2009/09/30

9月30日 パルドゥビツェ、ドレスデン

9月30日(水曜日)
■ オロモウツ

昨晩は雲の間から月が見え隠れしていたが、早朝より雨が降り出していた。スーパーで買っておいたパンなどを食べて、7時30分ごろ教会のホステルを出る。(鍵はポストに放り込んでおいてよいと、チェックイン時にすでに聞いてある)

土砂降りの雨の中を、最も近い場所にあるトラム停留所 Trzniceへ。すぐにトラムがやって来たが、満員。ほとんどの客は中央駅の一つ手前の停留所で降りていった。

中央駅の出発案内表示には、これから乗るはずの列車が10分遅れと出ている。チェコ鉄道で最優等列車のペンドリーノでさえ10分遅れるくらいの雨なのか、単にいつも遅れているのかは知らないけど…

ペンドリーノは特別料金200コルナ(1100円)取るが、その予約券には車両番号しか書いてなかったりする。座席は? と思っていたが、乗車して見ると座席指定は無いようだ。車両あたりの人数合わせをしているだけのようだ。

アルストム製の高速列車(たしかこのタイプは、イタリアが初めてだったか)だが、西欧でよく使われているインターシティ用車両の最高速度と同じ、時速160kmしか出していない。(GPSで計測した)

カーブが多い路線だから、強制的に車両を傾けるのがほしかっただけなのか… カーブに差し掛かると時速100km以下に落としてるのなら意味ないし。

1時間乗車して、9時40分にパルドゥビツェで下車する。

■ パルドゥビツェ

駅のコンコースの中央に荷物預け所がある(普通は、駅の端の方にあるんだけど…)。 荷物を預けて、旧市街を目指す。この町は日本のガイドブックには紹介されていないけど、ルネッサンス様式の旧市街中央広場と、孔雀の居る城でそれなりに有名らしい。

事前にGoogleMapで仕入れた地図を頭に入れてあるので、まったく迷わずに旧市街へ到達。(駅を出て、目の前の大通りを右の方向へ、ひたすらまっすぐ1kmほど歩くだけ)

駅と旧市街の間の大通りには、TESCOを始め、大型ショッピングセンターの地区となっている。割と大きな街なんだ…

雨がやむ。ありがたいことだ。旧市街の中央広場(ペムスティンスク広場)へは大きな時計塔の下をくぐり抜けて入るようになっている。

やたら豪華な市庁舎と、広場を取り囲んでいる建物も、ぞれぞれ装飾で飾られている。確かに、他の街の中央広場より、華麗な感じを受ける。晴れていたらもっとよかったのに。
中央広場で北に向きを変え、数分歩くと城の入り口へ。入場料払わなくても、城門をくぐって城の横まで行くことができる。ここもだまし絵(スグラフィット手法)で立体的に見せた壁を持つ城だ。ついでに、孔雀が至る所に堂々と歩いていたりする。

数年前にマケドニアとアルバニアの国境にあるネウム聖堂に行ったときにも、孔雀は居たが、これほど近寄っても逃げることすらしない、ふてぶてしい孔雀も珍しい。

パルドゥビツェ城
パルドゥビツェ城


急に太陽が顔を出し、白い城の壁がまぶしく輝く。天気予報では雨のはずなんだけど、ほんの少しだけ雲が切れている部分があるのだろう。やはり、写真は晴れていないとまったく使いものにならないから、ありがたい。

11時、駅に戻る。次に乗る列車は11時20分発のEuroCity174便だが、20分遅れと出ている。旧市街に行く途中に見つけた中華屋へ行き、残りの小銭で買える料理を、持ち帰りで購入(駅か列車内で食べるつもり)。 69コルナ(380円)で、チキングリルに中華風のたれをかけたものと、ご飯のセットだった。

11時40分、20分遅れでやってきたブダペスト発、ハンブルク行きEC174に乗車。これも、座席予約は多分不要。(ずっと以前に、これと同じ経路を走る4時間後の列車にブダペストからブラチスラバまで乗車したことがあるので、混んでいないことは経験済み)

列車はさきほど乗ったペンドリーノ(この国ではSC:SuperCityと略すらしい)と同じくらいの速度でプラハまで行き、そこからほぼ満員の乗客を乗せて、山岳地帯を超えてドイツへ。20分遅れだったのが、プラハに到着した時点で15分遅れに、その後は遅れをさらに取り戻す努力はせずに、ドレスデンには15分遅れの15時に到着。

■ ドレスデン

曇っている。駅の横のトラム乗り場へ行き、今日泊まるペンションの方へ行く9系統の乗り場を探す。駅周辺はたくさんの路線が乗り入れているので、9系統は少し離れたショッピングセンターの所に乗り場があった。停留所の券売機で1回券1.8ユーロを購入。チェコの4倍以上高い… しばらくチェコを回っていると、ドイツの値段の高さにびっくりすることになる。

10分毎に走る9系統に乗車し、郊外の住宅街のアルトピッシェン停留所で下車。ペンションは停留所から歩いて5分くらいの所にあり、まるでホテルのようにフロントデスクがある力の入れよう。設備のきれいさといい、まるでホテルですね… 本日は他に客が居ないようで、ほとんどの部屋は学生寮として使われている模様。1泊25ユーロ(3300円)。

ペンションとトラム停留所の間にあるスーパーで明日の朝食の買い出しをしてから、歩いて旧市街へ。GoogleMapの衛星写真で近そうに見えても、実際に歩くの結構遠く、アウグストゥス橋まで30分弱掛かる。これは高くてもトラムに乗るべきだな…

夕食はノイスタットのメインストリートにあるビストロやら中華やらが集まったフードコートで。チェコなら500円で満腹になるが、ここでは800円程度(6ユーロ程度)は掛かる。

