniceへ。すぐにトラムがやって来たが、満員。ほとんどの客は中央駅の一つ手前の停留所で降りていった。

中央駅の出発案内表示には、これから乗るはずの列車が10分遅れと出ている。チェコ鉄道で最優等列車のペンドリーノでさえ10分遅れるくらいの雨なのか、単にいつも遅れているのかは知らないけど…

ペンドリーノは特別料金200コルナ(1100円)取るが、その予約券には車両番号しか書いてなかったりする。座席は? と思っていたが、乗車して見ると座席指定は無いようだ。車両あたりの人数合わせをしているだけのようだ。

アルストム製の高速列車(たしかこのタイプは、イタリアが初めてだったか)だが、西欧でよく使われているインターシティ用車両の最高速度と同じ、時速160kmしか出していない。(GPSで計測した)

カーブが多い路線だから、強制的に車両を傾けるのがほしかっただけなのか… カーブに差し掛かると時速100km以下に落としてるのなら意味ないし。

1時間乗車して、9時40分にパルドゥビツェで下車する。

■ パルドゥビツェ

駅のコンコースの中央に荷物預け所がある(普通は、駅の端の方にあるんだけど…)。 荷物を預けて、旧市街を目指す。この町は日本のガイドブックには紹介されていないけど、ルネッサンス様式の旧市街中央広場と、孔雀の居る城でそれなりに有名らしい。

事前にGoogleMapで仕入れた地図を頭に入れてあるので、まったく迷わずに旧市街へ到達。(駅を出て、目の前の大通りを右の方向へ、ひたすらまっすぐ1kmほど歩くだけ)

駅と旧市街の間の大通りには、TESCOを始め、大型ショッピングセンターの地区となっている。割と大きな街なんだ…

雨がやむ。ありがたいことだ。旧市街の中央広場(ペムスティンスク広場)へは大きな時計塔の下をくぐり抜けて入るようになっている。

やたら豪華な市庁舎と、広場を取り囲んでいる建物も、ぞれぞれ装飾で飾られている。確かに、他の街の中央広場より、華麗な感じを受ける。晴れていたらもっとよかったのに。
中央広場で北に向きを変え、数分歩くと城の入り口へ。入場料払わなくても、城門をくぐって城の横まで行くことができる。ここもだまし絵(スグラフィット手法)で立体的に見せた壁を持つ城だ。ついでに、孔雀が至る所に堂々と歩いていたりする。

数年前にマケドニアとアルバニアの国境にあるネウム聖堂に行ったときにも、孔雀は居たが、これほど近寄っても逃げることすらしない、ふてぶてしい孔雀も珍しい。

パルドゥビツェ城
パルドゥビツェ城


急に太陽が顔を出し、白い城の壁がまぶしく輝く。天気予報では雨のはずなんだけど、ほんの少しだけ雲が切れている部分があるのだろう。やはり、写真は晴れていないとまったく使いものにならないから、ありがたい。

11時、駅に戻る。次に乗る列車は11時20分発のEuroCity174便だが、20分遅れと出ている。旧市街に行く途中に見つけた中華屋へ行き、残りの小銭で買える料理を、持ち帰りで購入(駅か列車内で食べるつもり)。 69コルナ(380円)で、チキングリルに中華風のたれをかけたものと、ご飯のセットだった。

11時40分、20分遅れでやってきたブダペスト発、ハンブルク行きEC174に乗車。これも、座席予約は多分不要。(ずっと以前に、これと同じ経路を走る4時間後の列車にブダペストからブラチスラバまで乗車したことがあるので、混んでいないことは経験済み)

列車はさきほど乗ったペンドリーノ(この国ではSC:SuperCityと略すらしい)と同じくらいの速度でプラハまで行き、そこからほぼ満員の乗客を乗せて、山岳地帯を超えてドイツへ。20分遅れだったのが、プラハに到着した時点で15分遅れに、その後は遅れをさらに取り戻す努力はせずに、ドレスデンには15分遅れの15時に到着。

■ ドレスデン

曇っている。駅の横のトラム乗り場へ行き、今日泊まるペンションの方へ行く9系統の乗り場を探す。駅周辺はたくさんの路線が乗り入れているので、9系統は少し離れたショッピングセンターの所に乗り場があった。停留所の券売機で1回券1.8ユーロを購入。チェコの4倍以上高い… しばらくチェコを回っていると、ドイツの値段の高さにびっくりすることになる。

10分毎に走る9系統に乗車し、郊外の住宅街のアルトピッシェン停留所で下車。ペンションは停留所から歩いて5分くらいの所にあり、まるでホテルのようにフロントデスクがある力の入れよう。設備のきれいさといい、まるでホテルですね… 本日は他に客が居ないようで、ほとんどの部屋は学生寮として使われている模様。1泊25ユーロ(3300円)。

ペンションとトラム停留所の間にあるスーパーで明日の朝食の買い出しをしてから、歩いて旧市街へ。GoogleMapの衛星写真で近そうに見えても、実際に歩くの結構遠く、アウグストゥス橋まで30分弱掛かる。これは高くてもトラムに乗るべきだな…

夕食はノイスタットのメインストリートにあるビストロやら中華やらが集まったフードコートで。チェコなら500円で満腹になるが、ここでは800円程度(6ユーロ程度)は掛かる。

アウグストゥス橋を渡って旧市街へ。この寒いのに、河川敷から気球を上げている。乗客はかなり厚着をしているが、それでも寒いだろう…

だんだん雲が切れて、ドレスデンの上空だけ晴れ間が出てくる。そして日没。きれいな夕日が旧市街の復刻された建物群に当たる。第二時大戦の爆撃で完ぺきに破壊されたはずなので、よくここまで黒焦げになった残骸を再度組み合わせて教会などを建てたものだと思う。

