2009/09/24

9月24日 プラハ、テレジーン

9月24日(木曜日)
■ プラハ

プラハで3泊するExtol Innというホテルは、ユースホステルとしても部屋を貸していて、私はそのユースホステル側の予約で泊まってるので1泊620CZK(3400円:個室)。今まで経験した宿泊施設の中で、朝食の時間が最も早く、6:30から。ということで、6:30にレストランへ。

7:30に外へ。歩いて10分の所にあるホレショヴィツェ駅のバスターミナルへ。このホテルには過去に何度か泊まっているので、まったく迷うことなく付けるのが便利な所。

チェコの乗り換え案内ホームページで調べたバス時刻表通りのバスに乗る。8:00発のリトメリチェ行き。バスターミナルに居る他のバスに比べて、豪華な最新式のバス。座席の半分くらいが乗客で埋まり出発。テレジーンまで75CZK(410円)。曇り空の中、ドイツのドレスデンへ繋がる高速道路を北へ。テレジーンはプラハとドイツ国境のちょうど中間地点付近にある。途中から雨が降り出し、テレジーンに到着するときには本ぶりの雨になった。テレジーン到着8:50。

■ テレジーン

観光客は他にだれも降りない。バスはほぼ地元の人ばかりのようだ。だれも居ない要塞都市の中心広場にバス停があり、19世紀に建てられた教会が正面に鎮座している。市役所や芸術会館など4階建てくらいの建物が取り囲んでいるが、全然華やかさがない。

やはり、第二次大戦のときに強制収容所の一部として使われていたときに、過剰なまでの公共建築物を建てまくって、現在ではもてあまし気味になっているのだろうか。

一角にあるゲットー博物館へ。ここの入場券(200CZK、1100円)を買うと、郊外の小要塞とマグデブルク兵舎にも入れる。

博物館では戦時中にドイツが作った宣伝映画を見せてくれる。強制収容所なのに、リゾート地のユースホステルのような雰囲気の映画になっている。映画の中で実際にどれくらいの人がこの収容所につれてこられ、仕分けされて最終的な絶滅収容所に送られていった、それぞれの数を読み上げているが、たとえば5000人が仕分けされ送り出されて、その中で生き残ったのはたったの10人とか、そういう感じだ。

絶滅収容所の運営を、ドイツ人的に非常に精緻にやっていたので、宣伝映画で出てくるように収容者に娯楽を与えたり、文化活動させたり、家庭菜園のようなものを作らせるのも何らかの意味があったのだろうが…

ニュルンベルクの戦時中の記録を保管したドキュメントセンターを含め、各国に散らばった収容所をこれまで訪ねてきたが、このテレジーン(ドイツ名はテレジアシュタット。あのマリア・テレジアにちなんだ名前)で気づいたことを箇条書きで…

・中継収容所なので、ガス室や死体焼却炉の展示が主ではない。

・収容所(小要塞)とゲットー(大要塞)が隣り合っていた。博物館は2カ所をともに対象にしているようだ

・ベッドが集密して入れられている収容室が比較的よく再現展示されている

・アウシュビッツにあるような、犠牲者の持ち物を仕分けして山になった物などは展示されていない

大要塞の外れにある火葬場は完ぺきに残っているが、絶滅収容所のように効率よく大量に処理するものではなく、現代の火葬場と同じようなものなのではないだろうか。(以前、ビルケナウ収容所で見た展示では、人間の脂肪油の処理が焼却効率向上の妨げになっていたとか、処理しきれなくなったら地面に大きな穴を掘って、底に大量の死体を放り込んで蒸し焼きにして、近隣の農家から異臭がするという苦情が絶えなかったとか…)

プラハやベルリンから連行された人が多く、最終の送り先はアウシュビッツ、ビルケナウ、トレブリンカとのこと。慰霊施設にはオランダ政府の出した銘板もあった。慰霊施設の前には、当時、連行されてきた囚人が乗せられた貨物列車が通った鉄道の線路が一部分残っている。(現在、この町に鉄道は通っていない)

大要塞の中にあるテレジーンの町は、半分くらいの建物が、倉庫か何かの用途で使われているようで、どことなく裏びれた感じのする通りが何本もある。要塞博物館じゃなく、収容所博物館なので、要塞の壁や、弾丸などを補給するための地下通路は公開されていないようだ。

大要塞のほうを見終わって、1kmくらい離れた小要塞へ。こちらにはたくさんの観光バスが来ていて、ドイツ語を話す学生のグループが大量に来ていた。こっちは収容所なので、現在でも住人は住んでなくて、全部博物館になっている。

テレジーン強制収容所のArbeit Macht Freiの標語
テレジーン強制収容所のArbeit Macht Freiの標語


一度もその機能が使われなかった要塞としての展示も是非してほしいものだが、第二次大戦時に要塞を使うような激しい戦闘をせずに、外交的にドイツの占領を認めたあたりにチェコの負い目があるのかも…。

テレジーン小要塞の堀
テレジーン小要塞の堀


GoogleMapの地図では、4kmほど北にリトメリチェという町がある。日本のガイドブックには載っていない町だが、ロンプラには掲載されているので、とりあえず行ってみることにする。

102時間に1本バスが通るが、そんなものを待っているのはアホらしいので、GoogleMapで検索した最短距離のルートで行ってみる。

テレジーンからリトメリチェへ。GPSの表示
テレジーンからリトメリチェへ。GPSの表示


■ リトメリチェ

なんと、途中、ゴルフ場のど真ん中を横切る砂利道を通っていく。25分ほどでラーベ川にかかる橋をわたり、リトメリチェに入る。小ぢんまりした町だが、割と大きな中心広場があって、周囲の建物には観光客向けのレストランなどもあって、近隣のドイツからの観光客でそれなりににぎわっている。

市庁舎には変な形の塔が立っていて、上に上れるようになっている。カフェでポークグリルのサンドイッチを昼食とする。92CZK。町の中には、中華のファストフード店が何軒かあり、田舎の町にしては食の選択肢が結構ある感じがした。

町の博物館にはワインの説明展示が結構あって、チェコなのにビールではなくワインというあたりが、冗談か何かのように思える。

14:30発のバスでプラハに戻る。運賃75CZK、所要時間はきっかり1時間。

■ プラハ

曇りで写真撮影どころではないため、どこか博物館へ。いまだかつて行ったことがない、軍事歴史博物館へ。

フローレンツバスターミナルの東の斜面にあって、入場料がなんと無料。自国でそれほど大きな軍事力を持ったことがない国なので、展示は広く第二次大戦のトピックを扱っている。

ドイツ軍の展示だけでなく、英国軍やソビエト軍の装備品の展示や、戦局を左右した有名な戦いのジオラマが再現されていたりする。

軍事博物館(ドイツ空軍士官とポーランド陸軍の制服)
軍事博物館(ドイツ空軍士官とポーランド陸軍の制服)


その一方で、他国の訓示博物館でよく見かける当時の戦車や戦闘機の現物展示はしてなかった。

夕食は、ホテルの近くにある巨大市場で、ベトナム料理を食べる。