2012年10月5日(金曜日)
7時30分に朝食を食べ、ホテルに荷物を預けて、チェックアウト。エミノニュのフェリーターミナル前のバス停から99A系のバスに乗り、アタチュルク大通りを越えたところdw下車。金角湾沿いの海岸線沿いに暫く歩き、GoogleMapでコンスタンティノープル大聖堂となっている所を目指す。
坂道のきつい住宅街をあるいてゆくと、どうも教会の裏手にでてしまったようで、頑丈そうな壁がずっと続いている。警察の監視塔もあり、この国ではキリスト教が普通では存在しえないというのがわかる。
海岸沿いの入り口から入ると、小ぢんまりした白い聖堂がある。イスタンブールの他のモスクの豪勢さに比べると、余りにもちゃちだが、コンスタンティノープル陥落で、アギア•ソフィア大聖堂を失ってからは、ここが東方聖教会の主教座があるとのことだ。
聖堂を出て、坂道をひたすらのぼって、ファティーフ モスクを目指す。
途中でカメラのバッテリーが切れかかり、スーパーで単3電池4本を購入したが、8.5リラ(380円)もする。ダイソーで充電池が買えるレベルですね。
ファティーフ モスクは観光地ではないようで、入口で靴を入れる袋を配ったり、英語での注意看板なども存在しない。中は礼拝の時間では無いため、誰もいない。掃除機をかける職員が2人居るだけだ。
さらに東へ行くと、ビザンティン時代の水道橋があり、アタチュルク大通りを跨いでいる。水道橋の橋脚の間は、雨がかからないので、ちょうど良い駐車場になっているようだ。
更に東へ。坂を下ったり登ったり、取り壊された建物が続いていたり、10分ほどでスレイマン モスクに到着。
こちらは観光地のようで、観光客がたくさん来ている。観光地になるのと、ならない違いはどのあたりにあるのだろうか。よくわからない。
モスクを出て、イスタンブール大学を大きく迂回して、グランド•バザールを観に行く。観光客向けと思われる土産物屋が2000店も集まっているとのことだが、そんなに観光客多いのかね。
そのまま東へ歩き続けると、スルタン•アフメト モスクの所まで来る。裏手にモザイク博物館があるというので入ってみる。前の道は観光バスで渋滞している。市内中心部の観光くらい歩かせればいいのに。。。と思う。
モザイク博物館は、王宮のモザイクを剥がして来て、別途公開しているようで、なんで王宮の中で保存しないのか不思議だ。教会のと違い、こちらは狩りの様子を写実的に表したものだ。
昼になったので、エジプト•バザールの近くのドネル屋で、ケバブとヨーグルトで昼食。5.5リラ。ザクロのジュースが気になっていたので飲んでみた。単に甘いジュースというところでした。これは5リラ。と、オレンジジュースが1リラと比べて高い。
ホテルで荷物をピックアップし、シルケジ駅前からトラムに乗り、アクサライで地下鉄に乗り替え空港へ。トラムが1.94リラ、地下鉄が1.24リラと値段設定がよくわからない。
途中のアクサライのカフェで休憩し、今回のトルコでの最後の出費。旅行日記も、空港で送信するこれが最後。
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17時ちょうど発のアムステルダム行きは、25分遅れて出発した。トルコからブルガリアを横断してセルビアの東の国境沿いに飛んでいる。ルーマニアをギリギリ避けているのは、高い管制料金を取られるからだろうか。
19時50分、スキポール空港着。小雨がふりはじめている。
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トルコ料理 まとめ
(たいてい、日本円にして200円台以下で食べられる激安ジャンクフード。飲み物は、塩辛いヨーグルト、アイラン。トルコ人はジャンクフードには大抵アイランをセットで頼んでました)
2012/10/05
2012/10/04
10月4日 イスタンブール
2012年10月4日(木曜日)
イスタンブールのホテルの価格が高騰しているので、今日泊まっているホテルは日本円にして3800円も払っているのに、他の部屋でシャワーを使うと湯が出なくなるわ、朝食は超しょぼいわで、ひどいものだ。イズミールで泊まったホテルは2900円だったが、相当マシだった。
8時過ぎ、シルケジ駅前のフェリー乗り場に行く。ルメリ・ヒサール(砦跡)に行くフェリーが無いか見てみるが、海の上から見るだけの周遊客船(25リラ)しかないようだ。陸路で行くこととする。
エミノニュからトラムで終点のカバタシュまで行き、すぐ目の前にある小さい市バスターミナルから25E系統に乗って30分、1988年に日本のIHIが建設した第2ボスポラス大橋のすぐ下辺りにあるバス停で下車。すぐ目の前の山肌に砦がせり出してきている。
天気予報では「雷雨」となっていたが、結構湿度が高く空が白っぽくなっているだけでなく、北のほうから黒い雲が近づいてきている。入場料5リラ払って砦に入る。他に誰も客が来ていないようで、やたら警備員だけが目立っている。砦は塔と壁で囲まれた中に、古代ローマ劇場があるだけのシンプルな造りだ。
塔には登れないように扉が閉められているが、壁の上の通路に出るための階段がむき出しのまま放置されているので、勝手に上に登れる状態だ。15世紀のオスマン帝国によるコンスタンティノープル包囲戦のときに、オスマン帝国側が建設した砦で、ボスポラス海峡経由での補給を遮断するために造ったのだろう。当時、東方正教会の中心地はウクライナにあったはずなので、黒海経由での補給や援軍派遣もありえたのかもしれない。
砦の壁に上ると、ボスポラス海峡と第2ボスポラス橋が一望できる。旅行案内書などに掲載されている写真は、ここから撮影したものなのだろう。砦の中の平らなところには、オスマン帝国の大砲が並べられている。説明板によれば、19世紀のものだと書かれているので、コンスタンティノープル包囲のときのものではないようだ。
10時20分、再びバスに乗りカバタシュまで戻る。昨日購入した5回分の回数券を使い切ってしまったので、キオスクでチャージ可能なICカードを購入(イスタンブールカード 7リラ)。とりあえず、13リラチャージした。トラムの改札機で入場するときに値段を見ると、1.94リラしか支払われていない。回数券なら3リラなので、3割以上割引があるようだ。
トラムで旧市街を横断して、ビザンチン時代の市壁があったパザール・テケ駅で下車。トラムの走る大通りが壁を貫通しているが、ここがアギオス・ロマーニ門だったところなのだろうか(それとも、新しい道路やトラムを貫通させるときに、門のような偽者を作った可能性もある)。GoogleMapではすぐ南側にメフランカプという地名があり、そこには当時レギオン門というのがあったはずなので、たぶん、トプカプの道路貫通部はビザンチン時代も幹線道路がここにあったのだろう。
二重になった壁の間に入れるので、レストランらしき敷地内から中に入ると、綺麗な緑の芝生に覆われている。どうも、私有地のようだ…。レストランではなく、普通の道路からアクセスできる場所の壁はボロボロで、芝生どころか半砂漠のような状態でゴミが散乱している。貴重な歴史遺産なのだから、もう少しちゃんとした公園に整備できないものかねぇ…。(日本も、大規模公共工事ばかりにODAを垂れ流すのではなく、こういう地道な遺跡整備に金を出してあげればいいのに。ゼネコンは全く儲からないからダメなのかね)
壁のすぐ脇にバスが次々とやってくる小さな広場があり、そこのカフェのようなところで昼食。ドネルケバブとヨーグルトで5.75リラ(260円)。出発していくバスを観察していると、タクシム行きというのがある。直通するなら便利だということで、乗ってみる。出発しそうなバスに乗って待っていると、どうも後部のエンジン室から火が出た?ようで、隣のバスに急遽乗り換えろと言ってくる。マイナー路線は利用している車両も結構オンボロなので、たまに故障するんだろう。
運賃1.24リラと、回数券の半額だ。トラム路線と途中まで併走し、ヴァレンス水道橋のあるアタチュルク大通りを通って金角湾の橋を渡り、タクシム広場へ。
繁華街のイスティクラル通りを下ってガラタ橋を目指す。歩行者天国のイスティクラル通りは、平日にもかかわらず、老若男女問わずいろんな種類の人で大混雑している。
平日に、何で若者がこんなにも沢山、ぶらぶらと歩行者天国をぶらついているのか!
