2011/09/30

9月30日 クラコフ

9月30日(金曜日)

今日も晴れてます。この時期の北ヨーロッパは曇りがちで肌寒い天気のはずが、今年は暖かい晴天が続いてます。夏の初めに寒く天気が悪かった代わりに、この時期に天気がよくなった… かも。ワルシャワで雨の翌朝に寒かった以外は、毎日最高気温が20℃~25℃くらい。暑く感じることもあるくらいだ。

クラコフで泊まっているホステルの部屋の前の道路に、電気か何かのマンホールがあって、蓋と枠が微妙にひずんでいて、人が上を通るたびに「ゴットン」と地響きがする。なかなか寝付けんよ…。朝食のバイキングが、各種サラダ取り放題なので、跡はマンホールさえ何とかしてくれれば。ホステルを出る時に、1週間弱着ていた服を洗濯に出す。10ズロチ(240円)。部屋で自分で洗うより、遥かに楽だ。



中央広場の織物会館


今日は、クラコフ南東15km(GoogleMapで計測)にあるヴェリチカにある岩塩鉱山跡を見に行く。その前に、まずクラコフ旧市街を散歩。朝8時過ぎ、まだ観光客が外に出てくる前なので、格好の写真撮影タイムだ。昨日はそれほど気にならなかったが、中央広場やその周辺の道路には、パンを売る露天商がたくさん出ている。どの露天も同じパンを売っていて、パンはトラックで露天のところまで運ばれてきている。なんだ、工場生産の同じパンを売ってるだけなのか…。



1個1.5ズロチのパンを売る露天


クラコフ駅前のガレリア(ショッピングモール)の前から、304系統のバスに乗りヴェリチカへ。運賃3.2ズロチ(77円)。40分でヴェリチカ岩塩鉱山跡前のバス停に到着。地球の歩き方には観光客向けのミニバスに乗ると書いてあるが、路線バスのほうが頻繁(15分に1本)に運行していて、車内も広くて快適だ。トラムがぼろぼろの車両が走っているのに比べて、路線バスの新しさは対照的だ。

バスに乗ってくる観光客はあまり居ないが、ヴェリチカ岩塩鉱山跡の敷地にはたくさんの観光客が居る。中国人団体が場違いのセンスの服装で歩いていたりする。英語のツアーが30分おきに出ているので、それに参加。入場料(ツアー料)が68ズロチ(1630円)と、これまた破格の値段。ポーランドに来て初めて1000円以上の入場料払った…。10時30分に20名ほどの客で英語ツアーの開始。スロヴェニアのポストイナ鍾乳洞のように、地底を行くトロッコ列車で見学かと思いきや、客の足でひたすら歩かせるツアーだった。地上の入り口から、まず約90mの深さの坑道(第一レベルと呼んでいるらしい)まで降りる。階段の段数が約380段だそうだ。「バリアフリー」の対象になりたい人は、エレベーターで降ろしてくれるらしい。



岩塩鉱山 地上の建物


岩塩の鉱山だけあって、地下は乾燥していてホコリも少ない感じだ。Wikipediaによれば、水没の危険性があって商業採掘を中止したと書いてあるが、地下水をひたすら排水して、これだけ乾燥した雰囲気にしているのだろう。ガイドの話では、塩分に対してもっとも強いとされる木材(鉄は錆びるのだろう)で、落盤防止用の木枠で囲まれたトンネルを進んでいくと、所々に広くなったところがあって、キリスト教関連の石像や、鉱山の技術者の石像などが「岩塩」で作られて置かれている。岩塩採掘には全く関係なさそうな、巨大なホールを作って教会にしていたりするので、よほど信仰心があったのだろう。



地下130mのところにある教会


複雑に組上げられた吹き抜けの補強財と岩塩結晶で作ったシャンデリア


坑道と階段を約3.8km歩く


岩塩を削って作られたトンネルの壁には、透明な塩の結晶が至る所にあって、それを見るだけでも来た甲斐があった。もう少し、岩塩採掘の歴史や技術的な展示もあって欲しかったが、一般の観光客向けには、彫像とか見せとく程度でいいのだろう。

ガイドツアーは2時間30分、もっとも深いところで、地下130mまで歩いて降りていって、帰りはエレベーターで一気に入り口まで戻ってくる。14時、バスでクラコフまで戻り、バスを降りたすぐ前のクラコフ・ガレリア(ショッピングモール)のフードコートにあるポーランド料理のビュッフェで昼食。皿に好きな料理を盛り付けて、2.99ズロチ/100g換算で値段を払うシステム。山盛り盛り付けても、20ズロチ(480円)程度だ。