アウグストゥス橋を渡って旧市街へ。この寒いのに、河川敷から気球を上げている。乗客はかなり厚着をしているが、それでも寒いだろう…

だんだん雲が切れて、ドレスデンの上空だけ晴れ間が出てくる。そして日没。きれいな夕日が旧市街の復刻された建物群に当たる。第二時大戦の爆撃で完ぺきに破壊されたはずなので、よくここまで黒焦げになった残骸を再度組み合わせて教会などを建てたものだと思う。

ドレスデンのカトリック宮廷教会とドレスデン城の塔の夜景
カトリック宮廷教会とドレスデン城の塔の夜景


建物の周囲には照明柱があるので、ライトアップされるものと信じて19時ごろまで待つ。予想通りライトアップされるが、あまり観光客は来ていない。観光の季節じゃないのかなぁ。

2009/09/29

9月29日 オロモウツ

9月29日(水曜日)
■ オロモウツ

天気予報通り、雲っている。バルト海あたりに低気圧があって、そこから伸びる「なんとか前線」がドイツあたりを横断し続けているため、明日からずっと雨になる可能性がある…

今回の旅行ではプラハのホテルを除いて、朝食が付かない予定のため、スーパーで買ったパンや、インスタントラーメンなどで部屋で朝食。(普段は使わないコイルヒーターで湯を沸かすのは、こういう時くらい)

泊まっている教会は旧市街の内側にあるので、門を出てほんの数十メートル歩くと、小さい方の広場(ドルニー広場)になっている。昨日は祝日(だったのだろう)で、ほとんど人が歩いていなかった道路も、朝の通勤時間帯でたくさんの人が歩いている。旧市街の何割かは大学の施設になっているため、学生がたくさんいる。

ちなみに、泊まっている聖カテジナ教会の部屋も、ほとんどは学生向けのアパートとして部屋貸しされている。私の泊まっているフロアーは、どうも女子学生寮のようだが…

旧市街外周の城壁に沿った公園沿いに歩いて、最初に見えたクーポラを持つ教会へ。聖ミカエル教会というらしく、回廊に囲まれた中庭が、どう見ても幼稚園の遊び場のようにプラスチック製の遊具が置かれていたりする。入場料を取らない代わりなのか、塔の中の展示室に登るときには、「必要なときだけ電気をつけて下さい」という張り紙がスイッチの所に張ってあったりする。セルフサービスの教会というのも始めて体験した…

オロモウツのヴァーツラフ教会
ヴァーツラフ教会


旧市街の一番東端にあるヴァーツラフ教会までやってくる。町で最も巨大な(高い)塔を持っている教会で、塔は19世紀末のものらしい。そもそも、この町の教会は内部を見せるようにはなっていない、美術品とか見せる体制になっていないので、中は真っ暗というところが多い。

ヴァーツラフ教会に隣接した司教区の建物は、昔の宮殿だった建物で、現在は美術館として公開している。50コルナ(280円)払って入ってみる。昔の宮殿の面影は内部には全然なくて、最新のデザインによるモダンな建物になっている。地下には宮殿になる以前の昔の聖堂の遺構が発掘展示されている。

この美術館も、たくさんの人に見せるという体制に作られてなく、見て回る経路が行って戻ってだったり、係員の女性に教えてもらわないと発見できそうにないドアを開けて中に入ったりと… まあ、楽しいですけどね。

共和国広場近くのアジア料理屋で昼食。欧州でよくある「ぶっかけ飯」が60コルナ(330円)。ドイツで食べたら倍以上の価格するから、安いね。飲み物は、今回は注文して見た。コーラじゃなく、地元メーカーのケフラ(?)という飲み物。コーラより安く、1杯13コルナ(70円)。味はちょっと甘め。

旧市街の中央広場(ホルニー広場)まで戻ってきたときに、たまたま雲が切れて少しだけ青空が出てきた。昨日の夕方に写真を撮っていなかったヴァーツラフ教会へ戻って、青空をバックに写真を撮っておく。

新市街へ行ってみる。中央駅は昨日、トラムで通りかかって、特に見るべきものはなさそうだったので、郊外の住宅街の方を目指す。

宿泊している聖カテジナ教会から、まっすぐ南へ。スメタナ公園を抜けると、チェコ鉄道の駅というか、まるで路面電車の停留所のような駅がある。そこから向うが住宅街で、社会主義時代に建設された画一的な建物群が並んでいる。

近隣の国の住宅街とは、似ているようでちょっと違う。共産国家すべてで画一性は取れなかったんだろうね。

再びスメタナ公園を横切って旧市街へ。路面電車のような駅に停車するチェコ鉄道の列車がたまたまやってきた。モダンな黄緑色の列車。ドイツでやっているように、いっそのこと、路面電車を国鉄の線路に乗り入れさせたらいいのに。

オロモウツ旧市街を取り巻く緑地帯で、木の実を拾う兄妹
旧市街を取り巻く緑地帯で、木の実を拾う兄妹


夕方、雲が厚くなってきて、ほんの一瞬、雨粒が落ちてきた。あすは雨でしょうか… 明日は、ドイツのドレスデンまで移動する予定です。

2009/09/28

9月28日 ブルノ、オロモウツ

9月28日(月曜日)
■ チェスキー・ブジェヨヴィツェ

今日も朝は霧が出ているが、昨日ほどでもない。8時少し前に、駅へ。途中、バスターミナルのあるショッピングモールを通ったが、8時前なのにすでにスーパーが開いている。

プルゼニを朝5時ごろ出たブルノ行き列車がブジェヨヴィツェに定刻通り到着。これに乗りこむ。乗客はまばらだ。

■ ブデヨヴィッツェ → ブルノ

駅を出るとすぐに恋霧の中を進む。数分で、一昨日訪れたフルボカー城のすぐ横を通過する。(フルボカー・ザメスティという駅) 霧が濃すぎて、まったく見えないけど…

検札にやってきた車掌が、ベッセリ・ナト・ルズニツィ駅から先は、バスに乗り換えになると告げてきた。

代行輸送ですか… そういえば、7月ごろの豪雨で、チェコ南部が大洪水だったというニュースを見たことあるような。線路が流されちゃったんだろうか。

8時40分、ベッセリ駅到着。社内放送も、駅の放送も何も無いが、乗客はそれなりに下車して、何となく代行輸送バスの方へ歩いてゆく。

日本なら、車内でも駅構内でも放送しまくって、無意味に謝りまくって、代行用の切符を配ったり杓子定規にやっているが、こちらでは、まったく当たり前の事なので放送一つすることもない。