イスラム圏では平日昼間からカフェで時間を潰す若者が沢山居るが、トルコもイスラム圏だし、失業率も相当高いのだろう。あの若者の失業率が50%のスペインですら、これほど沢山の若者が平日から繁華街をぶらついていなかったと思う。
老人の海釣り公園と化したガラタ橋を渡り、旧市街の国立考古学博物館へ。入場料10リラだが、かなり見ごたえがある。アナトリア半島側のギリシャ、ローマ時代の出土品が整然と展示されている。金角湾を閉鎖していた鎖の実物や、アレクサンドロス大王の石棺も。レバノンのシドンで発掘された大王の棺が、なぜイスタンブールに運ばれたのか、それも不思議なところだ。
2時間ほど格物間を見た後、隣のアギア・ソフィア大聖堂(アヤソフィア)へ。すでに閉館間際ということで、観光客の数が減ってくる時間帯だ。写真撮影にはちょうどよい。現役の宗教施設ではなく、展示館になっているので、入場料25リラ(1125円)とかなり高額。これを見ずには帰れないので、少々高くても払う価値はあるだろう。側廊の壁の一部を引き剥がして、中から出てきたキリストや聖母子の金色のモザイク画が有名だが、もっと剥がせば、いろいろ出てくるのではないかなと思う。現代の技術なら、非破壊検査でモザイク画が埋まっているかどうか位は分かるかもしれない。
18時、閉館時間となり客がどんどんと帰って行き、写真撮影しやすい条件になる。ただ、なかなか帰らない人も多いので、完全に無人というわけにはいかなかった。
イスタンブールのホテルの価格が高騰しているので、今日泊まっているホテルは日本円にして3800円も払っているのに、他の部屋でシャワーを使うと湯が出なくなるわ、朝食は超しょぼいわで、ひどいものだ。イズミールで泊まったホテルは2900円だったが、相当マシだった。
8時過ぎ、シルケジ駅前のフェリー乗り場に行く。ルメリ・ヒサール(砦跡)に行くフェリーが無いか見てみるが、海の上から見るだけの周遊客船(25リラ)しかないようだ。陸路で行くこととする。
エミノニュからトラムで終点のカバタシュまで行き、すぐ目の前にある小さい市バスターミナルから25E系統に乗って30分、1988年に日本のIHIが建設した第2ボスポラス大橋のすぐ下辺りにあるバス停で下車。すぐ目の前の山肌に砦がせり出してきている。
天気予報では「雷雨」となっていたが、結構湿度が高く空が白っぽくなっているだけでなく、北のほうから黒い雲が近づいてきている。入場料5リラ払って砦に入る。他に誰も客が来ていないようで、やたら警備員だけが目立っている。砦は塔と壁で囲まれた中に、古代ローマ劇場があるだけのシンプルな造りだ。
塔には登れないように扉が閉められているが、壁の上の通路に出るための階段がむき出しのまま放置されているので、勝手に上に登れる状態だ。15世紀のオスマン帝国によるコンスタンティノープル包囲戦のときに、オスマン帝国側が建設した砦で、ボスポラス海峡経由での補給を遮断するために造ったのだろう。当時、東方正教会の中心地はウクライナにあったはずなので、黒海経由での補給や援軍派遣もありえたのかもしれない。
砦の壁に上ると、ボスポラス海峡と第2ボスポラス橋が一望できる。旅行案内書などに掲載されている写真は、ここから撮影したものなのだろう。砦の中の平らなところには、オスマン帝国の大砲が並べられている。説明板によれば、19世紀のものだと書かれているので、コンスタンティノープル包囲のときのものではないようだ。
10時20分、再びバスに乗りカバタシュまで戻る。昨日購入した5回分の回数券を使い切ってしまったので、キオスクでチャージ可能なICカードを購入(イスタンブールカード 7リラ)。とりあえず、13リラチャージした。トラムの改札機で入場するときに値段を見ると、1.94リラしか支払われていない。回数券なら3リラなので、3割以上割引があるようだ。
トラムで旧市街を横断して、ビザンチン時代の市壁があったパザール・テケ駅で下車。トラムの走る大通りが壁を貫通しているが、ここがアギオス・ロマーニ門だったところなのだろうか(それとも、新しい道路やトラムを貫通させるときに、門のような偽者を作った可能性もある)。GoogleMapではすぐ南側にメフランカプという地名があり、そこには当時レギオン門というのがあったはずなので、たぶん、トプカプの道路貫通部はビザンチン時代も幹線道路がここにあったのだろう。
二重になった壁の間に入れるので、レストランらしき敷地内から中に入ると、綺麗な緑の芝生に覆われている。どうも、私有地のようだ…。レストランではなく、普通の道路からアクセスできる場所の壁はボロボロで、芝生どころか半砂漠のような状態でゴミが散乱している。貴重な歴史遺産なのだから、もう少しちゃんとした公園に整備できないものかねぇ…。(日本も、大規模公共工事ばかりにODAを垂れ流すのではなく、こういう地道な遺跡整備に金を出してあげればいいのに。ゼネコンは全く儲からないからダメなのかね)
壁のすぐ脇にバスが次々とやってくる小さな広場があり、そこのカフェのようなところで昼食。ドネルケバブとヨーグルトで5.75リラ(260円)。出発していくバスを観察していると、タクシム行きというのがある。直通するなら便利だということで、乗ってみる。出発しそうなバスに乗って待っていると、どうも後部のエンジン室から火が出た?ようで、隣のバスに急遽乗り換えろと言ってくる。マイナー路線は利用している車両も結構オンボロなので、たまに故障するんだろう。
運賃1.24リラと、回数券の半額だ。トラム路線と途中まで併走し、ヴァレンス水道橋のあるアタチュルク大通りを通って金角湾の橋を渡り、タクシム広場へ。
繁華街のイスティクラル通りを下ってガラタ橋を目指す。歩行者天国のイスティクラル通りは、平日にもかかわらず、老若男女問わずいろんな種類の人で大混雑している。
平日に、何で若者がこんなにも沢山、ぶらぶらと歩行者天国をぶらついているのか!