日没まで3時間程度しかないので、旧市街の入り口のフロリアンスカ門の横に建てられている、観光ルートのお勧めルートを示した看板の通りに歩いてみることにする。フロリアンスカ門から旧市街に入り、市街地を囲む城壁に沿って歩くコース。教会、修道院、大学とバラエティーに富んだ建物を巡って、ゆっくり歩いても1時間程度。旧市街中心部にたくさんの観光客が居るのとは対照的に、外周の緑地沿いに歩いている観光客はそれほど居ない。通勤・通学の地元の人が殆どといった感じだ。14世紀に創立されたポーランド最古のヤギェウォ大学の前では、入学したばかりの学生だろうか、親や兄弟と一緒に来て記念写真を撮ったりしている。9月の今日で最後なので、そろそろ時間割を提出する時期というところだろうか。いよいよこれから大学生活ということなのだろう。



ヤギェウォ大学


夜も、ガレリアのポーランド料理ビュッフェへ。ちょっと盛り付けすぎて20ズロチ(480円)。日没直後、旧市街の中央広場へ。自転車で街を巡るイベントか何かをやるようで、大量の自転車が広場の真ん中に集結している。今朝、ランドリーを頼んでおいた服が届かないので、ホステルの受付でどうなってるか聞いてみる。催促しないと届けに来ないのか…。まあ、受け取れたからよかったんだけど。



聖マリア教会とミケヴィッチ像

2011/09/29

9月29日 クラコフ

9月29日(木曜日)



気象衛星の雲の画像 ポーランド辺りに低気圧の端が掛かっている


泊まっている郊外のホステル、一昨日はドイツの大学生の団体が、今日はポーランドの中学生か高校生の団体が泊まっている。やはり、大学生ともなるとホステル内では殆ど音も立てずに常識的に行動するようになるようだ。昨日の夜は、動物園のサルが隣の部屋に陣取ったかと思うような騒音だった(笑

9時過ぎにトラムで中央駅に向かう。ワルシャワの天気は曇り。天気予報では晴れのはずなんだが…。中央駅はそこらじゅうで工事していて、プラットホームに降りる階段も閉鎖されている場所が多い。地下のコンコースに切符売り場を見つけたので、Kindleで時刻表検索して3日後のヴロツラフからポズナンへの切符を購入(1等車 65.65ズロチ=1570円)。昨日、地上階のコンコースにある切符売り場で購入しようとしたら、列車番号をインフォメーション窓口で聞いて来いと追い返されたので、今回はネットで列車番号もちゃんと調べた。だいたい、駅の切符売り場が、列車番号を調べる窓口と、切符の予約をする窓口に分かれていて、縦割り行政しているのはさすが共産主義国家の非効率さが抜けていない証拠だ。窓口の数だけ大量に並べても、客をたらいまわししているようでは…。ドイツやフランスのように、自販機を並べて人間の方を廃止すればいいのに。

10時36分発のクラコフ行きEIC(エクスプレス・インターシティと読ませる)は20分以上遅れてやってきた。ドイツのICEをひっくり返した綴りのパクリをする割には、遅れてくるわ、最高速度は時速100km程度しか出ていないわで、名前倒れになっていると感じるのは私だけではないはず。列車はのんびりと、平原を南へ走っていく。だんだん雲が消えて晴れ間が出てくる。食堂車をつないでいるので、食べに行ってみる。ウエイトレスが「ブレックファーストセットがお勧め」ということなので、それを頼んでみる。巨大なソーセージを切ってチーズを乗せて焼いたものと、トマトサラダ、パン、コーヒーで23ズロチ(550円)。日本の新幹線では食堂車が消えて久しいが、東欧では食堂車がまだ健在だ。



車窓の景色 どこまでも平らな農村地帯が続く


クラコフに近づくと、さらにのろのろ運転。どうも片側の線路を工事中で、単線運転になっているようだ。クラコフにはさらに20分以上遅れて14時10分到着。11年前に来た時には小さな駅だったが、巨大なショッピングモールが出来て駅が巨大化している。が、駅舎だけ以前のものを使っているので、プラットホームから一旦駐車場の上を歩いて、再び駅舎に入るという、工事中にも程があると言わせるくらいむちゃくちゃな動線の駅。ポーランド政府は、これだけそこらじゅうで工事しまくって、まだ経済が発展するから元が取れると考えているのだろうか。多分無理だろうね。ギリシアがデフォルト起こして、EUもろとも撃沈するのは分かりきってるのに…。



クラコフ駅に到着した Express Intercity


ネットで予約した、旧市街にあるホステルへ。マクドナルドの上の階にあるので、いざ食事を食べそびれたときでも安心だ。デラックス・ダブルルームで1泊100ズロチ(2400円)。昨日まで泊まっていたワルシャワのホステルは、ツインルームで1泊99ズロチ。さすが、デラックスというだけあって、シャワーとトイレが室内にあり、テレビと冷蔵庫まで装備されている。これで値段が同じなのだから、以下にワルシャワがボッタクリ価格か…。
晴れてるので、とりあえず旧市街観光へ。といっても、10年前にすでに見学済みなので、地図無しでもなんとなく観光地の場所は覚えているものだ。ホテルの前のフロリアンスカ通りをまっすぐ行くと、中央広場に出る。たくさんの観光客がいる。そういえば、さっきのワルシャワからの列車には、日本人の団体も乗っていたが、広場周辺で見かけないがどうしたんだろう。旧市街からやたら遠い場所にあるホテルに連行されてしまったのか…。