トラック1台と、バス3台が代行用になっているようだが、乗客の数はバス1台で十分…

10mくらい前ですら見えづらいような濃い霧の中を、センターラインすら引いていないような狭い田舎道を、列車が止まるはずだった駅を尋ねながら、バスは走っていく。

列車の経路が、必ずしも幹線道路の経路と一致していないという事なのだろう。

牧草地の緩やかな丘陵を登ったり降りたりしながら、なんとか代行区間を走り終え、ジフラバ駅に到着。プラットホームのすぐ横に横付けしたバスから、目の前の列車に乗り換えると、列車はすぐに発車した。10時34分。

ジフラバ駅で代行バスから列車に乗り換える
ジフラバ駅で代行バスから列車に乗り換える


このころにはすでに霧が晴れている。ジフラバからブルノまで、長距離バスなら1時間の所、なぜか列車は2時間かけて走るという、非常にのんびりペース。永久に全区間代行輸送した方がいいんじゃないの…

■ ブルノ

12時40分、ブルノ中央駅に到着。荷物預けの窓口は閉鎖され、コインロッカーだけがある。(ほとんどのロッカーが使用中のため、使えそうなのは2台しかなかった。料金は60コルナ)

今日じゅうにオロモウツまで到着しないといけないので、バス停を探しに出かける。

まずは、駅前のバスターミナルへ。切符売り場で聞いてみると、予約はすべて売り切れて満員とのこと。長距離バスの一区間のみというのは、この国ではなかなか乗りづらい。

駅の反対側にあるショッピングモールを抜けたところに、もう一つ巨大なバスターミナルがある。そっちには、なぜか切符売り場がなく、案内所のみ。こちらより1日何本か出るオロモウツ行きは、ローカルバスなので当然予約は不要。バス停は見つかったので、次に観光へ。

旧市街へ行ってみる。バスターミナルの所からは、市街地の真ん中の小高い丘の上に、二つの尖塔を持った教会が見えている。(どうも、これがお城らしい)

昨日のブデヨヴィッツェと同じく、旧市街は店がほとんど閉まり、歩く人もほとんど居ないゴーストタウン。今日は祭日か何かですか… (9月28日は、ヴァーツラフ1世記念日で祭日らしい)

丘の上の城は、登って降りてくるだけの時間が無いので、あきらめる。

旧市街の中華屋で昼ご飯を食べて、駅で荷物をうけとり、バスターミナルへ。出発の30分前くらいにバス停に行ったら大丈夫だろう。

やってきたバスは案の定普通の路線バスで、乗客は50人くらいが列をなしている状態。このバスは予約とかは取れないようで、とにかく並んだ者勝ち。

15時、並んでいた全ての乗客を乗せて出発。高速道路へ。

今朝代行輸送で乗ったバスが、田舎道を走っていたのに比べて、こちらは終始高速道路。

■ オロモウツ

16時15分、オロモウツ着。バスターミナルはどこだかよくわからないところにあり、周囲を見渡してもどうも中心街からは遠そうだ。すぐ横の道にトラムが走っているため、乗ってみる。 10分くらいで、旧市街の中央広場に近い停留所へ、

ここの旧市街も、昨日のブジェヨヴィツェと同じく、ゴーストタウン状態。

今日止まるホステルへ。指定された住所の所へ行っても、そこは聖カテジナ教会の敷地となっている。それに教会のフェンス閉まってるし…

しばらく行ったり来たりして、ホステルを探した。いつの間にか教会のフェンスが開いていて、回廊の所に入ることができる。まさか教会本体の建物に泊まるとは思ってもみなかった。廊下には絵画ではなく、ベネディクトゥス16世ローマ教皇の写真がさりげなく貼り付けられている。

オロモウツのホロニー広場の夕景
オロモウツのホロニー広場の夕景


夜:旧市街を取り巻く緑地帯で花火が打ちあがる。やっぱり、今日は祭りだわ。

2009/09/27

9月27日 ブジェヨヴィツェ、クルムロフ

9月27日(日曜日)
■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

朝、ホテルの窓から外を見ると、真っ白に霧が出ている。プラハでは霧は出ていなかったので、地域的なものなのだろうか。旧市街の広場に行ってみる。霧にもかかわらず、日本人の団体観光客が、建物のデッサンをしている。最近は、こういう変わった趣向出ないとツアー客が集まらないのだろうか…

旧市街を取り巻く運河へ行ってみると、水面から盛んに水蒸気が立ち登っている。気温は10度。結構、寒い。

バスターミナルへ向かい、9時20分のチェスキー・クルムロフ行きバスに乗る。バスはプラハから来たようで、すでに車内は満員状態。どうせ20分程度でクルムロフに着くので、立ち席でもいいんだけどね…。

割り当てられた席は、中国人団体の間の席。回りででっかい声でしゃべりまくってるし…。バスの中は2組くらいの中国人団体に占領されているような感じ。 団体なら貸切バスで行けよ…。

■ チェスキー・クルムロフ

霧の中を20分くらい走って、終着のチェスキー・クルムロフに到着。まず城の近くに停車してから、旧市街外れのバスターミナルへ。9時55分到着。

霧が晴れて、やっと青空になりつつある。中年が中心の中国人団体は城の近くで下車し、学生風の中国人団体はバスターミナルで下車した。(クルムロフ旧市街のユースホステルに泊まる雰囲気)

登り下りの少しある道を歩いて旧市街へ。ブジェヨヴィツェと違い、観光客相手の店が開いているし、観光客もたくさんいる。日本人は数名見かけたが、最もたくさん見かけたアジア人は中国人。(大声で下品にしゃべりまくっているので判別がつく)