ドレスデンのカトリック宮廷教会とドレスデン城の塔の夜景
カトリック宮廷教会とドレスデン城の塔の夜景


建物の周囲には照明柱があるので、ライトアップされるものと信じて19時ごろまで待つ。予想通りライトアップされるが、あまり観光客は来ていない。観光の季節じゃないのかなぁ。

2009/09/29

9月29日 オロモウツ

9月29日(水曜日)
■ オロモウツ

天気予報通り、雲っている。バルト海あたりに低気圧があって、そこから伸びる「なんとか前線」がドイツあたりを横断し続けているため、明日からずっと雨になる可能性がある…

今回の旅行ではプラハのホテルを除いて、朝食が付かない予定のため、スーパーで買ったパンや、インスタントラーメンなどで部屋で朝食。(普段は使わないコイルヒーターで湯を沸かすのは、こういう時くらい)

泊まっている教会は旧市街の内側にあるので、門を出てほんの数十メートル歩くと、小さい方の広場(ドルニー広場)になっている。昨日は祝日(だったのだろう)で、ほとんど人が歩いていなかった道路も、朝の通勤時間帯でたくさんの人が歩いている。旧市街の何割かは大学の施設になっているため、学生がたくさんいる。

ちなみに、泊まっている聖カテジナ教会の部屋も、ほとんどは学生向けのアパートとして部屋貸しされている。私の泊まっているフロアーは、どうも女子学生寮のようだが…

旧市街外周の城壁に沿った公園沿いに歩いて、最初に見えたクーポラを持つ教会へ。聖ミカエル教会というらしく、回廊に囲まれた中庭が、どう見ても幼稚園の遊び場のようにプラスチック製の遊具が置かれていたりする。入場料を取らない代わりなのか、塔の中の展示室に登るときには、「必要なときだけ電気をつけて下さい」という張り紙がスイッチの所に張ってあったりする。セルフサービスの教会というのも始めて体験した…

オロモウツのヴァーツラフ教会
ヴァーツラフ教会


旧市街の一番東端にあるヴァーツラフ教会までやってくる。町で最も巨大な(高い)塔を持っている教会で、塔は19世紀末のものらしい。そもそも、この町の教会は内部を見せるようにはなっていない、美術品とか見せる体制になっていないので、中は真っ暗というところが多い。

ヴァーツラフ教会に隣接した司教区の建物は、昔の宮殿だった建物で、現在は美術館として公開している。50コルナ(280円)払って入ってみる。昔の宮殿の面影は内部には全然なくて、最新のデザインによるモダンな建物になっている。地下には宮殿になる以前の昔の聖堂の遺構が発掘展示されている。

この美術館も、たくさんの人に見せるという体制に作られてなく、見て回る経路が行って戻ってだったり、係員の女性に教えてもらわないと発見できそうにないドアを開けて中に入ったりと… まあ、楽しいですけどね。

共和国広場近くのアジア料理屋で昼食。欧州でよくある「ぶっかけ飯」が60コルナ(330円)。ドイツで食べたら倍以上の価格するから、安いね。飲み物は、今回は注文して見た。コーラじゃなく、地元メーカーのケフラ(?)という飲み物。コーラより安く、1杯13コルナ(70円)。味はちょっと甘め。

旧市街の中央広場(ホルニー広場)まで戻ってきたときに、たまたま雲が切れて少しだけ青空が出てきた。昨日の夕方に写真を撮っていなかったヴァーツラフ教会へ戻って、青空をバックに写真を撮っておく。

新市街へ行ってみる。中央駅は昨日、トラムで通りかかって、特に見るべきものはなさそうだったので、郊外の住宅街の方を目指す。

宿泊している聖カテジナ教会から、まっすぐ南へ。スメタナ公園を抜けると、チェコ鉄道の駅というか、まるで路面電車の停留所のような駅がある。そこから向うが住宅街で、社会主義時代に建設された画一的な建物群が並んでいる。

近隣の国の住宅街とは、似ているようでちょっと違う。共産国家すべてで画一性は取れなかったんだろうね。

再びスメタナ公園を横切って旧市街へ。路面電車のような駅に停車するチェコ鉄道の列車がたまたまやってきた。モダンな黄緑色の列車。ドイツでやっているように、いっそのこと、路面電車を国鉄の線路に乗り入れさせたらいいのに。

オロモウツ旧市街を取り巻く緑地帯で、木の実を拾う兄妹
旧市街を取り巻く緑地帯で、木の実を拾う兄妹


夕方、雲が厚くなってきて、ほんの一瞬、雨粒が落ちてきた。あすは雨でしょうか… 明日は、ドイツのドレスデンまで移動する予定です。

2009/09/28

9月28日 ブルノ、オロモウツ

9月28日(月曜日)
■ チェスキー・ブジェヨヴィツェ

今日も朝は霧が出ているが、昨日ほどでもない。8時少し前に、駅へ。途中、バスターミナルのあるショッピングモールを通ったが、8時前なのにすでにスーパーが開いている。

プルゼニを朝5時ごろ出たブルノ行き列車がブジェヨヴィツェに定刻通り到着。これに乗りこむ。乗客はまばらだ。

■ ブデヨヴィッツェ → ブルノ

駅を出るとすぐに恋霧の中を進む。数分で、一昨日訪れたフルボカー城のすぐ横を通過する。(フルボカー・ザメスティという駅) 霧が濃すぎて、まったく見えないけど…

検札にやってきた車掌が、ベッセリ・ナト・ルズニツィ駅から先は、バスに乗り換えになると告げてきた。

代行輸送ですか… そういえば、7月ごろの豪雨で、チェコ南部が大洪水だったというニュースを見たことあるような。線路が流されちゃったんだろうか。

8時40分、ベッセリ駅到着。社内放送も、駅の放送も何も無いが、乗客はそれなりに下車して、何となく代行輸送バスの方へ歩いてゆく。

日本なら、車内でも駅構内でも放送しまくって、無意味に謝りまくって、代行用の切符を配ったり杓子定規にやっているが、こちらでは、まったく当たり前の事なので放送一つすることもない。