中央広場と聖マリア教会


旧市庁舎の塔


前回、腹痛でまともに見ることが出来なかった王宮へ向かう。道すがら、Wikipediaで推奨観光場所として挙げられているコレギウム・マイウス、聖ペテロ・パウロ教会をチラッと見て、王宮の丘を登る。坂道を登っていき、城門をくぐると大聖堂(ヴァヴェル城大聖堂)がある。身廊・内陣などは無料で見学できるが、クリプトと鐘楼に入りたいのなら12ズロチ(290円)の入場料が必要。せっかく来たんだから、まさか300円程度ケチるわけが無い。クリプトにはショパンの墓。確か、パリのペール・ラシェーズ墓地に豪華なショパンの墓があったはずだが…。国外で活躍した作曲家だが、一応祖国にも墓を作っておこうという程度のものだろうか。前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のチャペルもある。Wikipediaによれば、彼はクラクフ郊外の生まれで、クラクフ教区の大司教も務めたそうである。数年前に飛行機の墜落事故で死んだカチンスキ大統領の棺も特別室に埋葬されていた。なんで、大聖堂に政治家が埋葬されてるのか…。



ヴァヴェル城全景 左側が大聖堂


大聖堂


と、城内の大聖堂は見たが、城の中は見学できるのだろうか…。歩き方には見学できると書いてあるが、切符売り場には「大聖堂12ズロチ」しか書かれていない。多分、何か見落としてるのだろう。17時、城が閉まるので今日はあきらめる。



古いタイプのトラムが走っている(何かのイベント?)


クラコフ駅前のショッピングモールに行ってみる。2階にフードコート、カルフールの食品売り場がある。夕食は、フードコートのトルコ料理。チキンに野菜やチーズを載せてオーブンで焼いたものと、野菜の炒め物類、サフランライスを山盛りさらに盛り付けて、レジで重さを計って値段を払う仕組み。取りすぎた、食べ切れんほどある…。20.65ズロチ(500円)。

夜、中央広場へ夜景撮影。カルフールで食品を買うのに手間取って、すでに空が暗くなってから到着。夜も人が多いね…。



夜の中央広場 織物会館と聖マリア教会

2011/09/28

9月28日 ワルシャワ

9月28日(水曜日)

昨晩の雨はやんで、朝は霧が出ているような天気。昨日よりだいぶ気温が下がっている。Booking.comの予約サイトでホステルは「朝食つき」と書いてあるが、単にスーパーで売っている保存用食パンを勝手に食えの状態。皿は自分で洗って使えでは、「朝食あり」とは言わんでしょう。湯は恵んでもらえるので、スーパーで買っておいたインスタントラーメンを作る。ワルシャワは国際会議だの見本市だの盛んに誘致しているが、宿泊する場所(ホテル、ホステルなど全て)の数が圧倒的に少なく、超レベルの低いサービスでも生き残れる市場だから仕方ないか。



トラム Centrum停留所。文化宮殿(トラムの左側に下層諧が見える)が霧の中


9時ちょっと前に観光に出かける。トラムで、とりあえずは中央駅付近へ。スターリン様式の文化宮殿の「ビル」の部分が完全に霧の中に隠れて見えない。これでは屋外の観光どころではない。もちろん写真撮影も無理そう。ということで、室内を見て回る旧王宮へ。22ズロチ(530円)の切符を買って、10時の開館と同時に中へ。いろいろな国で王宮なるものの見学をしたが、まあ、ここは平均的な「派手さ・華やかさ」ですね。ただ、第二次大戦で完全に破壊されたので、現在あるものは再建されたレプリカに過ぎないですけど。部屋に飾られている美術品だけが、戦時中は疎開して無事だったので、オリジナルのものなんだと思う。



旧王宮 The Great Assembly Hall


旧市街には、地元の小学生から高校生くらいまで、さまざまな団体が歩いてます。そして、日本人の団体観光客も。旧市街といっても、1953年に復元されたレプリカだと、旧市街中心の広場にあるモニュメントに書かれている。レプリカでもこれだけの観光客が来るんだから、観光の目玉作りに悩んでいる他の町も真似してみてはどうだろう…。



地下鉄Centrum駅付近の繁華街を歩く人たち


昨日夕食を食べた、山盛りの定食が出てくる中華料理屋で昼食(18ズロチ=430円)を食べてから、国立博物館へ。行って見ると、工事中で休館だとフェンスに貼り出されている。旧市街の歴史博物館も、工事中で休館。そこらじゅうで休館ですね…。国立博物館の隣の軍事博物館は、さすがに開いている。こちらは入場料無料で、運営費は軍の広報費用か何かでまかなっているのだろう。前回来た時には無かったMIG-29フルクラム戦闘機やアントノフ26輸送機が新たに展示に加わっていた。アントノフ26輸送機は、2ズロチ払うと女性兵士の案内付きで内部見学させてくれる。2009年まで実際に飛んでいた輸送機を見れる機会はめったに無いはずだ。