クルムロフ旧市街のスヴォルノスティ広場
クルムロフ旧市街のスヴォルノスティ広場


旧市街の中央広場(スヴォルノスティ広場)には露天が出ていて、牛肉の串焼きのようなものとか焼いて煙が立ち登っている。民芸品などの露天もあり、完全に観光客相手。普通の町の露天のように、地元の人を相手にした食品や雑貨などの露天は、もちろん無い。(完全に、観光だけのテーマパーク状態の町やね)

第二次世界大戦が終わり、昔からこの地を支配してきたドイツ系民族を、チェコ政府が追放したため、街そのものの発展が一事的に止まってしまったため、現在でもこの町には古い建物が密集して残っているといわれている。

まあ、ほとんどの建物は、壁をカラフルに塗り替えられて、観光客向けの店やペンションになってしまっていて、とてもじゃないけど昔のままという雰囲気は無い。

旧市街の端まで(ほんの数分で端まで着いてしまう)出ると、川の向うに巨大な城が見える。プラハ城に次ぐ、国内2位の大きさだそうだ。

ヴルタヴァ川沿いに建てられているクルムロフ城
ヴルタヴァ川沿いに建てられているクルムロフ城


城の中に入る。入り口の堀には、熊が放されている。落ちたら熊に襲われるというわけですか… 水を張った堀よりは、怖いですね。

城の外壁は、本当はツルツルの塗壁なのに、立体的にレンガが積まれているように全面に絵が描かれている。スグラフィット手法というらしい。ニセの窓とかも描かれていて、だまし絵もかなり本格的。表面に汚れがつきにくく、掃除しやすいという、昔の人にしてはよいアイデアの持ち主だったのでしょう。

クルムロフ城の壁面。スグラフィット手法で描かれ立体的に見える
クルムロフ城の壁面。スグラフィット手法で描かれ立体的に見える


11時10分からの場内見学ツアーを申し込む。英語版は240コルナ(1300円)と高いが、チェコ語なら130コルナ。以前の共産主義下での外国人料金の名残なんでしょうな。

城内の部屋には熊の剥製カーペットが置かれている。昨日のフルボカー城は鹿の角のコレクターで、こっちは熊のコレクター…。

無料で入れる庭園へ。フランス風の幾何学模様のつくりになっている。城本体をだまし絵で飾るのなら、庭にも何かの仕掛けがほしい所だが、単なる庭だった。

バスターミナルへ行く途中、地元の人専用ののど自慢大会のような、音楽祭のようなものをやっていた。何年か前のEurovision Song Contestで優勝したTexas Lightningの曲を歌っていたが、なんか上手くない(結構歌いやすい歌だとは思うんだけど…)。 何日か前にソウルの市庁前でやっていたジャズの野外コンサートが本格的だったんで、つい比べてしまうというのもあるんだけど。

13時40分、バスターミナルよりブジェヨヴィツェ行きのローカルバスに乗る。(長距離バスではないため、途中野村に立ち寄りながら、50分掛かる)

■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

14時30分、ブジェヨヴィツェ着。バスターミナルのあるショッピングモール2階のフードコートで昼食を食べてから、昨日と同じく旧市街へ。

日曜なのに、いや日曜だから旧市街はゴーストタウンのように誰も居ない。クルムロフが観光客であふれているのとは大きな違いだ。

旧市街広場の豪華さは、こっちのほうが上だと思うんだけどねぇ…

2009/09/26

9月26日 ブジェヨヴィツェ、フルボカー

9月26日(土曜日)
■ プラハ

ホテルの朝食の時間が6時30分と思っていたが、休日は7時30分からと食堂の入り口に掲示されている。このホテルの朝食は結構いい方なので、乗る予定の列車を1本後(1時間後)にずらす。

8時ごろチェックアウトし、休日は20分毎にしか走らない5系統のトラムに乗って中央駅へ。

9時15分発のチェスケー・ブジェヨヴィツェ行き列車はほぼ満員。休日だからか、地元の人が行楽に行く雰囲気で乗車している。1時間30分くらいでターボルに停車し、ここでほとんどの人が降りる。列車は、快晴の空の下、緩やかな丘陵地帯を走り抜けて行く。ブジェヨヴィツェには定刻より5分ほど早い11時51分に到着。(運賃は213コルナ、約1200円)

■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

駅の荷物預け室に荷物を預け(12コルナ、70円)、隣にあるバスターミナルへ。バスターミナル… ではなく、巨大なショッピングセンターになっている。フルボカー城へ行くためのバスの出発まで、20分ほどあるので、ショッピングセンター2階のフードコートで、焼きそばを食べる(なぜか、このショッピングセンターにあるファストフードは、3軒のうち2軒がアジア料理だったりする)。

フルボカー城方面へ向かうバスは、12時25分、3階のバスターミナルより出発。運賃は18コルナ(100円)。Windows Mobile機で、GoogleMapをGPSで現在位置を示させて見ているが、目の前に城が見えるので、降りるバス停を間違えることはないはずだ。

■ フルボカー

バスを降り、ややこしい方向案内看板に一度だまされて違う方向に登ろうとしてしまった。ややこしい看板出してる商店はお取潰しにしてほしい。(ローマのボッタクリ食堂が劣りつぶしになったように…)

チェコで最も美しいといわれているそうだが、白亜の城は、どことなくコンクリート製に見えなくもない。というか、結構新しいような気がするんですけど… (Wikipedia英語版によれば、16世紀に改築されたものだと書かれてる)

場内の案内ツアーは、英語では14時30分から1回だけのようで、値段も200コルナ(1100円)と結構割高。時間もないことだし、今回は塔だけに登ってみる(40コルナ、220円)。

