2014/11/05

11月5日 ローマ

11月5日(水曜日)

夜中に猛烈な雨が降ったようで、テラスの窓の雨戸に吹き降りの雨が当たる音が時折していた。朝起きるころには、雨は上がって風の強い曇り空になっていた。


今日の観光経路を、古代ローマの地図に書き込んでみる

■ テルミニ 9:10 → カブール 9:12 (地下鉄 B線)

9時少し前、ホテルを出発し観光に出かける。カピトリーノ美術館を目指す。テルミニ駅から地下鉄に1駅だけ乗り、そこからカピトリヌスの丘を目指す。属州の植民都市のように、碁盤の目状の道路ならわかりやすくてよいのだが、ローマは7つの丘の上に造られた町を起源に、徐々に拡張してきた街なので、道路が不規則な角度で交わっていてわかりにくい。地下鉄駅から、一旦フォルム・ロマヌムの前に出て、そこから急な階段でカピトリヌスの丘に登った。カピトリーノ美術館の入場口には数人の客しか並んでおらず、平日はこんなものなのだろうか…。入場料は15ユーロと、かなり割高な感じだ。


マクセンティウスのバシリカに建てられていたとされるコンスタンティヌス1世の巨像

入場口を入ると、中庭にコンスタンティヌス1世の大理石像(コロッサス)の破片が展示されている。頭部だけでも高さは2.5mあるそうで、石像がマクセンティウスのバシリカに建てられて時には、高さは12mほどあったそうである。博物館内は、主に古代ローマ時代から中世までの彫刻が展示されている。


オオカミの乳を飲むロムルスとレムス


17世紀に描かれた『サビニの女たちの略奪』(ローマ建国神話)

ローマを建国したロムルスとレムスが、生まれて間もなく川に捨てられオオカミに助けられたという神話を表現した、「オオカミの乳をのむ兄弟」の像は有名だ。他の地域から移動してきた男性が中心となり都市国家を作ったローマには、当初男性ばかりだったため、近隣のラテン人国家の女性を略奪したという神話を表現した『サビニの女たちの略奪』の絵もある。


マルクス・アウレリウス騎馬像

サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に長らく飾られていた、マルクス・アウレリウスの騎馬像の「実物」も、この美術館内にある。ローマ帝国の皇帝騎馬像は幾つもあったが、異教の神の像としてキリスト教徒に破壊され、現存しているのはこのマルクス・アウレリウス騎馬像だけだ。カエサルやアウグストゥスのように有名で「顔が割れている」場合は迷わず破壊されたが、マルクス・アウレリウスは有名じゃなかったのか、長らくコンスタンティヌス1世と間違われて大切に保存されていたそうだ。


ユピテル神殿の遺構

マルクス・アウレリウス騎馬像のすぐ横には、本来この場所にあったはずのユピテル神殿の基礎部分の遺構が残っている。


第22代皇帝カラカラ像

ローマ帝国の皇帝胸像や、哲学者の胸像などがずらりと並んでいるのは圧巻だ。ソクラテスやプラトンの胸像は、ギリシア語で名前が刻まれていたので、古代ギリシアの彫刻なのだろう。


ケンタウロス像(紀元前3〜2世紀の古代ギリシア製)

有名なアフロディテ像(エスクイリーノのヴィーナス)や、ブロンズ製のケンタウロス像、瀕死のガリア人像など著名な彫刻も数多くある。

フォルムや神殿、テルマエなどのニッチ(円筒状にへこんだ碧眼部分)には、ローマ神などの彫刻が置かれていたはずだが、長い年月の間に建材として持ち出されたり、異教の神の像として破壊されたりしたはずだ。どこに何の彫刻が置かれていたのかわからないので、無責任に複製を並べられないのはわかるが、それならせめて遺跡の近くに想像図だけでもおいてほしいものだ。

たとえば、カエサルのフォルムにあったはずの、カエサルの騎馬像がどんな形をしていたのかわからないので、無責任なことはやりたがらないのは分かるが…


4ユーロのパニーニ

3時間ほど見学した後、一昨日と同じくトラヤヌス記念柱の近くのスナック・バーで、パニーニを食べる。スプライトも買って合計5.5ユーロ。

昨日、チェチーラ・メテッラ廟を見学したときの入場券は、カラカラ浴場などとの共通券のため、カラカラ浴場を見に行くことにする。20年前に見学した記憶はあるが、入場口がどこにあるのかすら忘れてしまっている。