「あなたも6ヶ月トレーニングすれば、このフルマニュアルで飛ばす輸送機を操縦できる」そうだが、ノーマル状態で飛ばせても、緊急時にロシア語の操作パネルがさっぱり理解できず、墜落させてしまいそうですね。



ポーランド空軍 MIG-29 戦闘機


AN-26輸送機 コックピット
計器、操作スイッチ 全てロシア語表記


15時、晴れてきたので旧市街へ。旧市街の写真は、前回2006年に来たときに撮影しているので、今回は適当に何枚か撮影してみる程度。やはり、2回も同じ街に観光に来ると、やることがなくなりますね…。それでも、夕方に再び旧市街に行き、夜景撮影するだけの気力は残っていました。



旧市街の中心広場


旧市街の大聖堂(夜景)

2011/09/27

9月27日 ワルシャワ

夜中の0時過ぎ、車掌が「パスポートを用意しろ」と各コンパートメントに伝えに来る。国境に差し掛かったようだ。入国審査官がやって来てパスポートを回収していく。その間に、列車は軌道間隔が変わるため台車を交換する工場に入っていく。1両ずつ客車を持ち上げて、台車を交換しているようだが、車両の下で何をやっているのかは乗客の身では何も分からない。もちろん、作業工場の中は「写真撮影禁止」と壁に大きなピクトグラムが描かれているので、写真撮影は出来ない。1時間ほどで台車交換も終わるころ、今度は税関の検査官がやってくる。珍しく若いお姉さんの検査官だ。本来なら部屋の中に密輸品(ここの国境ではタバコ)が隠されていないか、天井裏まで調べるところだが、乗客が満員では検査もパスしているようだ。



列車の中から見た台車交換工場の内部


列車がゆっくりとポーランド側に移動して、さらにポーランドの入国審査官がやってくる。そんなこんなで、国境検査一式に費やされた時間は、約5時間。総乗車時間18時間のうち、5時間も国境で足止めとは、どうにかならんものですかね。

朝起きると、早朝のもやの中を列車は走っている。ウクライナが延々と続く森だとすれば、ポーランドの車窓は延々と続く畑と牧草地だ。それだけ開発が進んでいるのだろう。9時20分、定刻より10分程度遅れてワルシャワ中央駅に到着。



中央駅前の文化宮殿ビル


ネットで予約したホステルへトラムで向かう。市内南側のはずれの位置にあるホステルは、すぐ前を市街地の環状道路が通っている。環状道路の向こうはグリーンベルトになっているように見える。でも、中央駅からトラムで2,3駅なので、感覚的には離れているとは感じない。荷物を置いて、ワジェンキ公園へ。池の横に建つ白い宮殿(水上宮殿)が有名らしい。やたら広い公園には木々が生い茂っていて、これが大都会の真ん中にある公園とは思えない。木立の間に白い建物が点在している。学生の遠足だろうか、高校生から幼稚園くらいの小さい子供まで、たくさんの団体が来ている。日本で言えば、森と芝生、点在する展示施設がある新宿御苑のような感じというのだろうか。水上宮殿は入場料(17ズロチ=410円)。中は、なぜか中世のオランダ絵画で埋め尽くされている。



ワジェンキ公園の水上宮殿


ワジェンキ公園のバラ園にあるショパン像



夕食、前回ワルシャワに来たときに利用した中華料理屋へ。料理(14ズロチ=330円)を注文して思い出した… ご飯とおかずがさらに山盛りになって出てくるところだ。ポーランド人って、ものすごい食欲やね。

ポーランドには一週間滞在するので、ネット接続用のSIMカードを購入。7日間300メガバイトまで利用可能なものが9ズロチ(210円)と格安。ついでに、マウスを持ってくるのを忘れたので、携帯用の小型の物を買う(25ズロチ=600円)。



サスキ公園 永遠の炎の衛兵


永遠の炎の横を自転車で走りぬける


夜、滝のような雨が降る。BBCの天気予報では晴れ時々曇りなのに、ぜんぜん当たってないな。

2011/09/26

9月26日 キエフ

9月26日(月曜日)

今日は、キエフから夜行列車に乗ってワルシャワに向けて出発する日。列車に乗る夕方まで、たっぷりと時間があるので、市内散策に出かける。

ユースホステルの近くにある地下鉄コントラクトヴァ広場駅。朝8時、たくさんの人が駅から吐き出されてくる。この辺りは住宅街のように見えるのだが、これだけたくさんの通勤の人が駅から出てくるということは、企業の事務所などがあるのだろう。アパートに見えて、実は、部屋を事務所代わりに使っているような形かもしれないが…。