イスラム圏では平日昼間からカフェで時間を潰す若者が沢山居るが、トルコもイスラム圏だし、失業率も相当高いのだろう。あの若者の失業率が50%のスペインですら、これほど沢山の若者が平日から繁華街をぶらついていなかったと思う。
老人の海釣り公園と化したガラタ橋を渡り、旧市街の国立考古学博物館へ。入場料10リラだが、かなり見ごたえがある。アナトリア半島側のギリシャ、ローマ時代の出土品が整然と展示されている。金角湾を閉鎖していた鎖の実物や、アレクサンドロス大王の石棺も。レバノンのシドンで発掘された大王の棺が、なぜイスタンブールに運ばれたのか、それも不思議なところだ。
2時間ほど格物間を見た後、隣のアギア・ソフィア大聖堂(アヤソフィア)へ。すでに閉館間際ということで、観光客の数が減ってくる時間帯だ。写真撮影にはちょうどよい。現役の宗教施設ではなく、展示館になっているので、入場料25リラ(1125円)とかなり高額。これを見ずには帰れないので、少々高くても払う価値はあるだろう。側廊の壁の一部を引き剥がして、中から出てきたキリストや聖母子の金色のモザイク画が有名だが、もっと剥がせば、いろいろ出てくるのではないかなと思う。現代の技術なら、非破壊検査でモザイク画が埋まっているかどうか位は分かるかもしれない。
18時、閉館時間となり客がどんどんと帰って行き、写真撮影しやすい条件になる。ただ、なかなか帰らない人も多いので、完全に無人というわけにはいかなかった。
2012/10/03
10月3日 イスタンブール
2012年10月3日(水曜日)
7時30分過ぎ、ホテルの屋上(4階)のテラスで朝食。セリミエ モスクやエスキ モスクのミナレットがうっすらと朝霧に覆われているのが見える。乾燥気候なのに、早朝は霧が発生しやすいのかね。
9時過ぎまで、旧市街のスーク付近を散歩する。この時間帯は魚や野菜を売る類の店が店開きを始めているところで、衣類や電気製品を売る店はまだ閉まったままだ。通勤と思われる人が早足で勤務先に向かう姿もたくさん見かけるが、この街にそれほど沢山の職場があるのだろうか…。
9時30分、チェックアウト。1泊分55リラ(2470円)をカードで支払い。昨日、シャトルバスを降りたセミリエ モスク前のバス乗り場へ向かう。シャトルバスに乗るには長距離バスの切符が必要なようで、私の前に乗ろうとしていたトルコ人が切符を買いに行かされていた(メトロ社の事務所は少し離れたところにある)。どう見ても外国人の私は、切符をまだ買っていなかったが、温情で乗せてもらえた。
10時発のシャトルバスは、郊外の高層住宅街で待つ客を迎えに行くために遠回りしたため、バスターミナルまで25分ほど掛かる。なんとか、10時30分発のイスタンブール行きに間に合う。
イスタンブール行きバスは、昨日と同じく半分くらいの乗客を乗せて、途中で1回休憩を入れてイスタンブールまで2時間40分ほどで到着。バスターミナルの食堂でドネル・ケバブとヨーグルトで昼食。14リラ(630円)と一般的な価格より高い。地下鉄の回数券(5回分)も15リラ(675円)と、イズミールで同じ種類の回数券を買ったときの1.5倍の価格だ。これが、経済中心地(イスタンブールは首都ではない)と地方都市(第二の都市)の違いというものなのだろうか。
それに比べて、日本では地方都市の大阪の方が、東京より地下鉄の初乗り料金が高いのは、経済原則から見て明らかにおかしい。
満員の地下鉄とトラムを乗り継いで、シルケジ駅へ。インターネットで予約したホテルは、シルケジ駅のすぐ隣にある(ここが、ネットで予約できる中では、2番目に安かった)。安ホテル街のような場所だが、それでも1泊36ユーロだ。他のホテルは軒並み50ユーロ以上、いや100ユーロ以上というボッタクリ価格。さすが、最近旅行先として人気の観光地だけはある。
ホテルにチェックインし、荷物を置いて、スルタン・アフメト モスク方面に観光へ。どの道にも、うじゃうじゃと観光客が居る。6世紀に建てられたアギア・ソフィア大聖堂や15世紀のトプカプ宮殿の入り口には観光客があふれている。アフメト3世の噴水前には観光バスが大量に駐車していて、写真を撮るどころではない。こんな歴史地区の真ん中まで観光バスを乗り入れさせなくてもいいのに…。
スルタン・アフメト モスクに向かう。コンスタンティノープル(ギリシア語ではヒッポドロム)側の入り口から入ると、ちょうどアザーンの大音響が流れてきた。礼拝の時間が始まるので、モスクから観光客が追い出される。16時10分に始まった礼拝は16時45分まで掛かり、信者が帰った後に観光客の入場となる。
17世紀に建てられたモスクは、昨日見たエディルネのセミリエ モスクより大きく感じるが、実際はエディルネのモスクのほうが大きい。
セミリエ モスク(エディルネ)
ドーム高さ 43m, ミナレット高さ 83m
スルタン・アフメト モスク
ドーム高さ 43m, ミナレット高さ 64m
モスクの中には、半分以上が信者専用の区画として区切られていて、木の低いフェンスが取り付けられている。フェンスの入り口から(信者が)ぽつぽつと中に入っていくので、ぜんぜんそうとは知らずに着いて入っていくことが出来た。私の後から入ろうとした欧米人が、フェンスの警備をしている係員に警告されていたが、私はそんなにムスリムに見えるのだろうか(笑
半島の丘の稜線を越えて、北側にあるエジプト・マーケットに向かう。香辛料やナッツ類、農作物や花の種や球根を売る店が大量に集まっている。マーケットのすぐ横にはイエニ モスク(新モスク)と呼ばれる大きなモスクがあり、こちらも見学可能だ。17世紀に建てられたのに、「新」モスク。多分スルタン・アフメト モスクより新しいということなのだろう。
エジプト・マーケットの近くでドネル・ケバブを食べる(ヨーグルトも注文して5.5リラ)、露天で茹でたトウモロコシを購入(1.5リラ)。トウモロコシの価格はイズミールのときの1.5倍だ。これも地下鉄の料金と同じく、50%ほど高くなっている。
===== Hotel Sultan, room 601, 1泊84.5リラ(3800円)=====
最低気温20℃、最高気温25℃、天気 晴れ
7時30分過ぎ、ホテルの屋上(4階)のテラスで朝食。セリミエ モスクやエスキ モスクのミナレットがうっすらと朝霧に覆われているのが見える。乾燥気候なのに、早朝は霧が発生しやすいのかね。
9時過ぎまで、旧市街のスーク付近を散歩する。この時間帯は魚や野菜を売る類の店が店開きを始めているところで、衣類や電気製品を売る店はまだ閉まったままだ。通勤と思われる人が早足で勤務先に向かう姿もたくさん見かけるが、この街にそれほど沢山の職場があるのだろうか…。
9時30分、チェックアウト。1泊分55リラ(2470円)をカードで支払い。昨日、シャトルバスを降りたセミリエ モスク前のバス乗り場へ向かう。シャトルバスに乗るには長距離バスの切符が必要なようで、私の前に乗ろうとしていたトルコ人が切符を買いに行かされていた(メトロ社の事務所は少し離れたところにある)。どう見ても外国人の私は、切符をまだ買っていなかったが、温情で乗せてもらえた。