トラック1台と、バス3台が代行用になっているようだが、乗客の数はバス1台で十分…

10mくらい前ですら見えづらいような濃い霧の中を、センターラインすら引いていないような狭い田舎道を、列車が止まるはずだった駅を尋ねながら、バスは走っていく。

列車の経路が、必ずしも幹線道路の経路と一致していないという事なのだろう。

牧草地の緩やかな丘陵を登ったり降りたりしながら、なんとか代行区間を走り終え、ジフラバ駅に到着。プラットホームのすぐ横に横付けしたバスから、目の前の列車に乗り換えると、列車はすぐに発車した。10時34分。

ジフラバ駅で代行バスから列車に乗り換える
ジフラバ駅で代行バスから列車に乗り換える


このころにはすでに霧が晴れている。ジフラバからブルノまで、長距離バスなら1時間の所、なぜか列車は2時間かけて走るという、非常にのんびりペース。永久に全区間代行輸送した方がいいんじゃないの…

■ ブルノ

12時40分、ブルノ中央駅に到着。荷物預けの窓口は閉鎖され、コインロッカーだけがある。(ほとんどのロッカーが使用中のため、使えそうなのは2台しかなかった。料金は60コルナ)

今日じゅうにオロモウツまで到着しないといけないので、バス停を探しに出かける。

まずは、駅前のバスターミナルへ。切符売り場で聞いてみると、予約はすべて売り切れて満員とのこと。長距離バスの一区間のみというのは、この国ではなかなか乗りづらい。

駅の反対側にあるショッピングモールを抜けたところに、もう一つ巨大なバスターミナルがある。そっちには、なぜか切符売り場がなく、案内所のみ。こちらより1日何本か出るオロモウツ行きは、ローカルバスなので当然予約は不要。バス停は見つかったので、次に観光へ。

旧市街へ行ってみる。バスターミナルの所からは、市街地の真ん中の小高い丘の上に、二つの尖塔を持った教会が見えている。(どうも、これがお城らしい)

昨日のブデヨヴィッツェと同じく、旧市街は店がほとんど閉まり、歩く人もほとんど居ないゴーストタウン。今日は祭日か何かですか… (9月28日は、ヴァーツラフ1世記念日で祭日らしい)

丘の上の城は、登って降りてくるだけの時間が無いので、あきらめる。

旧市街の中華屋で昼ご飯を食べて、駅で荷物をうけとり、バスターミナルへ。出発の30分前くらいにバス停に行ったら大丈夫だろう。

やってきたバスは案の定普通の路線バスで、乗客は50人くらいが列をなしている状態。このバスは予約とかは取れないようで、とにかく並んだ者勝ち。

15時、並んでいた全ての乗客を乗せて出発。高速道路へ。

今朝代行輸送で乗ったバスが、田舎道を走っていたのに比べて、こちらは終始高速道路。

■ オロモウツ

16時15分、オロモウツ着。バスターミナルはどこだかよくわからないところにあり、周囲を見渡してもどうも中心街からは遠そうだ。すぐ横の道にトラムが走っているため、乗ってみる。 10分くらいで、旧市街の中央広場に近い停留所へ、

ここの旧市街も、昨日のブジェヨヴィツェと同じく、ゴーストタウン状態。

今日止まるホステルへ。指定された住所の所へ行っても、そこは聖カテジナ教会の敷地となっている。それに教会のフェンス閉まってるし…

しばらく行ったり来たりして、ホステルを探した。いつの間にか教会のフェンスが開いていて、回廊の所に入ることができる。まさか教会本体の建物に泊まるとは思ってもみなかった。廊下には絵画ではなく、ベネディクトゥス16世ローマ教皇の写真がさりげなく貼り付けられている。

オロモウツのホロニー広場の夕景
オロモウツのホロニー広場の夕景


夜:旧市街を取り巻く緑地帯で花火が打ちあがる。やっぱり、今日は祭りだわ。

2009/09/27

9月27日 ブジェヨヴィツェ、クルムロフ

9月27日(日曜日)
■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

朝、ホテルの窓から外を見ると、真っ白に霧が出ている。プラハでは霧は出ていなかったので、地域的なものなのだろうか。旧市街の広場に行ってみる。霧にもかかわらず、日本人の団体観光客が、建物のデッサンをしている。最近は、こういう変わった趣向出ないとツアー客が集まらないのだろうか…

旧市街を取り巻く運河へ行ってみると、水面から盛んに水蒸気が立ち登っている。気温は10度。結構、寒い。

バスターミナルへ向かい、9時20分のチェスキー・クルムロフ行きバスに乗る。バスはプラハから来たようで、すでに車内は満員状態。どうせ20分程度でクルムロフに着くので、立ち席でもいいんだけどね…。

割り当てられた席は、中国人団体の間の席。回りででっかい声でしゃべりまくってるし…。バスの中は2組くらいの中国人団体に占領されているような感じ。 団体なら貸切バスで行けよ…。

■ チェスキー・クルムロフ

霧の中を20分くらい走って、終着のチェスキー・クルムロフに到着。まず城の近くに停車してから、旧市街外れのバスターミナルへ。9時55分到着。

霧が晴れて、やっと青空になりつつある。中年が中心の中国人団体は城の近くで下車し、学生風の中国人団体はバスターミナルで下車した。(クルムロフ旧市街のユースホステルに泊まる雰囲気)

登り下りの少しある道を歩いて旧市街へ。ブジェヨヴィツェと違い、観光客相手の店が開いているし、観光客もたくさんいる。日本人は数名見かけたが、最もたくさん見かけたアジア人は中国人。(大声で下品にしゃべりまくっているので判別がつく)