地下鉄コントラクトヴァ広場駅の出口付近にて


地下鉄に乗って中央駅へ行き、駅の地下にある荷物預かり所に荷物を預ける。次から次へと客がやってきていたので、夜行列車の乗り継ぎなどで、かなりのニーズがあるのだろう。広い倉庫にスチールラックが延々と並んでいる。荷物を預けて身軽になり、駅に停車している列車を撮影していると、迷彩服を着た警備員(本物の兵士か?)に拘束される。カメラを没収するというようなことを言っているので、撮影した写真を削除するので、勘弁してくださいと、とりあえずお願いしてみる。最近の一眼レフは、メニューをロシア語に切り替えられるので、ロシア語モードで駅で撮影した写真のコマを全て削除するパフォーマンスをしたら開放してもらえた…。共産主義から脱却したにもかかわらず、まだ、一般客の乗降する鉄道駅が写真撮影禁止とか、どうにかならんも



キエフ中央駅


歩いて市内中心方向へ。大学駅という地下鉄の駅があるが、大学が立地するほど広大な土地があるように見えない。そのすぐ近くに黄色と白の彩色のウラジミール聖堂が建っている。ちょうど礼拝か何かの時間なのだろう、やたら派手な鐘の音色が響き渡っている。



ウラジミール聖堂



聖堂前を過ぎて、並木通り(タラス・シェフチェンコ通り)をどんどん下っていくと、昨日歩行者天国をしていたフレシャーチク通りに突き当たる。その交差点、地下道から上がってくる階段から空を見上げると、なんとレーニン像が。まだ引き倒されずに、鎮座されていますね。その横には、「ウクライナ共産党」と書かれた赤いテントが…。まだ、共産党って存在してたんですね。



レーニン像


昼食は、またしても昨日と同じウクライナ料理のビュッフェ。コンプリート・ブレックファースト(とウクライナ語で書かれている)というメニューを頼んでみると、チキンかソーセージか、あと何とか(←知らない単語)から選べという。チキンを頼んでみると、巨大なささ身のステーキが2個、目玉焼きが2個やって来た。どう見ても朝からカロリー取りすぎのメニューですね。(でも、ウクライナ人の若い人は、スリムでカッコいい)

昼からは、目抜き通りのフレシャーチク通りのベンチに座って、現地の人の行動観察。平日昼間なのに、お年寄りに混じって若い人もぱらぱらと歩いていますね。まあ、昨日の歩行者天国のように、若い人の比率が高いということはないですけどね。Google検索で「ウクライナの旅行記」を検索してみると、「美人が多い」という感想がたくさん出てくる。スラブ民族なので、確かに若い女性は他のヨーロッパの国が霞んで見えるくらいの美人がたまに居ますね。例外なくミニスカートだったりして、長い足がさらに強調されて見えるという「正の相乗効果」があるのでしょう。ただ、おばさんの年齢になると、急速に劣化していくのもこの民族の宿命のようで…。最高気温が20℃と、そんなに暑くないのにソフトクリームを食べながら歩いている人が多いです。



涼しくてもソフトクリームは大人気


15時過ぎ、中央駅に戻る。あまったウクライナの紙幣をユーロに両替しようと思い、駅の両替窓口へ。窓口のおばさんは「ウクライナ通過をゲットしたときの領収書を出せ」と言ってくるが、ATMで引き出してるのでそんなものはあるはずが無い。日本の銀行の両替所も、客を犯罪者扱いしているような身分調査用紙に書き込ませるが、こちらはさらに「金を得た理由の証明書」を出せということだ。やはり、共産党が存在する国はサービスレベルの低さが違いますな。両替所の周辺に「闇両替」のおばさんが何人か居るので、その人に両替してもらう。レートは920フリブナが83ユーロ。(9月21日のレートで、920フリブナは84ユーロに相当するので、相当いいレートだ)



キエフ駅に入ってきたワルシャワ行き国際列車



16時近辺に出発するウクライナ国内行きの寝台列車が、1時間前に列車が駅にやってきて乗車が始まるにもかかわらず、国際列車のワルシャワ行きだけが、駅にやって来たのは出発10分前。たったの3両編成だ。1等が1両(ポーランド国鉄の車両)、2等が2両(ウクライナ国鉄の車両)という組み合わせ。車内はもちろん満員で、数日前によく買えたものだと思う。列車は定刻の16時37分、車内では全く気づかないくらいのゆっくりとした加速で出発。私の乗った2等コンパートメントには、ウクライナ人のお婆さんと50歳代のおじさんの2人連れ、30歳代のウクライナ人でワルシャワで働いているという女性、私の4人だ。ウクライナ人としては珍しい、それなりに海外渡航経験のある彼らにとっても、日本人の私は珍しいらしく、日本の文化のことやら、もちろん「福島の大事故」について質問攻めにあう。東ヨーロッパでの報道(2流の大衆メディア)の伝え方は、やはり相当人種差別が入っているようで、「サルが原発の動かし方を理解出来ずに事故った」というような報道もあったそうな。原発事故の先輩であるウクライナ人としては、そういう報道には腹が立ったらしいが…。まあ、原発4基も爆発させた日本の総合技術力は、誰が見てもダメであるのは明らかなんだけどね。「日本に原発50基あるよ」と言ったら、「核爆弾の上に住んでるみたいだね」という感想だった。