10時発のシャトルバスは、郊外の高層住宅街で待つ客を迎えに行くために遠回りしたため、バスターミナルまで25分ほど掛かる。なんとか、10時30分発のイスタンブール行きに間に合う。
イスタンブール行きバスは、昨日と同じく半分くらいの乗客を乗せて、途中で1回休憩を入れてイスタンブールまで2時間40分ほどで到着。バスターミナルの食堂でドネル・ケバブとヨーグルトで昼食。14リラ(630円)と一般的な価格より高い。地下鉄の回数券(5回分)も15リラ(675円)と、イズミールで同じ種類の回数券を買ったときの1.5倍の価格だ。これが、経済中心地(イスタンブールは首都ではない)と地方都市(第二の都市)の違いというものなのだろうか。
それに比べて、日本では地方都市の大阪の方が、東京より地下鉄の初乗り料金が高いのは、経済原則から見て明らかにおかしい。
満員の地下鉄とトラムを乗り継いで、シルケジ駅へ。インターネットで予約したホテルは、シルケジ駅のすぐ隣にある(ここが、ネットで予約できる中では、2番目に安かった)。安ホテル街のような場所だが、それでも1泊36ユーロだ。他のホテルは軒並み50ユーロ以上、いや100ユーロ以上というボッタクリ価格。さすが、最近旅行先として人気の観光地だけはある。
ホテルにチェックインし、荷物を置いて、スルタン・アフメト モスク方面に観光へ。どの道にも、うじゃうじゃと観光客が居る。6世紀に建てられたアギア・ソフィア大聖堂や15世紀のトプカプ宮殿の入り口には観光客があふれている。アフメト3世の噴水前には観光バスが大量に駐車していて、写真を撮るどころではない。こんな歴史地区の真ん中まで観光バスを乗り入れさせなくてもいいのに…。
スルタン・アフメト モスクに向かう。コンスタンティノープル(ギリシア語ではヒッポドロム)側の入り口から入ると、ちょうどアザーンの大音響が流れてきた。礼拝の時間が始まるので、モスクから観光客が追い出される。16時10分に始まった礼拝は16時45分まで掛かり、信者が帰った後に観光客の入場となる。
17世紀に建てられたモスクは、昨日見たエディルネのセミリエ モスクより大きく感じるが、実際はエディルネのモスクのほうが大きい。
セミリエ モスク(エディルネ)
ドーム高さ 43m, ミナレット高さ 83m
スルタン・アフメト モスク
ドーム高さ 43m, ミナレット高さ 64m
モスクの中には、半分以上が信者専用の区画として区切られていて、木の低いフェンスが取り付けられている。フェンスの入り口から(信者が)ぽつぽつと中に入っていくので、ぜんぜんそうとは知らずに着いて入っていくことが出来た。私の後から入ろうとした欧米人が、フェンスの警備をしている係員に警告されていたが、私はそんなにムスリムに見えるのだろうか(笑
半島の丘の稜線を越えて、北側にあるエジプト・マーケットに向かう。香辛料やナッツ類、農作物や花の種や球根を売る店が大量に集まっている。マーケットのすぐ横にはイエニ モスク(新モスク)と呼ばれる大きなモスクがあり、こちらも見学可能だ。17世紀に建てられたのに、「新」モスク。多分スルタン・アフメト モスクより新しいということなのだろう。
エジプト・マーケットの近くでドネル・ケバブを食べる(ヨーグルトも注文して5.5リラ)、露天で茹でたトウモロコシを購入(1.5リラ)。トウモロコシの価格はイズミールのときの1.5倍だ。これも地下鉄の料金と同じく、50%ほど高くなっている。
===== Hotel Sultan, room 601, 1泊84.5リラ(3800円)=====
最低気温20℃、最高気温25℃、天気 晴れ
2012/10/02
10月2日 エディルネ
2012年10月2日(火曜日)
昨晩21時にイズミールから乗ったバスは、数時間大雨の領域を通った後は、再びうす曇りの朧月夜の中を走っていた。1時、パルケシル近郊のバス会社が独自に作ったサービスエリアに30分ほど停車。4時、ヤロヴァの東でマルマラ海を渡るフェリーにバスごと乗り込む。
10年ほど前に乗ったときには、街の中にある”普通の”カフェが船内にあったのだが、いまは、コンビニのような店に入れ替わっていた。時代の流れというものなのだろう。
イスタンブール近郊の小さなバスターミナルに3箇所程度停車した後、6時20分に終点のエセンレル・バスターミナルに到着。エディルネ行きの切符売り場を探し出して、切符(27リラ,1215円)を買い、7時発のエディルネ行きバスに乗る。
だんだん夜が明けてきた。イスタンブール近郊は曇り。エディルネまでの途中の天気は、朝霧で反対側車線も見えないくらいだ。昨日と同じく、目的地に着くころには霧は跡形も無く消えていた。イスタンブールまでのバスは満員だったが、エデイルネ行きは半分くらいの乗車率だろうか。1時間40分ほどで、エディルネから相当遠く離れた辺鄙な場所にあるバスターミナルに到着。市内中心部のセミリエ・モスク前まで無料の市バスが、約10分で結んでいる。
さて、昨日booking.comで予約したホテルを探す。ホテルは街の中心部のスークのように複雑な道路になっているところにある。GoogleMapで現在位置表示しながら、慎重に道を選んで進んでゆくと、案外簡単に見つかった。通りの名前だけで探すと、街路表示がほとんど無いので、多分探すのに苦労するだろう。
チェックインし、部屋に荷物を置いて観光に出かける。ホテルのあるスークから、市街地中心にひときわ目立って建っているセミリエ・モスクに向かう途中にある、エスキ・モスクを見学する。この街のモスクは実際の宗教施設として機能しているが、非ムスリムの観光客の見学も許すという、珍しい場所だ。モスクを公開することで増える観光客の数が、この街の経済にかなり影響しているのだろう。
15世紀に出来たモスク内部には、巨大な聖なる言葉が壁一面に大きく描かれている。日本語に直訳するとエスキは「古い」に言い換えられるが、他のモスクも15世紀から16世紀ごろに建てられているので、飛びぬけて古いというわけでもないと思う。
セミリエ・モスクへ。イスタンブールのソフィア大聖堂を越える大きさだそうだ。それでいて、入場者の数もずっと少なく、外国人観光客はほぼ皆無だ。アラビア語がもう少し習得できれば、壁一面に書かれているカリグラフィーの意味が分かるのだが…。
この街の見所は、古いモスクと、旧市街中心部のスークだろうから、大体半日で見て回れるくらいのレベルだ。そういえば、この街はブルガリアとギリシアの国境が近い位置にあって、GoogleMapを見るとギリシャ国境が数キロメートルさきにある。ホテルのフロントに居たおじさんに、どうやったら国境を越えてギリシアまで行けますかねよ聞いてみると、片道25リラのタクシーしか交通機関が無いそうだ。
街の中心部でタクシーに乗り、上流では国境線となっている川を渡り、住宅がまばらに建っているカラガッチ集落を全速力で通り抜けて、約5分で国境検査諸前に到着。トルコ側はごく簡単にパスポートをチェックするのに、ギリシャ側は念入りにパスポートを確認している。車で国境越えをしないのであれば、税関検査は免除のようなので、ありがたい。