クルムロフ旧市街のスヴォルノスティ広場
クルムロフ旧市街のスヴォルノスティ広場


旧市街の中央広場(スヴォルノスティ広場)には露天が出ていて、牛肉の串焼きのようなものとか焼いて煙が立ち登っている。民芸品などの露天もあり、完全に観光客相手。普通の町の露天のように、地元の人を相手にした食品や雑貨などの露天は、もちろん無い。(完全に、観光だけのテーマパーク状態の町やね)

第二次世界大戦が終わり、昔からこの地を支配してきたドイツ系民族を、チェコ政府が追放したため、街そのものの発展が一事的に止まってしまったため、現在でもこの町には古い建物が密集して残っているといわれている。

まあ、ほとんどの建物は、壁をカラフルに塗り替えられて、観光客向けの店やペンションになってしまっていて、とてもじゃないけど昔のままという雰囲気は無い。

旧市街の端まで(ほんの数分で端まで着いてしまう)出ると、川の向うに巨大な城が見える。プラハ城に次ぐ、国内2位の大きさだそうだ。

ヴルタヴァ川沿いに建てられているクルムロフ城
ヴルタヴァ川沿いに建てられているクルムロフ城


城の中に入る。入り口の堀には、熊が放されている。落ちたら熊に襲われるというわけですか… 水を張った堀よりは、怖いですね。

城の外壁は、本当はツルツルの塗壁なのに、立体的にレンガが積まれているように全面に絵が描かれている。スグラフィット手法というらしい。ニセの窓とかも描かれていて、だまし絵もかなり本格的。表面に汚れがつきにくく、掃除しやすいという、昔の人にしてはよいアイデアの持ち主だったのでしょう。

クルムロフ城の壁面。スグラフィット手法で描かれ立体的に見える
クルムロフ城の壁面。スグラフィット手法で描かれ立体的に見える


11時10分からの場内見学ツアーを申し込む。英語版は240コルナ(1300円)と高いが、チェコ語なら130コルナ。以前の共産主義下での外国人料金の名残なんでしょうな。

城内の部屋には熊の剥製カーペットが置かれている。昨日のフルボカー城は鹿の角のコレクターで、こっちは熊のコレクター…。

無料で入れる庭園へ。フランス風の幾何学模様のつくりになっている。城本体をだまし絵で飾るのなら、庭にも何かの仕掛けがほしい所だが、単なる庭だった。

バスターミナルへ行く途中、地元の人専用ののど自慢大会のような、音楽祭のようなものをやっていた。何年か前のEurovision Song Contestで優勝したTexas Lightningの曲を歌っていたが、なんか上手くない(結構歌いやすい歌だとは思うんだけど…)。 何日か前にソウルの市庁前でやっていたジャズの野外コンサートが本格的だったんで、つい比べてしまうというのもあるんだけど。

13時40分、バスターミナルよりブジェヨヴィツェ行きのローカルバスに乗る。(長距離バスではないため、途中野村に立ち寄りながら、50分掛かる)

■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

14時30分、ブジェヨヴィツェ着。バスターミナルのあるショッピングモール2階のフードコートで昼食を食べてから、昨日と同じく旧市街へ。

日曜なのに、いや日曜だから旧市街はゴーストタウンのように誰も居ない。クルムロフが観光客であふれているのとは大きな違いだ。

旧市街広場の豪華さは、こっちのほうが上だと思うんだけどねぇ…

2009/09/26

9月26日 ブジェヨヴィツェ、フルボカー

9月26日(土曜日)
■ プラハ

ホテルの朝食の時間が6時30分と思っていたが、休日は7時30分からと食堂の入り口に掲示されている。このホテルの朝食は結構いい方なので、乗る予定の列車を1本後(1時間後)にずらす。

8時ごろチェックアウトし、休日は20分毎にしか走らない5系統のトラムに乗って中央駅へ。

9時15分発のチェスケー・ブジェヨヴィツェ行き列車はほぼ満員。休日だからか、地元の人が行楽に行く雰囲気で乗車している。1時間30分くらいでターボルに停車し、ここでほとんどの人が降りる。列車は、快晴の空の下、緩やかな丘陵地帯を走り抜けて行く。ブジェヨヴィツェには定刻より5分ほど早い11時51分に到着。(運賃は213コルナ、約1200円)

■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

駅の荷物預け室に荷物を預け(12コルナ、70円)、隣にあるバスターミナルへ。バスターミナル… ではなく、巨大なショッピングセンターになっている。フルボカー城へ行くためのバスの出発まで、20分ほどあるので、ショッピングセンター2階のフードコートで、焼きそばを食べる(なぜか、このショッピングセンターにあるファストフードは、3軒のうち2軒がアジア料理だったりする)。

フルボカー城方面へ向かうバスは、12時25分、3階のバスターミナルより出発。運賃は18コルナ(100円)。Windows Mobile機で、GoogleMapをGPSで現在位置を示させて見ているが、目の前に城が見えるので、降りるバス停を間違えることはないはずだ。

■ フルボカー

バスを降り、ややこしい方向案内看板に一度だまされて違う方向に登ろうとしてしまった。ややこしい看板出してる商店はお取潰しにしてほしい。(ローマのボッタクリ食堂が劣りつぶしになったように…)

チェコで最も美しいといわれているそうだが、白亜の城は、どことなくコンクリート製に見えなくもない。というか、結構新しいような気がするんですけど… (Wikipedia英語版によれば、16世紀に改築されたものだと書かれてる)

場内の案内ツアーは、英語では14時30分から1回だけのようで、値段も200コルナ(1100円)と結構割高。時間もないことだし、今回は塔だけに登ってみる(40コルナ、220円)。

城の壁もそうだが、塔の内部も鹿の角の剥製が大量に飾られている。

ここは、鹿気違いのお殿様のお城ですか (笑

食品を得るためではなく、単なる趣味や文化で動物を殺してるんだから、環境なんちゃら団体は抗議しろよ。日本のクジラだけじゃなくてな…

塔の上からはフルボカーに点在する集落が見えるが、それほどスペクタクルというわけでもない。単なる田舎の村々という感じ。

写真を写すため、太陽が当たっている面のほうへ回り込んでみると、結婚式の写真撮影会のようなものが催されている。わざわざ大勢で大金払ってこなくても、人物と景色と別々に撮影してPhotoshopでつなげたらダメ? この手の結婚式写真を見てたら、いつもそう思います。