列車はだんだんと夕焼けに赤く染まっていく平原を、ひたすら西へ。ベラルーシ国境の方の路線ではなく、ウクライナからポーランドに直接入ることは、時刻表検索の途中駅リストですでに確認しているので、(ベラルーシのビザを持っていない私でも)安心して乗っていられる。

2011/09/25

9月25日 キエフ

9月25日(日曜日)

6時過ぎに目が覚める。まだ、体は日本時間を引きずっている。部屋で、昨日スーパーで買ったフランスパンとリンゴで朝食。8時、観光に出かける。近くのコントラクトヴァ広場駅から、独立広場のあるマイダン・ネザーレジュノスチ駅へ。昨日のコンサートのステージはまだ残っていて、毎週ここでイベントか何かをしているのだろうか。広場から坂道を登り、黄金の門へ。門といいながら、公園の木々に隠れるようにして教会のような木造の建物が建っている。11世紀に街を囲む城壁の出入り口の門がここにあったようで、門の上に建っていた教会の尖塔が金色だったからこの名前が付いたそうだ。格子状になった扉から中をチラッと覗くと、レンガか石で出来た遺跡のようなものがあるのが見える。道路沿いに、ウクライナ1000年(1011-2011)という旗がそこらじゅうに翻っているので、1000年前の門がここにあったという記念物なのだろう。



黄金の門跡を囲っている建物


その黄金の門のすぐ近くにある聖ソフィア大聖堂へ。大聖堂前の広場では、仮設ステージの建設中。ここでもコンサートか何かが開かれるのだろう。大聖堂の入場料3フリブナと張り出されているが、本日は無料。何で無料?と思ったら、大聖堂の中には入れないということらしい。敷地の中に入るだけなら無料にしちゃえということなのだろう。1000年前の教会ということだが、殆どがここ数十年間に上塗りされた壁だ。所々に、ぼろぼろになった古い壁が残っているのが、1000年前に出来たという証なのだろう。



聖ソフィア大聖堂


黄金ドーム教会を通り過ぎて、ウラジミールの丘へ。巨大なウラジミール大公の像がドニエプル川を睨んでいる。ドニエプル川の向こう、東側はウクライナ発祥の地で、こちら側の西側は何度もポーランド領になっている土地だ。睨むべきは西側のポーランドに何度も奪われた土地の方がよいのじゃないかと個人的には思う…。昨日と同じくアンドレイ坂を下り、ウクライナ料理のビュッフェへ。ウクライナが発祥の地とされるボルシチは何度飲んでも飽きない味ですね。



ウラジミール大公像


昼からは、ペチェールスカ修道院へ。地下鉄でアルセナーリナ駅まで行き、徒歩。駅から10分くらいで第二次大戦の犠牲者にささげるモニュメント(巨大なオベリスク)がある。その入り口に、ウクライナ国旗と並んでEUの旗が。前大統領が欧州よりだったからなのだろうか。ウクライナは一方的にドイツ軍に攻められて(バルバロッサ作戦?)犠牲が出たのに、そのドイツが中心的存在のEUの旗を立てるとは、ご先祖様がよく許しましたね…。

さらに10分くらい歩くと、ペチェールスカ修道院入り口に到着。入場料は25フリブナ(250円)。結構たくさんの観光客が来ている。殆どはロシア語やロシア語に似た言語を話しているので、旧ソ連圏からの客が多いのだろう。たまに英語、ドイツ語を話す団体が居るが、日本や韓国の団体どころか個人観光客も皆無。たまたま東ヨーロッパを一人で旅行していた仙台に住んでいるという日本人と話したが、それ以外に日本人は見かけなかった。



ペチェールスカ修道院 聖アンナ教会


修道院はやけに広く、入場口付近に固まっている教会群だけでも結構な規模あるのだが、さらに隣接する敷地、ちょっと坂を下っていったところにも教会が固まって建てられている場所があったりする。一番奥の方にあったアンナ教会では結婚式が次々と行われていて、結構人気の結婚式スポットなのだろう。そういえば、第二次大戦の犠牲者を追悼する広場の林の中でも、結婚式の衣装を着たカップルがプロ写真家による写真撮影に臨んでいる光景に何組も出くわした。そのアンナ教会のすぐ横に、地下墓地(カタコンベ)の入り口がある。えらく狭い階段を下りていくと、ガラス張りの棺に納められた聖人の骸骨が並んでいるが、たくさん観光客なのか信者なのかは知らないが、人が多すぎて地下通路で大渋滞している。入り口から出口まで、30分弱もかかった。

修道院の中央にある、ひときわ大きなウスペンスキー大聖堂は中に入ることが出来ず、外からのみ見学。日曜だから閉鎖しているのだろうか…。それぞれの建物の前には、ウクライナ語のみで建物の名前とか見学できるかどうかの立て札があるのだが、さすがに全ては理解できないので、かなりの数の場所を見逃している気がする。