■ カブール 13:24 → チルコ・マッシモ 13:27 (地下鉄 B線)

再びカブール駅に戻る。駅前に、ちょっと高級品そうな品物をショーウインドウに展示したスーパーがあったので、中を覗いてみると普通のスーパーだった。土産物用に高級な岩塩でも買おうかなと思ったのだが… (古代ローマ時代は、オスティアの海岸で取れた海の塩を使っていたはずなので、岩塩は場違いなのかもしれない。どこかの属州から輸入はしていたのかもしれないが…)

地下鉄に2駅だけ乗って、キルクス・マクシムスの所で降りる。駅の階段を上がったところに国連の旗が立っていて、国連機関(世界食糧機関?)の大きな事務所がある。その南東の裏側がカラカラ浴場だ。


推定図


カラカラ浴場 カルダリウム側から見た全景

中に入ると、確かに20年前に来たときに見たような景色だ。昔はフェンスなど無く、壁の近くまで寄って見れたという記憶があるが、いまはがっちりとした手すりが全面に取り付けられていて、壁に近づくこともできない。


ナタティオ

見学ルートは、トレーニング施設だったパレストラから建物に入ることになる。現代ならトレーニング用の機器が置かれるところだが、昔はこの広い空間でレスリングやランニングをしていたといわれる。GoogleMapで計測してみると、55m×40m位の広さの部屋だ。そのまま、大きな建物の北東側の部屋を通って歩いていくと、脱衣場の隣に巨大なプールがあったナタティオがある。もちろん、今では水は張られていないので、好きなところを歩ける。プールは80m×20mくらいあったようだ。現代でも競技用に使えるレベルの広さは十分とれる広さの部屋だ。ナタティオの北東側の壁は、3階建て相当のそれぞれのフロア部分にニッチ(碧眼)がずらりと並んでいて、当時は見事な彫刻が並べられまるで美術館のような景色だったのだろう。

建物の軸線中心にあるナタティオの向うは、再び脱衣室とパレストラだ。当時の床に張られていたモザイクタイルが一部分だけ残っていたり、壁面に立てかけられて展示されている。コンスタンティノープル大宮殿のような豪華な多色のモザイクではなく、白と黒の2色で表現されたモザイクだ。カラカラ帝の時代には、まだ多色のモザイクは一般的ではなかったのかもしれない。

見学コースは、南西側の建物内側の列を入場口に向けて引き返す形で作られている。


フリギダリウム(冷浴室)とナタティオの間にある円形の浴槽


フリギダリウム(冷浴室)

今度は建物中心のフリギダリウム(冷浴室)の所を通る。部屋の長さはナタティオと同じく80mほどで、幅は40mほどだろうか。ナタティオとの間には円形の浴槽がある。より建物の中央方向にはテピダリウム(温浴室)とカルダリウム(熱浴室)が見えるが、その部屋は遠くから見るだけで見学はできない。テピダリウムは天井がまだ残っているので、崩れてくる心配があるのかもしれないね。


右下のカルダリウム(熱浴室)と、左側の柱の内側のテピダリウム(温浴室)

建物から出て、南西側の外から眺めると、屋外にカルダリウム(熱浴室)だった部屋の遺構が建物の外にあるのがわかる。テルマエ本体の建物は、あと1スパンだけこちら側にもあったはずで、カルダリウムも建物内に含んでいたはずだ。カルダリウムは床が抜け落ちて、地下構造を横から眺めることができる。アーチ状になった地下室は、ボイラーからの熱水(蒸気?)を送るための管があったのか、それともそれらの地下室に直接ボイラーが置いてあったのか…。

カラカラ浴場を出て、北東のサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の方向を目指す。古代ローマ時代の地図では、アヴェンティヌスの丘に向かうアッピア水道の水道橋と、パラティウムの丘に向かうクラウディア水道の水道橋が、プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)から延びてきていたはずだ。GoolgeMapの航空写真で調べた限りでは、クラウディア水道は所々に遺構が残っているが、アッピア水道は見つけることができなかった。


メトロニア門


イタリア軍病院(Policlinico Militare)の外壁がクラウディア水道の水道橋遺構

メトロニア門(今でも同じ名前)のところから、ラテラーノ教会へ向かうと大きな病院があり、その裏手の軍の病院との間のステファーノ・ロトンド通りの壁がクラウディア水道の水道橋を「再利用」して造られたものだ。一部分は一般住宅の内部の柱に取り込まれているようなところもあり、長い年月の間に街並みに組み込まれてしまったのだろう。