どちらの国家権力にも属さない非武装地帯は、トルコ側は数十メートル、ギリシア側には数百メートルあるが、いまでも対人地雷や対戦車地雷が埋まっているのだろうか。ギリシャ側の国境検査所ではパスポートを念入りに検査した後、ギリシャの訪問理由を聞かれた。「国境が珍しいので、向こうで喫茶店かなにかに入ってくる」という謎の理由を答えたから、怪しまれたのだろうか。
ギリシア側のカスタニス村は、Wikipediaによれば1200人しか住人がいないそうだ。住宅が並んでいるだけで、所々にあるカフェニオンは閉店のお知らせの紙が張ってあったりする。村の中心部、小さな公共図書館のある三叉路に面して数軒のカフェが並んでいる。そのうちの1軒に入り、あまりに暑いのでオレンジジュースを注文(1.5ユーロ)。
1時間ほど滞在して、再び来た道を戻り国境検査を受けて、トルコ側へ。国境を越えたところに1台タクシーが客街をしている。帰りの運賃は20.50リラ(920円)。
夕刻、夜景撮影へ。モスクは尖塔だけがライトアップされていて、本体がかなり真っ暗な状態だ。もう少し全体に照明を当てた方がいいのではないだろうか。
===== Suray Hotel, room 202 =====
最低気温 14℃, 最高気温 30℃
昨晩21時にイズミールから乗ったバスは、数時間大雨の領域を通った後は、再びうす曇りの朧月夜の中を走っていた。1時、パルケシル近郊のバス会社が独自に作ったサービスエリアに30分ほど停車。4時、ヤロヴァの東でマルマラ海を渡るフェリーにバスごと乗り込む。
10年ほど前に乗ったときには、街の中にある”普通の”カフェが船内にあったのだが、いまは、コンビニのような店に入れ替わっていた。時代の流れというものなのだろう。
イスタンブール近郊の小さなバスターミナルに3箇所程度停車した後、6時20分に終点のエセンレル・バスターミナルに到着。エディルネ行きの切符売り場を探し出して、切符(27リラ,1215円)を買い、7時発のエディルネ行きバスに乗る。
だんだん夜が明けてきた。イスタンブール近郊は曇り。エディルネまでの途中の天気は、朝霧で反対側車線も見えないくらいだ。昨日と同じく、目的地に着くころには霧は跡形も無く消えていた。イスタンブールまでのバスは満員だったが、エデイルネ行きは半分くらいの乗車率だろうか。1時間40分ほどで、エディルネから相当遠く離れた辺鄙な場所にあるバスターミナルに到着。市内中心部のセミリエ・モスク前まで無料の市バスが、約10分で結んでいる。
さて、昨日booking.comで予約したホテルを探す。ホテルは街の中心部のスークのように複雑な道路になっているところにある。GoogleMapで現在位置表示しながら、慎重に道を選んで進んでゆくと、案外簡単に見つかった。通りの名前だけで探すと、街路表示がほとんど無いので、多分探すのに苦労するだろう。
チェックインし、部屋に荷物を置いて観光に出かける。ホテルのあるスークから、市街地中心にひときわ目立って建っているセミリエ・モスクに向かう途中にある、エスキ・モスクを見学する。この街のモスクは実際の宗教施設として機能しているが、非ムスリムの観光客の見学も許すという、珍しい場所だ。モスクを公開することで増える観光客の数が、この街の経済にかなり影響しているのだろう。
15世紀に出来たモスク内部には、巨大な聖なる言葉が壁一面に大きく描かれている。日本語に直訳するとエスキは「古い」に言い換えられるが、他のモスクも15世紀から16世紀ごろに建てられているので、飛びぬけて古いというわけでもないと思う。
セミリエ・モスクへ。イスタンブールのソフィア大聖堂を越える大きさだそうだ。それでいて、入場者の数もずっと少なく、外国人観光客はほぼ皆無だ。アラビア語がもう少し習得できれば、壁一面に書かれているカリグラフィーの意味が分かるのだが…。
この街の見所は、古いモスクと、旧市街中心部のスークだろうから、大体半日で見て回れるくらいのレベルだ。そういえば、この街はブルガリアとギリシアの国境が近い位置にあって、GoogleMapを見るとギリシャ国境が数キロメートルさきにある。ホテルのフロントに居たおじさんに、どうやったら国境を越えてギリシアまで行けますかねよ聞いてみると、片道25リラのタクシーしか交通機関が無いそうだ。
街の中心部でタクシーに乗り、上流では国境線となっている川を渡り、住宅がまばらに建っているカラガッチ集落を全速力で通り抜けて、約5分で国境検査諸前に到着。トルコ側はごく簡単にパスポートをチェックするのに、ギリシャ側は念入りにパスポートを確認している。車で国境越えをしないのであれば、税関検査は免除のようなので、ありがたい。
どちらの国家権力にも属さない非武装地帯は、トルコ側は数十メートル、ギリシア側には数百メートルあるが、いまでも対人地雷や対戦車地雷が埋まっているのだろうか。ギリシャ側の国境検査所ではパスポートを念入りに検査した後、ギリシャの訪問理由を聞かれた。「国境が珍しいので、向こうで喫茶店かなにかに入ってくる」という謎の理由を答えたから、怪しまれたのだろうか。
ギリシア側のカスタニス村は、Wikipediaによれば1200人しか住人がいないそうだ。住宅が並んでいるだけで、所々にあるカフェニオンは閉店のお知らせの紙が張ってあったりする。村の中心部、小さな公共図書館のある三叉路に面して数軒のカフェが並んでいる。そのうちの1軒に入り、あまりに暑いのでオレンジジュースを注文(1.5ユーロ)。
1時間ほど滞在して、再び来た道を戻り国境検査を受けて、トルコ側へ。国境を越えたところに1台タクシーが客街をしている。帰りの運賃は20.50リラ(920円)。
夕刻、夜景撮影へ。モスクは尖塔だけがライトアップされていて、本体がかなり真っ暗な状態だ。もう少し全体に照明を当てた方がいいのではないだろうか。
===== Suray Hotel, room 202 =====
最低気温 14℃, 最高気温 30℃
2012/10/01
10月1日 エフェソス
10月1日(月曜日)
7時に朝食を食べて、しばらく部屋でのんびり休憩したあと、ホテルに荷物を預けて出発。
国鉄バスマーネ駅9時発のデニズリ行きの列車に乗る。
列車は満員で、私の席のちょうど前には台湾人の旅行客が乗り込んで来た。
彼らエフェソス遺跡の見物に出掛けるのだろうう。
イズミールを出てしばらくすると、辺りいちめんが霧に覆われる。朝霧だろうか。エフェソスに着くまでのに消えてくれれば。。。
途中駅でのんびりと長い停車時間を取って走るので、セルチュク駅に到着したのは10時20分。案外時間が掛かるものだ。
セルチュクには10年ほど前に来たことがあるので、バスターミナルがどこにあるのかはだいたい見当がついている。
駅を出て、ローマ時代の水道橋跡を見ながら、観光地区を抜ける。以前泊まったホテルがどこだったのか、町の様子が変わっていてよく分からない。