再び地下鉄に乗りチアトラーリナ駅で下車。駅を出てフレシャーチク通りに出ると、歩行者天国になっている。歩道のところでは、政党の演説会をテレビ中継している特設会場が作られていたりするが、何のお祭りで歩行者天国なのかよく分からない。ベッサラブスキー市場まで行き、折り返して独立広場まで戻る。この通り沿いは、建物の外装に趣向を凝らした建物が並んでいるので、街のメイン道路的な意味合いもあるのだろうか。



独立記念広場(独立記念柱)とウクライナ・ホテル


夕方、ライトアップされる教会を撮影に行く。まず最初にきれいにライトアップされたのが黄金ドーム教会。まばらにやってくる観光客は、鐘楼の門(入場口)が閉まっているので、中に入れないと思っているようだ。実は、敷地横に地元の人や修道士が出入りする門があって、そこからなら中に入り放題。気づいている人は今日は居ないようで、中で写真を撮っていたのはどうも私だけのようだ。白地に水色の独特な彩色の教会がライトアップされて、とてもきれいだ。



黄金ドーム教会の夜景


大通りの向こうの方、突き当たりに見えるソフィア大聖堂も少し遅れてライトアップされた。こちらは、残念ながら仮設の小屋を広場に建てているところで、写真撮影には向いていない。大規模工事中のアンドレイ坂にあるアンドレイ教会は、ライトアップも中止されていた。インターネットには、きれいにライトアップされた姿の写真がアップロードされていて、とても残念。

独立広場まで戻ってくる。広場周辺の建物は、予想通りライトアップされている。これは予想通り。フレシャーチク通りをチラッと見ると、クリスマスのような道路に延々と取り付けられた電飾で飾られている。今週末は、国家行事とか国の何らかの記念日なのだろうか。そんな歩行者天国にもかかわらず、それほど多くの人が歩いていない。



フレシャーチク大通りの夜景(歩行者天国になっている)

2011/09/24

9月24日 キエフ

9月24日(土曜日)

9時15分、アムステルダム=スキポール空港発のウクライナ航空に乗り込む、最近では珍しい、かなり古いバージョンのB737を使っている。シートベルトのバックルが、私が始めて飛行機に乗ったときに「すでに旧式だった」タイプのものが使われていた。アムステルダムを出て、ベルリンの上空を通り過ぎる。ベルリンはテンペルホフ空港の半円形のターミナルビルが印象的なので、街の名前が分かった。そしてポーランドを経てウクライナへ。ポーランド辺りまでは快晴だったが、ウクライナに入ってだんだんと雲が出てきている。

13時10分、キエフ ボリスピリ空港着。空港ターミナルビル内に「鉄道切符売り場」があることは、ウクライナ国鉄のホームページで確認済み。空港の案内所や事務所から出てきた清掃業のおばさんに聞いてみる。確かに、あるようだが、誰もどこにあるのかの確かな情報は知らないという雰囲気。Fターミナルのど真ん中の出口のすぐ右側にある旅行代理店Tuiが切符を売ってくれる(実際は、ネット予約の代行)と分かり、キエフからリヴィフへの切符を購入。リヴィフからポーランドのクラクフまでの切符は、ここでは買えないようだ。ネット予約のシステムが国際列車対応していないからなのだろう。

空港での用事も済んだし、空港バスに乗りキエフ市街地へ(25フリブナ=250円)。地下鉄ハルキフスカヤ駅で降りようと思ったが、バスは停留所に止まることも無く、全速力で通過…。仕方なく、終点のキエフ中央駅まで行く。まあ、ちょうど切符の予約票を実際の切符に交換してもらえるので、「インターネット予約切符受け取り窓口(西側のターミナルビルの59番窓口)」へ。次に、明日以降の国際線の切符を売っている8番・9番窓口へ。リヴィフからクラクフへの列車は満員らしいことが分かる。窓口の人の話では、出発駅のリヴィフで「買える可能性もある」ものの、保障できない(多分無理)とのことだ。リヴィフに行っても、またキエフに戻ってくる(ウクライナから出れない)のでは、2週間後にアムステルダムまで戻る旅行の行程が大幅に狂いそうだ。仕方ないので、ここはポーランドに抜けることを最優先ということで、キエフからワルシャワへの寝台列車の切符を買う。この列車も殆ど満員で、2等寝台車の「上段」しか空いていないがよいかとのことだ。何でもいいから席をくれ… ということで、空いている席 730フリブナ(7300円)で購入。国際列車になると、国内の3倍近い金額、ボッタクリ価格とはこのことか…(笑