ラテラーノ大聖堂の翼廊入口とトトメス3世のオベリスク


12使徒の像が並ぶラテラーノ大聖堂の身廊

ローマ三大聖堂と名高いサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂を見学する。大聖堂の前の広場、クラウディア水道との間には、ルクソールのカルナック神殿から運ばれたトトメス3世の巨大なオベリスクがそびえている。現存する古代エジプトのオベリスクでは最大のもので、230トンもの重さがあるそうだ。このオベリスクが建てられる前は、カピトリーノ美術館に保存されているマルクス・アウレリウス騎馬像が(中世の間)この場所に置かれていたそうだ。大聖堂の方も由緒があり、4世紀にコンスタンティヌス1世がミラノ勅令でキリスト教を公認したのと同時期に造られた教会が起源だそうだ。12使徒の石像が並んでいる身廊の端には、聖ペテロと聖パウロの聖遺物(頭蓋骨)が収められているそうだ。世界中で聖遺物とされるものは、12使徒の骨の量よりはるかに多く、全く違う骨が間違って奉献されている例も多くあるだろうが、さすがに、ローマ教皇庁直轄のこの大聖堂にあるものは「本物」だろう。


サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂とカストレンセ競技場跡

大聖堂を出て東へ向かう。アウレリアヌス城壁に沿って行くと、城壁を作るときに壁の一部に取り込まれてしまったカストレンセ円形闘技場がある。いまは、すぐわきにある教会の庭の壁となってしまっていて、中に入ることはできないが、フェンスの隙間から少しだけ覗くことはできる。


プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)と、近郊列車FR1線

カストレンセ闘技場のすぐ北東には、トラムのターミナル駅にもなっているマッジョーレ門広場がある。すぐわきには、アウレリアヌス城壁を切り崩して、テルミニ駅に入る鉄道の本線が通っている。古代ローマ時代は、プラエネスティーナ門といってプラエスティーナ街道が通過する地点でもあり、クラウディア水道やマルキア水道などアニエネ川上流から導水してきたローマ水道が市街地に入る地点でもある。かつても、今も、交通の結節点だ。

ここから国鉄(トレニタリア)の線路に沿って北西へ伸びるアウレリアヌス城壁は、マルキア水道の水道橋のアーチ部分をコンクリートと煉瓦でふさいだ形で、水道橋を再利用して造られている。近郊鉄道FR1線が、ここからテルミニ駅まで路面電車のように道路上を走っているので、1駅だけ乗車

■ ポルタ・マッジョーレ → サン・ビビアナ (近郊鉄道FR1)


ニンファエウム

電車は国鉄の線路のすぐわきの道路を走り、円柱型のニンファエウムを避ける形でカーブして1駅目の停留所に到着。そこで下車する。ニンファエウムは古代ローマ時代に造られた水の精を祀る施設だったようだが、現在は観光地でも何でもなく、単に道路の横にある廃墟に過ぎない。巨大な円柱型の建物は、西ローマ帝国内では最大のドームを持つ建物だったそうだ。コンスタンティノープル(現 イスタンブール)のソフィア大聖堂に似たようなものだったらしい。


ティブルティナ門 (少なくとも、水道橋の導水渠が2段あったようだ)

そこから国鉄の線路の下をくぐる道路を通って向う側に出ると、ティブルティナ門がある。3日前に、ティヴォリに行ったときに通ったローマ街道の起点となる門だ。プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)からティブルティナ門までが、マルキア水道の水道橋を再利用して造られた城壁だ。ティブルティナ門で水道橋は市内に向けて分岐し、泊まっているホテルの近くのヴィットリオ・エマニュエレ広場にある分水施設カステロ・アクアエまで達している。いまは、分岐部分の1本目の橋脚しか残っておらず、テルミニ駅の駅舎を作るときに取り壊されてしまっている。


さて、日も暮れたのでテルミニ駅の向う側の繁華街(?)に戻り夕食。イタリア料理のレストランの店頭に、10ユーロメニューと書かれていたので、そこに入ってみる。リグーリア風パスタと、チキン・グリルのベークド・ポテト添え、ケーキ、飲み物がセットだ。パスタはフルサイズが出てきたので、結構お得なメニューだ。

■ Hotel Acqualium 521号室