城の壁もそうだが、塔の内部も鹿の角の剥製が大量に飾られている。

ここは、鹿気違いのお殿様のお城ですか (笑

食品を得るためではなく、単なる趣味や文化で動物を殺してるんだから、環境なんちゃら団体は抗議しろよ。日本のクジラだけじゃなくてな…

塔の上からはフルボカーに点在する集落が見えるが、それほどスペクタクルというわけでもない。単なる田舎の村々という感じ。

写真を写すため、太陽が当たっている面のほうへ回り込んでみると、結婚式の写真撮影会のようなものが催されている。わざわざ大勢で大金払ってこなくても、人物と景色と別々に撮影してPhotoshopでつなげたらダメ? この手の結婚式写真を見てたら、いつもそう思います。

フルボカー城
フルボカー城


でも、普通の観光客は、この裏側に回り込んできませんね。正面からの逆光の写真で満足しちゃってるんでしょうね。

時刻表検索では、フルボカー・ナト・ブルタボウという駅から列車が出ると書かれているので、そっちの方向へ歩いてみる。が、途中で、距離感を読み間違えていたことに気づき、バス停に戻る。

14時56分、バスに乗りブジェヨヴィツェに戻る。

■ チェスケー・ブジェヨヴィツェ

ブジェヨヴィツェ駅の蒸気機関車
ブジェヨヴィツェ駅の蒸気機関車




駅に荷物を取に行くと、蒸気機関車が1番線に停車している。何かのイベントなのだろうか。

荷物をピックアップして、今日宿泊するホテルへ。駅と旧市街のちょうど中間点にあるGarniホテル。 共産主義時代の宿泊施設を現在でも使っているという感じのところだ。今日は土曜で会社などが休みなので、ホテルのあるビルの5階以外のフロアーはほとんどすべて無人状態になっている。

部屋に荷物を置いて、旧市街へ。軒並み、すべての店が閉店している。休日を厳格に守る姿勢、恐るべし。店もやってないし、観光客もほとんど見かけないし。旧市街はまるでゴーストタウンのようになっている。

ブジェヨヴィツェのオタカル2世の夜景
ブジェヨヴィツェのオタカル2世の夜景


夕方、太陽が沈んだ直後に再び旧市街へ。観光客がほとんどいなくても、ライトアップはちゃんとされる。噴水と市庁舎が一番絵になる雰囲気だが、あと10分ライトアップの時間を前倒ししてもらえれば、夕焼けが美しく撮影できるのに…

2009/09/25

9月25日 プラハ、ターボル

9月25日(金曜日)
■ プラハ

朝、空を見上げると晴れている。ホテルを出て、近くのトラム停留所から3系統に乗り、フローレンス バスターミナルへ。チケット売り場の案内所で、チケットを買う窓口を聞いてみるが、バスに乗るときに直接買えばよいと昨日と同じ答え。長距離バスは事前購入しないといけない国が多いのだが…

案の定、25番バス乗り場に行くと、長蛇の列。人々の手には、チケットが握られている。まあ、どうにかなるだろうという事で列に並ぶ。バスがやって来て、まずチケットを持った客から乗せてゆく。日本人比率が結構高そうだ。バスの正面に掲示されている行き先をみると、チェスキー・クルムロフ行きとなっている。ツアーか何かで来ている客が、自由行動の日に1日観光に出かけるのだろうか。

で、チケットを持った客で大方満員になったところで、当日券購入の客を乗せ始める。最後は立ち席らしい。チケットを持っているが遅れてきた客は、容赦なく立ち席。チケット持っていても、早く来て並べという事なのだろうか…

8時20分、プラハ フローレンス バスターミナルを出発。プラハ中央駅周辺の市街地を渋滞にはまりながら抜けて、高速道路へ。プラハ市街地を離れて畑が続く田舎に入ると、霧が出てくる。昨日の雨のせいなのだろう。10時45分、ターボルのバスターミナル着。

ここで降りたのは数名で、くだんの日本人観光客2グループ 15名くらいはここではだれも降りなかった。

■ ターボル

プラハと同じく、晴れている。バスターミナルを出て、西へ。新市街の繁華街の通りを15分ほど歩くと、旧市街に出る。

繁華街にはたくさんの人が歩いているが、旧市街も含めて観光客はあまり見かけない。中世の宗教戦争(カトリック対新教)での新教側(フス派)の本拠地だった要塞都市というのでは、アピール性に乏しいのだろうか。

旧市街中心広場(ジシカ広場)は観光客をだれも見かけないが、大きな塔を持つキリスト変容教会や、時計塔を持つ市庁舎など、どこの街にもある一通りの種類は揃っている。プラハのように観光客で大混雑しているところよりは、こっちの方が個人的には好きなんですけど…

ターボル旧市街のジシカ広場
ターボル旧市街のジシカ広場


キリスト変容教会の塔に登る。観光客が登るようには作られていないので、鐘の下をくぐるようにして抜けるところがある。鐘が鳴るときだったら、むちゃくちゃうるさいだろうね。

市庁舎は内部の博物館が工事中で入れない。町の西外れにあるコトノフ城へ。内部は中世の町の出土品を展示している展示室になっている。古い塔にも登れるが、入場料は40クローン(220円)とやや高い。

城の塔からは、旧市街が一通り見渡せる。個人的には、逆光で写真がとりにくい教会の塔よりも、こちらの城の塔の方が入る価値はあると思う。

城の横の建物でビール醸造所というのがある(地球の歩き方の情報による)のだが、近づいてみると、ホテルと付属レストラン。歩き方を作っている会社は、ちゃんと取材してのななぁ。

繁華街で昼食を食べ、駅へ。今朝のバスの込み具合では、あすブジェヨヴィツェに行くときには列車にしようと思ったから、帰りはバスではなく列車にした。

ターボルからプラハまでの運賃は、バスが95CZK(520円)、列車が134CZK(730円)。列車の方が10分遅いのに、なぜか3割くらい高い価格設定。競争するつもりないのかな…

列車は5分ほど遅れてやってきて、13時5分に出発。十分余裕を持って坐れるくらいの乗客しかいないので、バスよりこっちの方が楽だ。ただ、丘陵地に水平に線路を引くため、堀割の中を線路が敷かれているので景色が悪いのが難点か。