フルボカー城
フルボカー城


でも、普通の観光客は、この裏側に回り込んできませんね。正面からの逆光の写真で満足しちゃってるんでしょうね。

時刻表検索では、フルボカー・ナト・ブルタボウという駅から列車が出ると書かれているので、そっちの方向へ歩いてみる。が、途中で、距離感を読み間違えていたことに気づき、バス停に戻る。

14時56分、バスに乗りブジェヨヴィツェに戻る。

■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

ブジェヨヴィツェ駅の蒸気機関車
ブジェヨヴィツェ駅の蒸気機関車




駅に荷物を取に行くと、蒸気機関車が1番線に停車している。何かのイベントなのだろうか。

荷物をピックアップして、今日宿泊するホテルへ。駅と旧市街のちょうど中間点にあるGarniホテル。 共産主義時代の宿泊施設を現在でも使っているという感じのところだ。今日は土曜で会社などが休みなので、ホテルのあるビルの5階以外のフロアーはほとんどすべて無人状態になっている。

部屋に荷物を置いて、旧市街へ。軒並み、すべての店が閉店している。休日を厳格に守る姿勢、恐るべし。店もやってないし、観光客もほとんど見かけないし。旧市街はまるでゴーストタウンのようになっている。

ブジェヨヴィツェのオタカル2世の夜景
ブジェヨヴィツェのオタカル2世の夜景


夕方、太陽が沈んだ直後に再び旧市街へ。観光客がほとんどいなくても、ライトアップはちゃんとされる。噴水と市庁舎が一番絵になる雰囲気だが、あと10分ライトアップの時間を前倒ししてもらえれば、夕焼けが美しく撮影できるのに…

2009/09/25

9月25日 プラハ、ターボル

9月25日(金曜日)
■ プラハ

朝、空を見上げると晴れている。ホテルを出て、近くのトラム停留所から3系統に乗り、フローレンス バスターミナルへ。チケット売り場の案内所で、チケットを買う窓口を聞いてみるが、バスに乗るときに直接買えばよいと昨日と同じ答え。長距離バスは事前購入しないといけない国が多いのだが…

案の定、25番バス乗り場に行くと、長蛇の列。人々の手には、チケットが握られている。まあ、どうにかなるだろうという事で列に並ぶ。バスがやって来て、まずチケットを持った客から乗せてゆく。日本人比率が結構高そうだ。バスの正面に掲示されている行き先をみると、チェスキー・クルムロフ行きとなっている。ツアーか何かで来ている客が、自由行動の日に1日観光に出かけるのだろうか。

で、チケットを持った客で大方満員になったところで、当日券購入の客を乗せ始める。最後は立ち席らしい。チケットを持っているが遅れてきた客は、容赦なく立ち席。チケット持っていても、早く来て並べという事なのだろうか…

8時20分、プラハ フローレンス バスターミナルを出発。プラハ中央駅周辺の市街地を渋滞にはまりながら抜けて、高速道路へ。プラハ市街地を離れて畑が続く田舎に入ると、霧が出てくる。昨日の雨のせいなのだろう。10時45分、ターボルのバスターミナル着。

ここで降りたのは数名で、くだんの日本人観光客2グループ 15名くらいはここではだれも降りなかった。

■ ターボル

プラハと同じく、晴れている。バスターミナルを出て、西へ。新市街の繁華街の通りを15分ほど歩くと、旧市街に出る。

繁華街にはたくさんの人が歩いているが、旧市街も含めて観光客はあまり見かけない。中世の宗教戦争(カトリック対新教)での新教側(フス派)の本拠地だった要塞都市というのでは、アピール性に乏しいのだろうか。

旧市街中心広場(ジシカ広場)は観光客をだれも見かけないが、大きな塔を持つキリスト変容教会や、時計塔を持つ市庁舎など、どこの街にもある一通りの種類は揃っている。プラハのように観光客で大混雑しているところよりは、こっちの方が個人的には好きなんですけど…

ターボル旧市街のジシカ広場
ターボル旧市街のジシカ広場


キリスト変容教会の塔に登る。観光客が登るようには作られていないので、鐘の下をくぐるようにして抜けるところがある。鐘が鳴るときだったら、むちゃくちゃうるさいだろうね。

市庁舎は内部の博物館が工事中で入れない。町の西外れにあるコトノフ城へ。内部は中世の町の出土品を展示している展示室になっている。古い塔にも登れるが、入場料は40クローン(220円)とやや高い。

城の塔からは、旧市街が一通り見渡せる。個人的には、逆光で写真がとりにくい教会の塔よりも、こちらの城の塔の方が入る価値はあると思う。

城の横の建物でビール醸造所というのがある(地球の歩き方の情報による)のだが、近づいてみると、ホテルと付属レストラン。歩き方を作っている会社は、ちゃんと取材してのななぁ。

繁華街で昼食を食べ、駅へ。今朝のバスの込み具合では、あすブジェヨヴィツェに行くときには列車にしようと思ったから、帰りはバスではなく列車にした。

ターボルからプラハまでの運賃は、バスが95CZK(520円)、列車が134CZK(730円)。列車の方が10分遅いのに、なぜか3割くらい高い価格設定。競争するつもりないのかな…

列車は5分ほど遅れてやってきて、13時5分に出発。十分余裕を持って坐れるくらいの乗客しかいないので、バスよりこっちの方が楽だ。ただ、丘陵地に水平に線路を引くため、堀割の中を線路が敷かれているので景色が悪いのが難点か。