バスターミナルにいくと、タイミングよくエフェソス行きミニバスの呼び込みに出会う。私が乗り込んで数分で出発。運がいい。
以前はボドルムへ行く道の途中で降ろされた記憶があるが、今ではエフェソス遺跡経由となったようだ。観光客が増えたのだろう。
便利になるのはうれしいが、観光客だらけになるのは、旅情をぶっこわすのでどうかなと。
遺跡の入口前で下車。目の前には団体観光客のバスが大量に停車している。25リラの入場券を購入して中へ。団体客が大量にいる。これは写真撮影どころではない。
入口を入ったすぐのところに韓国語の説明看板が独立して立っている。英語の説明は全ての所に併記されてるのだから、自ら英語すら読めませんと白状してるようなものだ。日本語の看板が無くて良かった。。。(恥ずかしいので)
観光客が途切れた所を狙って見物して回る。やはり、圧倒的に凄いのは、巨大なギリシャ劇場跡と図書館跡の巨大なファサードだろう。どうしても写真に人が入るので、時間差で何枚か撮影して、後で合成してじゃまな人を消去するしかないだろう。
直射日光の中、2時間の見物が限度だ。まだ見切れていないものもあるが、仕方ないだろう。
この遺跡にも沢山の猫が居る。観光客に馴れ過ぎていて、尻尾を引っ張ったくらいではびくとも動かない。
12時30分頃、再びミニバスに乗りセルチュクに戻る。レストランに入り、キョフテを食べる。8リラ。
レストランで、私の横のテーブルに日本人のような人が居たので声を掛けて見ると、中国人だった。青島から雑誌の取材で来たそうだった。
食後、レストランのすぐ目の前にあるビザンチン時代の教会跡を観に行く。10年ほど前に来た時には、夕方遅かったのでじっくり観れなかったが、今回はじっくりと時間を取れた。丘の頂上にある砦跡は、今回も閉鎖されてる。いつになったら修復が終るんだろうか。
14時20分のミニバスに乗り、イズミールに戻る。運賃は列車より高い9リラ。但し、1時間で到着する。イズミールの郊外にあるバスターミナルで、市内バスにのりかえて、結果として列車と同じく1時間30分掛かったが。。。
スークをうろついたり、カフェでチャイを飲んだりして時間を潰し、20時のバス会社の無料送迎で再びバスターミナルに戻る。
無料送迎は、市バスのように途中で停車しないので、10分で到着。21時発のイスタンブール行き夜行バスに乗車する。
この記事は、イスタンブール行きの満員のバスの中から投稿しているので、写真添付無し。
バスの外は稲妻が光り、土砂降りの雨が降っている。車内では、無料のワゴンサービスでチャイとお菓子の配布が始まった。
7時に朝食を食べて、しばらく部屋でのんびり休憩したあと、ホテルに荷物を預けて出発。
国鉄バスマーネ駅9時発のデニズリ行きの列車に乗る。
列車は満員で、私の席のちょうど前には台湾人の旅行客が乗り込んで来た。
彼らエフェソス遺跡の見物に出掛けるのだろうう。
イズミールを出てしばらくすると、辺りいちめんが霧に覆われる。朝霧だろうか。エフェソスに着くまでのに消えてくれれば。。。
途中駅でのんびりと長い停車時間を取って走るので、セルチュク駅に到着したのは10時20分。案外時間が掛かるものだ。
セルチュクには10年ほど前に来たことがあるので、バスターミナルがどこにあるのかはだいたい見当がついている。
駅を出て、ローマ時代の水道橋跡を見ながら、観光地区を抜ける。以前泊まったホテルがどこだったのか、町の様子が変わっていてよく分からない。
バスターミナルにいくと、タイミングよくエフェソス行きミニバスの呼び込みに出会う。私が乗り込んで数分で出発。運がいい。
以前はボドルムへ行く道の途中で降ろされた記憶があるが、今ではエフェソス遺跡経由となったようだ。観光客が増えたのだろう。
便利になるのはうれしいが、観光客だらけになるのは、旅情をぶっこわすのでどうかなと。
遺跡の入口前で下車。目の前には団体観光客のバスが大量に停車している。25リラの入場券を購入して中へ。団体客が大量にいる。これは写真撮影どころではない。
入口を入ったすぐのところに韓国語の説明看板が独立して立っている。英語の説明は全ての所に併記されてるのだから、自ら英語すら読めませんと白状してるようなものだ。日本語の看板が無くて良かった。。。(恥ずかしいので)
観光客が途切れた所を狙って見物して回る。やはり、圧倒的に凄いのは、巨大なギリシャ劇場跡と図書館跡の巨大なファサードだろう。どうしても写真に人が入るので、時間差で何枚か撮影して、後で合成してじゃまな人を消去するしかないだろう。
直射日光の中、2時間の見物が限度だ。まだ見切れていないものもあるが、仕方ないだろう。
この遺跡にも沢山の猫が居る。観光客に馴れ過ぎていて、尻尾を引っ張ったくらいではびくとも動かない。
12時30分頃、再びミニバスに乗りセルチュクに戻る。レストランに入り、キョフテを食べる。8リラ。
レストランで、私の横のテーブルに日本人のような人が居たので声を掛けて見ると、中国人だった。青島から雑誌の取材で来たそうだった。
食後、レストランのすぐ目の前にあるビザンチン時代の教会跡を観に行く。10年ほど前に来た時には、夕方遅かったのでじっくり観れなかったが、今回はじっくりと時間を取れた。丘の頂上にある砦跡は、今回も閉鎖されてる。いつになったら修復が終るんだろうか。
14時20分のミニバスに乗り、イズミールに戻る。運賃は列車より高い9リラ。但し、1時間で到着する。イズミールの郊外にあるバスターミナルで、市内バスにのりかえて、結果として列車と同じく1時間30分掛かったが。。。
スークをうろついたり、カフェでチャイを飲んだりして時間を潰し、20時のバス会社の無料送迎で再びバスターミナルに戻る。
無料送迎は、市バスのように途中で停車しないので、10分で到着。21時発のイスタンブール行き夜行バスに乗車する。
この記事は、イスタンブール行きの満員のバスの中から投稿しているので、写真添付無し。
バスの外は稲妻が光り、土砂降りの雨が降っている。車内では、無料のワゴンサービスでチャイとお菓子の配布が始まった。
2012/09/30
9月30日 ベルガマ、イズミール
2112年9月30日(日曜日)
6時30分起床。7時、ホテルの2階(こちらでは1階か…)の食堂で朝食。他に宿泊している人が居ないのか、それとも、もっと遅くに食べに来るのかは知らないが、私以外に誰も居ない。
7時45分、スークの横のバス停から163系統のバスに乗り、バスターミナルに向かう。この街のバス停には、系統番号も時刻表も貼り出されていないので、あらかじめインターネットでバスの時刻を調べておかないと、長時間待つことになるかもしれない。(ちなみに、163系統は30分に1本くらいの運転)
バスはイズミール市街地中心を避けるようにして、バスターミナルに向かい、約30分で到着。10年前に、カッパドキアから乗ったバスを乗り継いだときには、こんなに大きな場所ではなかったような気がする。新しく建てたのだろうか。ベルガマ行きのバス会社の切符売り場を探すが、見つからない。適当にその辺りの売り場の人に尋ねると、近場へのミニバスは上の階から出るとのこと。2時間の乗車距離で、近場のバスとは、さすが長距離バス路線網が発達したトルコならではだ。