■ プラハ

14時50分、プラハ中央駅到着。プラハに宿泊して、プラハ観光を全然しないのもなんなので… 旧市街へ向かう。

市庁舎前の広場には大量の観光客がいます。広場の中心付近には露天も出ています。何年か前に来た時には露天などはなかったはずだけど…

カレル橋のヤン・ネポムツキー像
カレル橋のヤン・ネポムツキー像


混雑を見ていても仕方がないので、カレル橋へ向かう。こちらは、橋の半分を閉鎖して、改修工事中。石の橋をコンクリートで修理しています…

2009/09/24

9月24日 プラハ、テレジーン

9月24日(木曜日)
■ プラハ

プラハで3泊するExtol Innというホテルは、ユースホステルとしても部屋を貸していて、私はそのユースホステル側の予約で泊まってるので1泊620CZK(3400円:個室)。今まで経験した宿泊施設の中で、朝食の時間が最も早く、6:30から。ということで、6:30にレストランへ。

7:30に外へ。歩いて10分の所にあるホレショヴィツェ駅のバスターミナルへ。このホテルには過去に何度か泊まっているので、まったく迷うことなく付けるのが便利な所。

チェコの乗り換え案内ホームページで調べたバス時刻表通りのバスに乗る。8:00発のリトメリチェ行き。バスターミナルに居る他のバスに比べて、豪華な最新式のバス。座席の半分くらいが乗客で埋まり出発。テレジーンまで75CZK(410円)。曇り空の中、ドイツのドレスデンへ繋がる高速道路を北へ。テレジーンはプラハとドイツ国境のちょうど中間地点付近にある。途中から雨が降り出し、テレジーンに到着するときには本ぶりの雨になった。テレジーン到着8:50。

■ テレジーン

観光客は他にだれも降りない。バスはほぼ地元の人ばかりのようだ。だれも居ない要塞都市の中心広場にバス停があり、19世紀に建てられた教会が正面に鎮座している。市役所や芸術会館など4階建てくらいの建物が取り囲んでいるが、全然華やかさがない。

やはり、第二次大戦のときに強制収容所の一部として使われていたときに、過剰なまでの公共建築物を建てまくって、現在ではもてあまし気味になっているのだろうか。

一角にあるゲットー博物館へ。ここの入場券(200CZK、1100円)を買うと、郊外の小要塞とマグデブルク兵舎にも入れる。

博物館では戦時中にドイツが作った宣伝映画を見せてくれる。強制収容所なのに、リゾート地のユースホステルのような雰囲気の映画になっている。映画の中で実際にどれくらいの人がこの収容所につれてこられ、仕分けされて最終的な絶滅収容所に送られていった、それぞれの数を読み上げているが、たとえば5000人が仕分けされ送り出されて、その中で生き残ったのはたったの10人とか、そういう感じだ。

絶滅収容所の運営を、ドイツ人的に非常に精緻にやっていたので、宣伝映画で出てくるように収容者に娯楽を与えたり、文化活動させたり、家庭菜園のようなものを作らせるのも何らかの意味があったのだろうが…

ニュルンベルクの戦時中の記録を保管したドキュメントセンターを含め、各国に散らばった収容所をこれまで訪ねてきたが、このテレジーン(ドイツ名はテレジアシュタット。あのマリア・テレジアにちなんだ名前)で気づいたことを箇条書きで…

・中継収容所なので、ガス室や死体焼却炉の展示が主ではない。

・収容所(小要塞)とゲットー(大要塞)が隣り合っていた。博物館は2カ所をともに対象にしているようだ

・ベッドが集密して入れられている収容室が比較的よく再現展示されている

・アウシュビッツにあるような、犠牲者の持ち物を仕分けして山になった物などは展示されていない

大要塞の外れにある火葬場は完ぺきに残っているが、絶滅収容所のように効率よく大量に処理するものではなく、現代の火葬場と同じようなものなのではないだろうか。(以前、ビルケナウ収容所で見た展示では、人間の脂肪油の処理が焼却効率向上の妨げになっていたとか、処理しきれなくなったら地面に大きな穴を掘って、底に大量の死体を放り込んで蒸し焼きにして、近隣の農家から異臭がするという苦情が絶えなかったとか…)

プラハやベルリンから連行された人が多く、最終の送り先はアウシュビッツ、ビルケナウ、トレブリンカとのこと。慰霊施設にはオランダ政府の出した銘板もあった。慰霊施設の前には、当時、連行されてきた囚人が乗せられた貨物列車が通った鉄道の線路が一部分残っている。(現在、この町に鉄道は通っていない)

大要塞の中にあるテレジーンの町は、半分くらいの建物が、倉庫か何かの用途で使われているようで、どことなく裏びれた感じのする通りが何本もある。要塞博物館じゃなく、収容所博物館なので、要塞の壁や、弾丸などを補給するための地下通路は公開されていないようだ。

大要塞のほうを見終わって、1kmくらい離れた小要塞へ。こちらにはたくさんの観光バスが来ていて、ドイツ語を話す学生のグループが大量に来ていた。こっちは収容所なので、現在でも住人は住んでなくて、全部博物館になっている。

テレジーン強制収容所のArbeit Macht Freiの標語
テレジーン強制収容所のArbeit Macht Freiの標語


一度もその機能が使われなかった要塞としての展示も是非してほしいものだが、第二次大戦時に要塞を使うような激しい戦闘をせずに、外交的にドイツの占領を認めたあたりにチェコの負い目があるのかも…。

テレジーン小要塞の堀
テレジーン小要塞の堀


GoogleMapの地図では、4kmほど北にリトメリチェという町がある。日本のガイドブックには載っていない町だが、ロンプラには掲載されているので、とりあえず行ってみることにする。