■ プラハ

14時50分、プラハ中央駅到着。プラハに宿泊して、プラハ観光を全然しないのもなんなので… 旧市街へ向かう。

市庁舎前の広場には大量の観光客がいます。広場の中心付近には露天も出ています。何年か前に来た時には露天などはなかったはずだけど…

カレル橋のヤン・ネポムツキー像
カレル橋のヤン・ネポムツキー像


混雑を見ていても仕方がないので、カレル橋へ向かう。こちらは、橋の半分を閉鎖して、改修工事中。石の橋をコンクリートで修理しています…

2009/09/24

9月24日 プラハ、テレジーン

9月24日(木曜日)
■ プラハ

プラハで3泊するExtol Innというホテルは、ユースホステルとしても部屋を貸していて、私はそのユースホステル側の予約で泊まってるので1泊620CZK(3400円:個室)。今まで経験した宿泊施設の中で、朝食の時間が最も早く、6:30から。ということで、6:30にレストランへ。

7:30に外へ。歩いて10分の所にあるホレショヴィツェ駅のバスターミナルへ。このホテルには過去に何度か泊まっているので、まったく迷うことなく付けるのが便利な所。

チェコの乗り換え案内ホームページで調べたバス時刻表通りのバスに乗る。8:00発のリトメリチェ行き。バスターミナルに居る他のバスに比べて、豪華な最新式のバス。座席の半分くらいが乗客で埋まり出発。テレジーンまで75CZK(410円)。曇り空の中、ドイツのドレスデンへ繋がる高速道路を北へ。テレジーンはプラハとドイツ国境のちょうど中間地点付近にある。途中から雨が降り出し、テレジーンに到着するときには本ぶりの雨になった。テレジーン到着8:50。

■ テレジーン

観光客は他にだれも降りない。バスはほぼ地元の人ばかりのようだ。だれも居ない要塞都市の中心広場にバス停があり、19世紀に建てられた教会が正面に鎮座している。市役所や芸術会館など4階建てくらいの建物が取り囲んでいるが、全然華やかさがない。

やはり、第二次大戦のときに強制収容所の一部として使われていたときに、過剰なまでの公共建築物を建てまくって、現在ではもてあまし気味になっているのだろうか。

一角にあるゲットー博物館へ。ここの入場券(200CZK、1100円)を買うと、郊外の小要塞とマグデブルク兵舎にも入れる。

博物館では戦時中にドイツが作った宣伝映画を見せてくれる。強制収容所なのに、リゾート地のユースホステルのような雰囲気の映画になっている。映画の中で実際にどれくらいの人がこの収容所につれてこられ、仕分けされて最終的な絶滅収容所に送られていった、それぞれの数を読み上げているが、たとえば5000人が仕分けされ送り出されて、その中で生き残ったのはたったの10人とか、そういう感じだ。

絶滅収容所の運営を、ドイツ人的に非常に精緻にやっていたので、宣伝映画で出てくるように収容者に娯楽を与えたり、文化活動させたり、家庭菜園のようなものを作らせるのも何らかの意味があったのだろうが…

ニュルンベルクの戦時中の記録を保管したドキュメントセンターを含め、各国に散らばった収容所をこれまで訪ねてきたが、このテレジーン(ドイツ名はテレジアシュタット。あのマリア・テレジアにちなんだ名前)で気づいたことを箇条書きで…

・中継収容所なので、ガス室や死体焼却炉の展示が主ではない。

・収容所(小要塞)とゲットー(大要塞)が隣り合っていた。博物館は2カ所をともに対象にしているようだ

・ベッドが集密して入れられている収容室が比較的よく再現展示されている

・アウシュビッツにあるような、犠牲者の持ち物を仕分けして山になった物などは展示されていない

大要塞の外れにある火葬場は完ぺきに残っているが、絶滅収容所のように効率よく大量に処理するものではなく、現代の火葬場と同じようなものなのではないだろうか。(以前、ビルケナウ収容所で見た展示では、人間の脂肪油の処理が焼却効率向上の妨げになっていたとか、処理しきれなくなったら地面に大きな穴を掘って、底に大量の死体を放り込んで蒸し焼きにして、近隣の農家から異臭がするという苦情が絶えなかったとか…)

プラハやベルリンから連行された人が多く、最終の送り先はアウシュビッツ、ビルケナウ、トレブリンカとのこと。慰霊施設にはオランダ政府の出した銘板もあった。慰霊施設の前には、当時、連行されてきた囚人が乗せられた貨物列車が通った鉄道の線路が一部分残っている。(現在、この町に鉄道は通っていない)

大要塞の中にあるテレジーンの町は、半分くらいの建物が、倉庫か何かの用途で使われているようで、どことなく裏びれた感じのする通りが何本もある。要塞博物館じゃなく、収容所博物館なので、要塞の壁や、弾丸などを補給するための地下通路は公開されていないようだ。

大要塞のほうを見終わって、1kmくらい離れた小要塞へ。こちらにはたくさんの観光バスが来ていて、ドイツ語を話す学生のグループが大量に来ていた。こっちは収容所なので、現在でも住人は住んでなくて、全部博物館になっている。

テレジーン強制収容所のArbeit Macht Freiの標語
テレジーン強制収容所のArbeit Macht Freiの標語


一度もその機能が使われなかった要塞としての展示も是非してほしいものだが、第二次大戦時に要塞を使うような激しい戦闘をせずに、外交的にドイツの占領を認めたあたりにチェコの負い目があるのかも…。

テレジーン小要塞の堀
テレジーン小要塞の堀


GoogleMapの地図では、4kmほど北にリトメリチェという町がある。日本のガイドブックには載っていない町だが、ロンプラには掲載されているので、とりあえず行ってみることにする。

102時間に1本バスが通るが、そんなものを待っているのはアホらしいので、GoogleMapで検索した最短距離のルートで行ってみる。

テレジーンからリトメリチェへ。GPSの表示
テレジーンからリトメリチェへ。GPSの表示


■ リトメリチェ

なんと、途中、ゴルフ場のど真ん中を横切る砂利道を通っていく。25分ほどでラーベ川にかかる橋をわたり、リトメリチェに入る。小ぢんまりした町だが、割と大きな中心広場があって、周囲の建物には観光客向けのレストランなどもあって、近隣のドイツからの観光客でそれなりににぎわっている。