Metro Bergamaという会社の切符を購入。10リラ(450円)。8時30分に、乗客2名を載せて出発。イズミール郊外や途中の小さな町からどんどん客が乗り込んできて満員になる。
雲ひとつない改正の青空の下、乾ききって潅木がまばらに生えた低い山々や、エーゲ海を見ながら約2時間でベルガマに到着。ベルガマの町から相当離れたところにあるバスターミナルには停車せずに、旧市街のバス会社の事務所の前が終点だ。目の前には、アクロポリスの”山”が見えている。アテネのアクロポリス程度なら登ろうかという気も起こるが、ここのアクロポリスは本格的な”山”だ。GoogleMapによれば、バス停のある位置から陸の頂上までは標高差250mとのこと。
バス停の横には”エジプト神の神殿”遺跡がある。占領地の宗教を容認したローマ帝国らしい遺跡だ。バス停から1km程、坂道を登ったところにアクロポリス行きのケーブルカーの駅がある。駅前には団体ツアー客のバスが大量に並んでいる。私のほかに、バス停から歩いて登って来る個人旅行客は全く見かけない。
何年か前にギリシヤのミケーネ遺跡に行ったときには、バス停から遺跡まで4km、標高差160mに比べたら、たいしたことはない。
ケーブルカー(日本人はロープウェーと呼ぶようだ)の料金は10リラ(450円)。標高差200mを一気に上ってくれるので安いものだ。ケーブルカーを降りると、目の前に土産物屋と入場券売り場。入場券は20リラ(900円)と、この国にしては高価だが、ヘレニズムからローマ帝国時代に属州の首都だった古代都市遺跡を見れるのだから、安いものだ。(ただし、出土品は、ベルリンのペルガモン美術館に略奪されてしまっている。数年前にベルリンの方は見たので、今回はこちらの方を…)
所々に潅木が生えているほかは、影一つ無い灼熱の山の上には、太った素肌を露出しまくった欧米のジジババ団体客が何組もうろついている。それと中国人の10人程度の団体と、長袖に帽子、手袋までした場違いの日本人団体の20人くらい。
エーゲ海、遺跡、古代遺跡のリゾートで、何で冬のような格好してきてるんだ…日本人。 日焼けしたくないなら、場違いの国に来なくてもいいのに。
と、人間観察はこのくらいにしておいて、遺跡の観察を。
ものすごく急な斜面に無理やり造った感のある、ギリシア円形劇場。急傾斜過ぎて、一番後ろの席から舞台が遠いこと…。柱の下の部分がまばらに残っているだけのアテナ神殿跡を通り過ぎて、山の頂上辺りに他の遺跡に比べて新しいトラヤヌス神殿が、それなりの形をとどめている。(新しいといってもヘレニズム時代より、ローマ時代のほうが新しいというレベルだが…)
柱が崩壊して、ペディメントが綺麗に地面に落下しても原形をとどめているのは、不思議な感じがする。組み立てなおしたんですかね…。例の日本人団体のガイドの説明が耳に入ってきたが、「当時は奴隷がたくさん居たので、これほど立派な神殿を建てられた」というような説明をしているが、その説明ならスカイツリーも奴隷が居なければ建てられなかった事になる。要件は奴隷の有無ではなく、財政の豊かさと、神殿を建てる権利を行使できる独立性が、(ローマ帝国内の)アジア属州に与えられていたということだと思う。Wikipediaを見ながら現地を見学した方が、よほどマシだと思いますよ>日本の団体さん。
山頂を越えて裏側には、観光客は誰も入ってこないようだが、巨大な貯水槽跡が広がっている。遥か山の麓には、巨大なダム湖が見えている。
再びケーブルカーに乗って遺跡を後にし、旧市街へ降りてゆく。バス停の近くの店で、トルコ風ミート・ピザを食べる(6リラ,270円)。こちらでは、ミンチ肉をレアの状態で出すのが普通のようで、スパイスが効いた肉がおいしい。(反面、日本で禁止されたように、食中毒の原因にもなりえますね)
ちょうど走ってきたタクシーを捕まえて、アスクレピオン神殿へ向かう。アクロポリスとは別の丘の中腹にあり、歩いて来れないことも無いが、登るのが結構しんどそうだ。タクシー料金は10リラ。遺跡の入場券売り場には、大人なのに学生証のようなものを出して、件を購入する団体が並んでいる。その1人ずつのデータをなにやら入力しているので、10人ほどの列なのに30分くらい掛かる。もう、この非効率さはアホなのかと…。たかが500円くらいの入場料ケチるようなシステムやめろよと思う。
こちらも団体観光客だらけ。円形の診療院跡では、妙な古代楽器風のものをガイドが弾いている、英語圏の団体客のジジババが居た。妙な宗教じみたことをするのなら、自分たちの家でやって来いと…。
エーゲ海を挟んだ反対側にあるギリシヤのデルフィと同じく、祈祷のための神殿があったところで、円形の神殿跡があるのもあちらと同じ。ただ、こちらの遺跡は破壊のレベルが激しすぎて、あまり残っていないが…。
3000人収容といわれるギリシヤ劇場は、アクロポリスのものよりかなり小ぢんまりしている。いまでも演劇祭か何かをするようで、座席はコンクリートで補修しまくっているので、原形をあまりとどめていない感じだ。
アスクレピオンからアクロポリス方向に向かって、数百メートルの列柱の道が出来ている。まさか、出来た当時はこの道が繋がっていたということはないだろうが…。
遺跡を後にし、歩いて旧市街に戻り、バス停へ。14時20分発のバスに乗ってイズミールに向かう。バスターミナルではなく、イズミール市街地に入った高速道路のようなところで降ろしてもらい、すぐ横のメトロのボルゲ駅から地下鉄に乗り、県庁前まで。
17時に閉館する考古学博物館に、閉館20分前に滑り込む。バスターミナルまでバスに乗り続けていたら、17時にやっとバスターミナルに到着したくらいだろう。途中で降ろしてもらってよかった。
考古学博物館には、昨日訪れたアゴラ跡で出土した石像も展示してある。それほど展示物は多くないので、20分あれば駆け足で全部見ることが出来る。
夕食は県庁舎横にあるショッピングセンターのバーガーキングで。若い人がたくさん入っているが、街の中のレストランより価格設定は高めだ。ワッパーのセットメニューで10.25リラ(460円)と、日本よりは安い。スークを通り抜け、国鉄バスマーネ駅に向かう途中の旧市街でケバブを2リラで買い食いしながら歩き、駅で明日のセルチュク行き切符を購入。
本日の最高気温33℃、最低気温16℃。http://www.wunderground.com/ のデータによる。
6時30分起床。7時、ホテルの2階(こちらでは1階か…)の食堂で朝食。他に宿泊している人が居ないのか、それとも、もっと遅くに食べに来るのかは知らないが、私以外に誰も居ない。
7時45分、スークの横のバス停から163系統のバスに乗り、バスターミナルに向かう。この街のバス停には、系統番号も時刻表も貼り出されていないので、あらかじめインターネットでバスの時刻を調べておかないと、長時間待つことになるかもしれない。(ちなみに、163系統は30分に1本くらいの運転)
