2011/09/26

9月26日 キエフ

9月26日(月曜日)

今日は、キエフから夜行列車に乗ってワルシャワに向けて出発する日。列車に乗る夕方まで、たっぷりと時間があるので、市内散策に出かける。

ユースホステルの近くにある地下鉄コントラクトヴァ広場駅。朝8時、たくさんの人が駅から吐き出されてくる。この辺りは住宅街のように見えるのだが、これだけたくさんの通勤の人が駅から出てくるということは、企業の事務所などがあるのだろう。アパートに見えて、実は、部屋を事務所代わりに使っているような形かもしれないが…。



地下鉄コントラクトヴァ広場駅の出口付近にて


地下鉄に乗って中央駅へ行き、駅の地下にある荷物預かり所に荷物を預ける。次から次へと客がやってきていたので、夜行列車の乗り継ぎなどで、かなりのニーズがあるのだろう。広い倉庫にスチールラックが延々と並んでいる。荷物を預けて身軽になり、駅に停車している列車を撮影していると、迷彩服を着た警備員(本物の兵士か?)に拘束される。カメラを没収するというようなことを言っているので、撮影した写真を削除するので、勘弁してくださいと、とりあえずお願いしてみる。最近の一眼レフは、メニューをロシア語に切り替えられるので、ロシア語モードで駅で撮影した写真のコマを全て削除するパフォーマンスをしたら開放してもらえた…。共産主義から脱却したにもかかわらず、まだ、一般客の乗降する鉄道駅が写真撮影禁止とか、どうにかならんも



キエフ中央駅


歩いて市内中心方向へ。大学駅という地下鉄の駅があるが、大学が立地するほど広大な土地があるように見えない。そのすぐ近くに黄色と白の彩色のウラジミール聖堂が建っている。ちょうど礼拝か何かの時間なのだろう、やたら派手な鐘の音色が響き渡っている。



ウラジミール聖堂



聖堂前を過ぎて、並木通り(タラス・シェフチェンコ通り)をどんどん下っていくと、昨日歩行者天国をしていたフレシャーチク通りに突き当たる。その交差点、地下道から上がってくる階段から空を見上げると、なんとレーニン像が。まだ引き倒されずに、鎮座されていますね。その横には、「ウクライナ共産党」と書かれた赤いテントが…。まだ、共産党って存在してたんですね。



レーニン像


昼食は、またしても昨日と同じウクライナ料理のビュッフェ。コンプリート・ブレックファースト(とウクライナ語で書かれている)というメニューを頼んでみると、チキンかソーセージか、あと何とか(←知らない単語)から選べという。チキンを頼んでみると、巨大なささ身のステーキが2個、目玉焼きが2個やって来た。どう見ても朝からカロリー取りすぎのメニューですね。(でも、ウクライナ人の若い人は、スリムでカッコいい)

昼からは、目抜き通りのフレシャーチク通りのベンチに座って、現地の人の行動観察。平日昼間なのに、お年寄りに混じって若い人もぱらぱらと歩いていますね。まあ、昨日の歩行者天国のように、若い人の比率が高いということはないですけどね。Google検索で「ウクライナの旅行記」を検索してみると、「美人が多い」という感想がたくさん出てくる。スラブ民族なので、確かに若い女性は他のヨーロッパの国が霞んで見えるくらいの美人がたまに居ますね。例外なくミニスカートだったりして、長い足がさらに強調されて見えるという「正の相乗効果」があるのでしょう。ただ、おばさんの年齢になると、急速に劣化していくのもこの民族の宿命のようで…。最高気温が20℃と、そんなに暑くないのにソフトクリームを食べながら歩いている人が多いです。



涼しくてもソフトクリームは大人気


15時過ぎ、中央駅に戻る。あまったウクライナの紙幣をユーロに両替しようと思い、駅の両替窓口へ。窓口のおばさんは「ウクライナ通過をゲットしたときの領収書を出せ」と言ってくるが、ATMで引き出してるのでそんなものはあるはずが無い。日本の銀行の両替所も、客を犯罪者扱いしているような身分調査用紙に書き込ませるが、こちらはさらに「金を得た理由の証明書」を出せということだ。やはり、共産党が存在する国はサービスレベルの低さが違いますな。両替所の周辺に「闇両替」のおばさんが何人か居るので、その人に両替してもらう。レートは920フリブナが83ユーロ。(9月21日のレートで、920フリブナは84ユーロに相当するので、相当いいレートだ)



キエフ駅に入ってきたワルシャワ行き国際列車



16時近辺に出発するウクライナ国内行きの寝台列車が、1時間前に列車が駅にやってきて乗車が始まるにもかかわらず、国際列車のワルシャワ行きだけが、駅にやって来たのは出発10分前。たったの3両編成だ。1等が1両(ポーランド国鉄の車両)、2等が2両(ウクライナ国鉄の車両)という組み合わせ。車内はもちろん満員で、数日前によく買えたものだと思う。列車は定刻の16時37分、車内では全く気づかないくらいのゆっくりとした加速で出発。私の乗った2等コンパートメントには、ウクライナ人のお婆さんと50歳代のおじさんの2人連れ、30歳代のウクライナ人でワルシャワで働いているという女性、私の4人だ。ウクライナ人としては珍しい、それなりに海外渡航経験のある彼らにとっても、日本人の私は珍しいらしく、日本の文化のことやら、もちろん「福島の大事故」について質問攻めにあう。東ヨーロッパでの報道(2流の大衆メディア)の伝え方は、やはり相当人種差別が入っているようで、「サルが原発の動かし方を理解出来ずに事故った」というような報道もあったそうな。原発事故の先輩であるウクライナ人としては、そういう報道には腹が立ったらしいが…。まあ、原発4基も爆発させた日本の総合技術力は、誰が見てもダメであるのは明らかなんだけどね。「日本に原発50基あるよ」と言ったら、「核爆弾の上に住んでるみたいだね」という感想だった。

列車はだんだんと夕焼けに赤く染まっていく平原を、ひたすら西へ。ベラルーシ国境の方の路線ではなく、ウクライナからポーランドに直接入ることは、時刻表検索の途中駅リストですでに確認しているので、(ベラルーシのビザを持っていない私でも)安心して乗っていられる。