市庁舎には変な形の塔が立っていて、上に上れるようになっている。カフェでポークグリルのサンドイッチを昼食とする。92CZK。町の中には、中華のファストフード店が何軒かあり、田舎の町にしては食の選択肢が結構ある感じがした。

町の博物館にはワインの説明展示が結構あって、チェコなのにビールではなくワインというあたりが、冗談か何かのように思える。

14:30発のバスでプラハに戻る。運賃75CZK、所要時間はきっかり1時間。

■ プラハ

曇りで写真撮影どころではないため、どこか博物館へ。いまだかつて行ったことがない、軍事歴史博物館へ。

フローレンツバスターミナルの東の斜面にあって、入場料がなんと無料。自国でそれほど大きな軍事力を持ったことがない国なので、展示は広く第二次大戦のトピックを扱っている。

ドイツ軍の展示だけでなく、英国軍やソビエト軍の装備品の展示や、戦局を左右した有名な戦いのジオラマが再現されていたりする。

軍事博物館(ドイツ空軍士官とポーランド陸軍の制服)
軍事博物館(ドイツ空軍士官とポーランド陸軍の制服)


その一方で、他国の訓示博物館でよく見かける当時の戦車や戦闘機の現物展示はしてなかった。

夕食は、ホテルの近くにある巨大市場で、ベトナム料理を食べる。

2009/09/23

9月23日 ソウル、プラハ

9月23日(水曜日)
■ ソウル
5時50分に旅館を出発。市庁南側の北倉道地区(飲食店街)にあるため、地下鉄市庁駅へは歩いて5分くらいで到着する。

とりあえず空港バスの停留所へ行ってみる。街路樹に水をやる作業車が来ていて、バス停の上の木に水を放水している。(普通は地面に水遣りするんじゃないの?)バスは来そうにも無いので、地下鉄駅へ。早朝の接続が悪い時間帯は30分ほどバスより余計に時間がかかる可能性があるが、到着時刻が読める地下鉄にする。

券売機械で仁川空港を選択すると、4400ウォン(340円)と表示される。2号線、9号線、空港鉄道と乗り換えても、通しの切符を売ってくれるようだ。昨日の切符は返却機に入れて500ウォンのデポジットの返却を受けておく。

5時58分 市庁駅発、車内はなぜか結構な数の人が乗っている。10分毎だからかな。6時13分 堂山駅下車。高架駅から新しく出来た9号線の駅へ長いエスカレーターで降りる。中間改札を通り、先月開通したばかりの9号線の急行に6時28分乗車。地下鉄なのに急行? 途中の駅をほとんどすっ飛ばして6時40分金浦空港駅に到着。6時53分、一つ上の階のホームより空港鉄道の各停に乗車(ここには中間改札は無い)。7時25分仁川空港駅着。きっかり1時間半かかった。

仁川空港駅は、まるでターミナルビルのような巨大な独立したガラス張りの建物で、関西空港のアエロプラザと同じく、貧乏アジア人の見栄だけで作られたような感じの所だ。駅からチェックインカウンターまで歩いて10分以上掛かる! 出来れば、ターミナルビルの横に小ぢんまりと作ってほしい。

チェックインを済ませてちょっとそのあたりを散策しているだけで、時間ぎりぎりとなる。両替して残った韓国ウォンを使って、コンビニで菓子類などを買う。(ついでに、プラハで食べる用のインスタントラーメンも)

9時10分、エールフランスのパリ行きが定刻の10分前に出発。機内は満席。日本人はそれほど目立たないが、韓国人も案外たくさん旅行に行くようだ。(機内は、日本発欧米便のようにツアー客いっぱいという雰囲気でもなさそうだし)

機内食には全て「キムチのレトルトパック」が付いてきたのは、韓国路線ならではのサービスなのだろう。食事はパリ-日本の便より、パリ-ソウルの便のほうが良かったし、機材も新しかった。韓国路線のほうに力を入れているんだろうね。

■ パリ

11時間掛かってパリシャルル・ドゴール空港に到着。14時20分。天候は快晴。乗り継ぎ時間が4時間という微妙なもので、パリ市内まで出るとほとんど時間が残らない計算になる。

到着したFターミナルから、プラハ行きのシェンゲン地域便が出るDターミナルへ移動。中間にパスポートコントロールがあるが、なんのことはない、コントロールを出た後に普通に出国した通路に放り出される。Fターミナルで国際線を乗り継ぐ場合以外は、普通に出国審査に並んだ方が時間が短くて済みそうだ。

RERとSNCFの駅の上を横切って、延々と歩いてDターミナルへ。ベンチに坐って3時間ほど時間をつぶす。

プラハ行きの便は、18時20分、定刻より10分ほど遅れて出発。

ブリュッセルやケルンあたりに曇りと晴れの境目が東西に走っていて、ちょうどそれが天気予報の図では前線になっている。プラハの明日の天気は曇りということは、微妙にこの雲の南端がかかってくるのだろうか。

■ プラハ

19時50分、5分遅れでプラハ着。荷物は預けていないので、そのまま空港を出て、ATMで4000コルナ(21,200円。1コルナ=5.3円)を出金する。公営交通会社のチケット販売所がかろうじて開いていたので、市内切符1枚26コルナ(140円)を買う。空港バスには乗れないが、その他のバスや地下鉄、トラムは75分間乗り放題になる。

で、事前に調べた通り、トラム1号線の終点を通過する179系統のバスに乗る。旅行客が乗らないような経路のものだが…

20時3分、空港発。20時26分、郊外の住宅街にあるVertonikバス停下車。すぐ目の前にトラムの停留所がある。20時35分、1系統のトラムに乗り、30分ほど掛かって今日泊まるホテルのある市街地北部のデルニツカ停留所へ。