バスはイズミール市街地中心を避けるようにして、バスターミナルに向かい、約30分で到着。10年前に、カッパドキアから乗ったバスを乗り継いだときには、こんなに大きな場所ではなかったような気がする。新しく建てたのだろうか。ベルガマ行きのバス会社の切符売り場を探すが、見つからない。適当にその辺りの売り場の人に尋ねると、近場へのミニバスは上の階から出るとのこと。2時間の乗車距離で、近場のバスとは、さすが長距離バス路線網が発達したトルコならではだ。
Metro Bergamaという会社の切符を購入。10リラ(450円)。8時30分に、乗客2名を載せて出発。イズミール郊外や途中の小さな町からどんどん客が乗り込んできて満員になる。
雲ひとつない改正の青空の下、乾ききって潅木がまばらに生えた低い山々や、エーゲ海を見ながら約2時間でベルガマに到着。ベルガマの町から相当離れたところにあるバスターミナルには停車せずに、旧市街のバス会社の事務所の前が終点だ。目の前には、アクロポリスの”山”が見えている。アテネのアクロポリス程度なら登ろうかという気も起こるが、ここのアクロポリスは本格的な”山”だ。GoogleMapによれば、バス停のある位置から陸の頂上までは標高差250mとのこと。
バス停の横には”エジプト神の神殿”遺跡がある。占領地の宗教を容認したローマ帝国らしい遺跡だ。バス停から1km程、坂道を登ったところにアクロポリス行きのケーブルカーの駅がある。駅前には団体ツアー客のバスが大量に並んでいる。私のほかに、バス停から歩いて登って来る個人旅行客は全く見かけない。
何年か前にギリシヤのミケーネ遺跡に行ったときには、バス停から遺跡まで4km、標高差160mに比べたら、たいしたことはない。
ケーブルカー(日本人はロープウェーと呼ぶようだ)の料金は10リラ(450円)。標高差200mを一気に上ってくれるので安いものだ。ケーブルカーを降りると、目の前に土産物屋と入場券売り場。入場券は20リラ(900円)と、この国にしては高価だが、ヘレニズムからローマ帝国時代に属州の首都だった古代都市遺跡を見れるのだから、安いものだ。(ただし、出土品は、ベルリンのペルガモン美術館に略奪されてしまっている。数年前にベルリンの方は見たので、今回はこちらの方を…)
所々に潅木が生えているほかは、影一つ無い灼熱の山の上には、太った素肌を露出しまくった欧米のジジババ団体客が何組もうろついている。それと中国人の10人程度の団体と、長袖に帽子、手袋までした場違いの日本人団体の20人くらい。
エーゲ海、遺跡、古代遺跡のリゾートで、何で冬のような格好してきてるんだ…日本人。 日焼けしたくないなら、場違いの国に来なくてもいいのに。
と、人間観察はこのくらいにしておいて、遺跡の観察を。
ものすごく急な斜面に無理やり造った感のある、ギリシア円形劇場。急傾斜過ぎて、一番後ろの席から舞台が遠いこと…。柱の下の部分がまばらに残っているだけのアテナ神殿跡を通り過ぎて、山の頂上辺りに他の遺跡に比べて新しいトラヤヌス神殿が、それなりの形をとどめている。(新しいといってもヘレニズム時代より、ローマ時代のほうが新しいというレベルだが…)
柱が崩壊して、ペディメントが綺麗に地面に落下しても原形をとどめているのは、不思議な感じがする。組み立てなおしたんですかね…。例の日本人団体のガイドの説明が耳に入ってきたが、「当時は奴隷がたくさん居たので、これほど立派な神殿を建てられた」というような説明をしているが、その説明ならスカイツリーも奴隷が居なければ建てられなかった事になる。要件は奴隷の有無ではなく、財政の豊かさと、神殿を建てる権利を行使できる独立性が、(ローマ帝国内の)アジア属州に与えられていたということだと思う。Wikipediaを見ながら現地を見学した方が、よほどマシだと思いますよ>日本の団体さん。
山頂を越えて裏側には、観光客は誰も入ってこないようだが、巨大な貯水槽跡が広がっている。遥か山の麓には、巨大なダム湖が見えている。
再びケーブルカーに乗って遺跡を後にし、旧市街へ降りてゆく。バス停の近くの店で、トルコ風ミート・ピザを食べる(6リラ,270円)。こちらでは、ミンチ肉をレアの状態で出すのが普通のようで、スパイスが効いた肉がおいしい。(反面、日本で禁止されたように、食中毒の原因にもなりえますね)
ちょうど走ってきたタクシーを捕まえて、アスクレピオン神殿へ向かう。アクロポリスとは別の丘の中腹にあり、歩いて来れないことも無いが、登るのが結構しんどそうだ。タクシー料金は10リラ。遺跡の入場券売り場には、大人なのに学生証のようなものを出して、件を購入する団体が並んでいる。その1人ずつのデータをなにやら入力しているので、10人ほどの列なのに30分くらい掛かる。もう、この非効率さはアホなのかと…。たかが500円くらいの入場料ケチるようなシステムやめろよと思う。
こちらも団体観光客だらけ。円形の診療院跡では、妙な古代楽器風のものをガイドが弾いている、英語圏の団体客のジジババが居た。妙な宗教じみたことをするのなら、自分たちの家でやって来いと…。
エーゲ海を挟んだ反対側にあるギリシヤのデルフィと同じく、祈祷のための神殿があったところで、円形の神殿跡があるのもあちらと同じ。ただ、こちらの遺跡は破壊のレベルが激しすぎて、あまり残っていないが…。
3000人収容といわれるギリシヤ劇場は、アクロポリスのものよりかなり小ぢんまりしている。いまでも演劇祭か何かをするようで、座席はコンクリートで補修しまくっているので、原形をあまりとどめていない感じだ。
アスクレピオンからアクロポリス方向に向かって、数百メートルの列柱の道が出来ている。まさか、出来た当時はこの道が繋がっていたということはないだろうが…。
遺跡を後にし、歩いて旧市街に戻り、バス停へ。14時20分発のバスに乗ってイズミールに向かう。バスターミナルではなく、イズミール市街地に入った高速道路のようなところで降ろしてもらい、すぐ横のメトロのボルゲ駅から地下鉄に乗り、県庁前まで。
17時に閉館する考古学博物館に、閉館20分前に滑り込む。バスターミナルまでバスに乗り続けていたら、17時にやっとバスターミナルに到着したくらいだろう。途中で降ろしてもらってよかった。
考古学博物館には、昨日訪れたアゴラ跡で出土した石像も展示してある。それほど展示物は多くないので、20分あれば駆け足で全部見ることが出来る。
夕食は県庁舎横にあるショッピングセンターのバーガーキングで。若い人がたくさん入っているが、街の中のレストランより価格設定は高めだ。ワッパーのセットメニューで10.25リラ(460円)と、日本よりは安い。スークを通り抜け、国鉄バスマーネ駅に向かう途中の旧市街でケバブを2リラで買い食いしながら歩き、駅で明日のセルチュク行き切符を購入。
本日の最高気温33℃、最低気温16℃。http://www.wunderground.com/ のデータによる。