102時間に1本バスが通るが、そんなものを待っているのはアホらしいので、GoogleMapで検索した最短距離のルートで行ってみる。

テレジーンからリトメリチェへ。GPSの表示
テレジーンからリトメリチェへ。GPSの表示


■ リトメリチェ

なんと、途中、ゴルフ場のど真ん中を横切る砂利道を通っていく。25分ほどでラーベ川にかかる橋をわたり、リトメリチェに入る。小ぢんまりした町だが、割と大きな中心広場があって、周囲の建物には観光客向けのレストランなどもあって、近隣のドイツからの観光客でそれなりににぎわっている。

市庁舎には変な形の塔が立っていて、上に上れるようになっている。カフェでポークグリルのサンドイッチを昼食とする。92CZK。町の中には、中華のファストフード店が何軒かあり、田舎の町にしては食の選択肢が結構ある感じがした。

町の博物館にはワインの説明展示が結構あって、チェコなのにビールではなくワインというあたりが、冗談か何かのように思える。

14:30発のバスでプラハに戻る。運賃75CZK、所要時間はきっかり1時間。

■ プラハ

曇りで写真撮影どころではないため、どこか博物館へ。いまだかつて行ったことがない、軍事歴史博物館へ。

フローレンツバスターミナルの東の斜面にあって、入場料がなんと無料。自国でそれほど大きな軍事力を持ったことがない国なので、展示は広く第二次大戦のトピックを扱っている。

ドイツ軍の展示だけでなく、英国軍やソビエト軍の装備品の展示や、戦局を左右した有名な戦いのジオラマが再現されていたりする。

軍事博物館(ドイツ空軍士官とポーランド陸軍の制服)
軍事博物館(ドイツ空軍士官とポーランド陸軍の制服)


その一方で、他国の訓示博物館でよく見かける当時の戦車や戦闘機の現物展示はしてなかった。

夕食は、ホテルの近くにある巨大市場で、ベトナム料理を食べる。

2009/09/23

9月23日 ソウル、プラハ

9月23日(水曜日)
■ ソウル
5時50分に旅館を出発。市庁南側の北倉道地区(飲食店街)にあるため、地下鉄市庁駅へは歩いて5分くらいで到着する。

とりあえず空港バスの停留所へ行ってみる。街路樹に水をやる作業車が来ていて、バス停の上の木に水を放水している。(普通は地面に水遣りするんじゃないの?)バスは来そうにも無いので、地下鉄駅へ。早朝の接続が悪い時間帯は30分ほどバスより余計に時間がかかる可能性があるが、到着時刻が読める地下鉄にする。

券売機械で仁川空港を選択すると、4400ウォン(340円)と表示される。2号線、9号線、空港鉄道と乗り換えても、通しの切符を売ってくれるようだ。昨日の切符は返却機に入れて500ウォンのデポジットの返却を受けておく。

5時58分 市庁駅発、車内はなぜか結構な数の人が乗っている。10分毎だからかな。6時13分 堂山駅下車。高架駅から新しく出来た9号線の駅へ長いエスカレーターで降りる。中間改札を通り、先月開通したばかりの9号線の急行に6時28分乗車。地下鉄なのに急行? 途中の駅をほとんどすっ飛ばして6時40分金浦空港駅に到着。6時53分、一つ上の階のホームより空港鉄道の各停に乗車(ここには中間改札は無い)。7時25分仁川空港駅着。きっかり1時間半かかった。

仁川空港駅は、まるでターミナルビルのような巨大な独立したガラス張りの建物で、関西空港のアエロプラザと同じく、貧乏アジア人の見栄だけで作られたような感じの所だ。駅からチェックインカウンターまで歩いて10分以上掛かる! 出来れば、ターミナルビルの横に小ぢんまりと作ってほしい。

チェックインを済ませてちょっとそのあたりを散策しているだけで、時間ぎりぎりとなる。両替して残った韓国ウォンを使って、コンビニで菓子類などを買う。(ついでに、プラハで食べる用のインスタントラーメンも)

9時10分、エールフランスのパリ行きが定刻の10分前に出発。機内は満席。日本人はそれほど目立たないが、韓国人も案外たくさん旅行に行くようだ。(機内は、日本発欧米便のようにツアー客いっぱいという雰囲気でもなさそうだし)

機内食には全て「キムチのレトルトパック」が付いてきたのは、韓国路線ならではのサービスなのだろう。食事はパリ-日本の便より、パリ-ソウルの便のほうが良かったし、機材も新しかった。韓国路線のほうに力を入れているんだろうね。

■ パリ

11時間掛かってパリシャルル・ドゴール空港に到着。14時20分。天候は快晴。乗り継ぎ時間が4時間という微妙なもので、パリ市内まで出るとほとんど時間が残らない計算になる。

到着したFターミナルから、プラハ行きのシェンゲン地域便が出るDターミナルへ移動。中間にパスポートコントロールがあるが、なんのことはない、コントロールを出た後に普通に出国した通路に放り出される。Fターミナルで国際線を乗り継ぐ場合以外は、普通に出国審査に並んだ方が時間が短くて済みそうだ。

RERとSNCFの駅の上を横切って、延々と歩いてDターミナルへ。ベンチに坐って3時間ほど時間をつぶす。

プラハ行きの便は、18時20分、定刻より10分ほど遅れて出発。

ブリュッセルやケルンあたりに曇りと晴れの境目が東西に走っていて、ちょうどそれが天気予報の図では前線になっている。プラハの明日の天気は曇りということは、微妙にこの雲の南端がかかってくるのだろうか。

■ プラハ

19時50分、5分遅れでプラハ着。荷物は預けていないので、そのまま空港を出て、ATMで4000コルナ(21,200円。1コルナ=5.3円)を出金する。公営交通会社のチケット販売所がかろうじて開いていたので、市内切符1枚26コルナ(140円)を買う。空港バスには乗れないが、その他のバスや地下鉄、トラムは75分間乗り放題になる。

で、事前に調べた通り、トラム1号線の終点を通過する179系統のバスに乗る。旅行客が乗らないような経路のものだが…

20時3分、空港発。20時26分、郊外の住宅街にあるVertonikバス停下車。すぐ目の前にトラムの停留所がある。20時35分、1系統のトラムに乗り、30分ほど掛かって今日泊まるホテルのある市街地北部のデルニツカ停留所へ。