キエフ中央駅の切符売り場


地下鉄の駅へ。モスクワと同じく、ジェトンを改札機に入れる方式。駅入り口の自販機では10フリブナ紙幣をジェトン5枚と交換する自販機が設置されている。しかし、1乗車が2フリブナ(20円)とは、また格安だ。地下鉄駅はキリル文字だけで駅名や行き先などが表示してあり、キリル文字読めない人は「この街に来るな」的な感じだ。まあ、ロシア圏以外からの自由旅行客なんてめったに来ないので問題ないのだろう。大混雑の地下鉄、放送は聞き取りにくいし、駅の駅名表示は壁に申し訳程度に書いてあるだけ。なんとか途中のフレシャーチク駅で乗り換えて、コントラクトヴァ広場駅にたどり着く。ユースホステルは、駅を降りて歩いて数分のところだ(でも道に迷ったので、その辺に居た警官に場所を聞いた)。



地下鉄 テアトールナ駅


ユースホステルにチェックインして荷物を置き、まだ時刻が16時で太陽が明るく輝いているので、観光に出かける。手っ取り早く、地下鉄を2駅乗って独立広場へ。独立記念柱の像に強烈な西日が当たっている。広場の中心には臨時のステージが設けられて、なにやら学生のダンス大会のようなイベントをやっている。広場から北へ。工事中なのか、単にこういう状態なのかは知らないが、でこぼこで所々舗装がはがれた坂道の歩道を10分ほど歩く。黄金ドーム修道院の前でも仮設ステージが設けられて、こちらは歌手がコンサートを開いている。配られているビラのようなものを見ると、ピンクリボンが書かれているので、乳がん検査か何かの啓発事業の一環だろうか。こちらも大量の人が来ていて、教会の前にもかかわらず大音響でコンサート。さすが、こちらの宗教施設は寛容力ありますね…。



黄金ドーム教会前でのコンサート


修道院の中に入ると案外静かで、分厚い建物の石が外の大音響を遮断しているのだろう。静かに奏でられる讃美歌に内部は支配されていた。黄金ドーム修道院を出て、さらに北に行くとアンドレイ教会のあるアンドレイ坂に出る。ここも坂道の石畳を引き剥がして、大々的に工事中。教会もなにやら大規模に改修工事していて、閉鎖されている。坂道の歩道部分だけ人が通れるようになっていて、そこに観光客向けと思われる物を売る露天が延々と並んでいる。坂を下ると、ユースホステルの最寄り駅のコントラクトヴァ広場駅のすぐ横だ。



アンドレイ教会(修復工事中)


駅の横にやたら人が吸い込まれていくレストラン発見。ビュッフェ形式で、好きな料理を取ってレジで生産するシステムの店。日本でも「まいどおおきに 谷町7丁目食堂」というような和食のビュッフェ形式の食堂があるが、そのウクライナ料理版。値段も、ステーキとボルシチ、パン、ジュースで48フリブナ(480円)と日本の半額くらいの感覚の店だ。

夜、ユースホステルの部屋に居ると、花火が打ちあがる音が聞こえる。今日は何かの祭りなのだろうか…。

2011/09/22

9月22日 航空券の姓名が逆で再発券に…

明日利用予定のKLMの航空券(e-ticket)を、オンラインで参照しようと『e-ticket番号と姓』をKLMのウエブページ(My Booking)に入力すると却下される。KLMにオンラインで問い合わせたところ、「姓名が逆に登録されているので、すぐにカスタマーセンターに連絡すべし」とメールが返ってきた。

9時にKLMカスタマーセンターに電話すると、KLM:「一旦、航空券をキャンセルして、新たな航空券を作成する。手数料は2500円で、クレジットカード決済になる」とのこと。この処理のため、一旦航空券のキャンセル処理をしたあとで、私:「オンラインチェックインは姓を入れる必要がないので、既に行なったが問題ない?」と聞いてみたら、KLM:「それを先に言ってもらわないと…。 航空券の存在しないチェックイン情報は、私の端末からは消せないので時間がかかる。航空券の再発行までに時間がかかると(座席が埋まって、結果として)航空券を再作成できない可能性も…」と。名前だけ書き換えるという処理、出来ないわけね。融通のきかないシステムですな。(航空券番号と氏名を言うだけで、キャンセル処理できるんだから、システムだけ堅牢に作っても、ソーシャルハッキングでいくらでも破られるだろうと思う。)

結果として、5時間ほどして新たな航空券(e-ticket)がメールで送られてきた。発券元は、シドニーのKLMオフィスになっていた。


当日に空港で「姓名が逆」が判明したら、おそらく搭乗拒否られるんだろうね。 前日に、My Bookingでチェックするのは有益だ (笑

※ Googleで「航空券 姓名 逆」で検索すると、『航空券は買い直しになるので、今日現在の販売価格になり、差額が膨大に発生する』とか、『混雑している時期なら、結果としてキャンセルされてしまう』など恐ろしい体験談が…。 今回は、繁忙期じゃなかったのと、KLMカスタマーセンターの担当者が良い人だったのが、問題なく再発券してもらえた要因だと思う。 (これが、格安航空だったら、容赦なくキャンセルされてたのかもね。 )