ここまではほぼ予定通り。

プラハの天気は今の所快晴だが、あすは天気がどうなることか…

2009/09/22

9月22日 ソウル

9月22日(火曜日)
■ ソウル

乗り継ぎのためにソウルの仁川空港に到着。ターミナルビル到着エリアのATMで50,000ウォンをキャッシング。1ウォン=0.077円なので、約3900円。両替すると日本円より表示額面が大きくなると、金持ちになったような気がする…

バス停へ。チケット売り場で6005系統で市庁までの切符を購入。9,000ウォン(690円)。30分毎のバスは5分前に出たばかりで、次は11:50発。ターミナルビルに戻り、観光案内所(LUNCH TIMEという札がおいてあり、カウンターの横に山積みされていたソウルの地図(日本語版)を1枚勝手に取ってくる。

空港バスは11:50の時間通り空港を出発し、ソウル郊外まで高速道路を走り、そこから一般道路へ。乗客はたったの3人なので、途中のバス停はすべて通過するので、それだったら市内中心部まで高速道路で行ってくれよ…。1時間10分で、光化門、市庁のバス停に到着。明日の朝のバスの時刻を確認しようと、バス停を見ても、30分毎としか書かれていない。下手すると、また25分待ちなどということがあり得るかもしれない。明日の朝は、地下鉄で空港に戻ろう…

楽天トラベルで予約した大祐旅館へ(1泊2632円)。早朝に空港に行かないといけないのでなければ、現地で旅館を探した方が断然安いと思うけどね…

半日ほど観光する時間があるので、まず景福宮へ。市庁前よりまっすぐ北へ、大通り(太平路、世宗路)を歩いてゆく。韓国では今日は祭日でもなんでもないはずだが、市庁前の広場や清渓川のところに緑と白のテントを張っている。イベントでもやってるのだろうか…

景福宮は工事中のような雰囲気で、前面を全て工事用シートで覆い隠している。横に回りこんでみると、博物館の入り口があった。博物館はずっと以前に入場したことがあるので、今回は宮殿の方と思ってみたが、なんと本日は休館日。空港でもらった地図には、休みの日は書いてないからなぁ…

景福宮の興礼門
景福宮の興礼門


京都御所と同じく、周囲から眺めるだけ。派手な彩色の興礼門は、京都御所のものよりちゃちに見える。もしかしてレプリカとか、そういうものなのだろうか。(Wikipediaによれば、豊臣秀吉が朝鮮出兵したときに消失し、その後1810年に再建されたが、日韓併合で宮殿が廃止されたため撤去され、1990年代に再び再建されたということだ。レプリカというより、現代建築ですね…)

のんびり歩いて鐘路まで下ってくる。ここも道路に芝生が張られて、白と緑のテントが…。バス停付近にはオープンカフェもある。特設案内所のようなところがあり、今日は環境イベントで自転車で走れるように自転車レーンの社会実験をしているとのこと。市内各所の白と緑のテントも、環境イベントの一環のようだ。

そういえば、ソウル市内には自転車レーンというのをみ欠けないのだが、あまり自転車は人気がないのだろうか。(数年前のことだが、韓国人の友人は、あまり自転車はポピュラーじゃないと言っていた。特に女性は自転車にはあまり乗らないんだとか)

鐘路タワーまで行き、少し南へ。清渓川という堀割のような水路がある。昔はここに道路があったようだが、何を考えたか堀割を復活して、わざとらしく水を流していたりする。人工的にやっているのなら、自動車の排気ガスなどの有害ガスが沈んで溜まりやすい堀割にして、底に遊歩道を通さなくても…

市庁前の徳寿宮まで戻る。ここは今日は開館しているようで、1,000ウォン(80円)支払って中へ入る。(Wikipediaによれば、豊臣秀吉による戦乱で焼けた景福宮のかわりに、ここを宮殿として使っていたそうだ)

徳寿宮の王宮守門将の交代式
徳寿宮の王宮守門将の交代式


中国の故宮の小さいのという感じで、京都の御所とはかなり違う感じだ。本殿の中和殿の前の石の階段や、そこにおかれている龍の彫り物などは、中国の影響なのだろう。

本殿の横には、アメリカのホワイトハウスのような建物も… 明治時代以降、ホワイトハウスのような宮殿の方を使っていたそうだ。 日本が洋式の迎賓館を建てていたのと同じような感覚なのだろうか。15時30分ごろ、守門将の交代式(衛兵の交代式のようなもの)が派手に始まる。衛兵はどこか締りがないような、なんだか嫌そうな表情をしていたり、近くの衛兵同士で私語雑談をしていたりとイマイチな統制ぶり。

16時30分ごろ、市庁の南の北倉道地区でビビンパを食べる。5,000ウォン(380円)。やっぱり、韓国で食べると辛いわ…。日本で売ってるのは、日本人向けに唐辛子の量を加減してるのだろう。

南大門市場へ。韓国は一応先進国なのだろうが、こういう怪しげな雑貨市場がいまだに残っているのが不思議だ。どうみても商標権や著作権をちゃんと守って無さそうな品物が屋台で売られている… 観光客を集めているから、政府も閉鎖できないのだろう。

南大門市場
南大門市場 (日本語の看板もちらほら)


繁華街の明洞を通って、明洞聖堂へ。まるでドイツやオランダの大聖堂をコピーして来たかのような雰囲気。18時、鐘が鳴って、礼拝が始まった。

地下鉄に乗って会賢駅まで行き(運賃1,000ウォン)、夕食に参鶏湯を食べに行く。これはさすがに辛くなく、食べやすい。11,000ウォン(850円)。

飛行機の乗り継ぎでソウルも悪くないですね。24時間ぎりぎりのストップオーバーの便を選ばせてくれれば、良いセールスポイントになるんじゃないでしょうか。