ここまではほぼ予定通り。

プラハの天気は今の所快晴だが、あすは天気がどうなることか…

2009/09/22

9月22日 ソウル

9月22日(火曜日)
■ ソウル

乗り継ぎのためにソウルの仁川空港に到着。ターミナルビル到着エリアのATMで50,000ウォンをキャッシング。1ウォン=0.077円なので、約3900円。両替すると日本円より表示額面が大きくなると、金持ちになったような気がする…

バス停へ。チケット売り場で6005系統で市庁までの切符を購入。9,000ウォン(690円)。30分毎のバスは5分前に出たばかりで、次は11:50発。ターミナルビルに戻り、観光案内所(LUNCH TIMEという札がおいてあり、カウンターの横に山積みされていたソウルの地図(日本語版)を1枚勝手に取ってくる。

空港バスは11:50の時間通り空港を出発し、ソウル郊外まで高速道路を走り、そこから一般道路へ。乗客はたったの3人なので、途中のバス停はすべて通過するので、それだったら市内中心部まで高速道路で行ってくれよ…。1時間10分で、光化門、市庁のバス停に到着。明日の朝のバスの時刻を確認しようと、バス停を見ても、30分毎としか書かれていない。下手すると、また25分待ちなどということがあり得るかもしれない。明日の朝は、地下鉄で空港に戻ろう…

楽天トラベルで予約した大祐旅館へ(1泊2632円)。早朝に空港に行かないといけないのでなければ、現地で旅館を探した方が断然安いと思うけどね…

半日ほど観光する時間があるので、まず景福宮へ。市庁前よりまっすぐ北へ、大通り(太平路、世宗路)を歩いてゆく。韓国では今日は祭日でもなんでもないはずだが、市庁前の広場や清渓川のところに緑と白のテントを張っている。イベントでもやってるのだろうか…

景福宮は工事中のような雰囲気で、前面を全て工事用シートで覆い隠している。横に回りこんでみると、博物館の入り口があった。博物館はずっと以前に入場したことがあるので、今回は宮殿の方と思ってみたが、なんと本日は休館日。空港でもらった地図には、休みの日は書いてないからなぁ…

景福宮の興礼門
景福宮の興礼門


京都御所と同じく、周囲から眺めるだけ。派手な彩色の興礼門は、京都御所のものよりちゃちに見える。もしかしてレプリカとか、そういうものなのだろうか。(Wikipediaによれば、豊臣秀吉が朝鮮出兵したときに消失し、その後1810年に再建されたが、日韓併合で宮殿が廃止されたため撤去され、1990年代に再び再建されたということだ。レプリカというより、現代建築ですね…)

のんびり歩いて鐘路まで下ってくる。ここも道路に芝生が張られて、白と緑のテントが…。バス停付近にはオープンカフェもある。特設案内所のようなところがあり、今日は環境イベントで自転車で走れるように自転車レーンの社会実験をしているとのこと。市内各所の白と緑のテントも、環境イベントの一環のようだ。

そういえば、ソウル市内には自転車レーンというのをみ欠けないのだが、あまり自転車は人気がないのだろうか。(数年前のことだが、韓国人の友人は、あまり自転車はポピュラーじゃないと言っていた。特に女性は自転車にはあまり乗らないんだとか)

鐘路タワーまで行き、少し南へ。清渓川という堀割のような水路がある。昔はここに道路があったようだが、何を考えたか堀割を復活して、わざとらしく水を流していたりする。人工的にやっているのなら、自動車の排気ガスなどの有害ガスが沈んで溜まりやすい堀割にして、底に遊歩道を通さなくても…

市庁前の徳寿宮まで戻る。ここは今日は開館しているようで、1,000ウォン(80円)支払って中へ入る。(Wikipediaによれば、豊臣秀吉による戦乱で焼けた景福宮のかわりに、ここを宮殿として使っていたそうだ)

徳寿宮の王宮守門将の交代式
徳寿宮の王宮守門将の交代式


中国の故宮の小さいのという感じで、京都の御所とはかなり違う感じだ。本殿の中和殿の前の石の階段や、そこにおかれている龍の彫り物などは、中国の影響なのだろう。

本殿の横には、アメリカのホワイトハウスのような建物も… 明治時代以降、ホワイトハウスのような宮殿の方を使っていたそうだ。 日本が洋式の迎賓館を建てていたのと同じような感覚なのだろうか。15時30分ごろ、守門将の交代式(衛兵の交代式のようなもの)が派手に始まる。衛兵はどこか締りがないような、なんだか嫌そうな表情をしていたり、近くの衛兵同士で私語雑談をしていたりとイマイチな統制ぶり。

16時30分ごろ、市庁の南の北倉道地区でビビンパを食べる。5,000ウォン(380円)。やっぱり、韓国で食べると辛いわ…。日本で売ってるのは、日本人向けに唐辛子の量を加減してるのだろう。

南大門市場へ。韓国は一応先進国なのだろうが、こういう怪しげな雑貨市場がいまだに残っているのが不思議だ。どうみても商標権や著作権をちゃんと守って無さそうな品物が屋台で売られている… 観光客を集めているから、政府も閉鎖できないのだろう。

南大門市場
南大門市場 (日本語の看板もちらほら)


繁華街の明洞を通って、明洞聖堂へ。まるでドイツやオランダの大聖堂をコピーして来たかのような雰囲気。18時、鐘が鳴って、礼拝が始まった。

地下鉄に乗って会賢駅まで行き(運賃1,000ウォン)、夕食に参鶏湯を食べに行く。これはさすがに辛くなく、食べやすい。11,000ウォン(850円)。

飛行機の乗り継ぎでソウルも悪くないですね。24時間ぎりぎりのストップオーバーの便を選ばせてくれれば、良いセールスポイントになるんじゃないでしょうか。