2016/06/29

6月29日 台北

2016年6月29日(水曜日)

台北で泊まっているホテルは、朝食がついているので助かる。ヨーロッパの格安ホテルなどでは、パンとハム程度の質素な朝食が一般的だが、台北のこのホテルは各種の中華総菜だけでなく、欧米人向けの食パンまで置いているのは流石だなと思う。

天気予報は、午前中は曇り時々晴れ、夕方には雷雨。昨日は13時過ぎに雷雨だったので、今日の観光も午前中に予定をこなさないといけない。
北門(承恩門)


まず向かったのが、ホテルの面する通りの北に見えている北門(承恩門)。19世紀に清朝が日本との勢力争いで、最前線の台北を確保するために作った城郭都市の門だ。東西南北の各門と小南門の5つがあったようだが、西門はもはや存在せず、東門・南門と小南門は第二次大戦後に改築されているので、建設当時の姿が残っているのは、この北門だけだ。単なる四角柱に近い、どっしりとしたデザインは戦争に備えて防御力に重きを置いていたのだろう。日本が台湾を接収したのちに、城壁をすべて破壊したので、今では城壁があった位置に作られた広い道路の真ん中にポツンと門が取り残されている。

そもそも、城壁が実際の戦争で役立ったのは中世までで、大砲などの直撃弾で砲撃される時代は、城壁ではなく半地下の要塞にしないといけないのに、戦争技術を軽んじた清朝は当時の日本には全く対抗できない古すぎる防御施設を造ったわけだ。これより少し前の明治初期の日本では、幕府軍の最後の抵抗として最新技術を導入した星形要塞の五稜郭が作られていた。

北門の向かい側、旧台北城郭の内側には日本が造った台北郵便局の建物がいまでも郵局として使われている。再びのテルの前を通り過ぎ、南へ。15分ほど歩くと、総統府前を通り過ぎて司法大廈(司法院のビル)の前まで来る。この建物も日本統治時代の高等法院ビルを引き継いで使っている。東京の霞が関ですら、ネオルネッサンス様式の重厚な官庁ビルはほとんど無く、海外県の台湾に日本国民の税金を大量投入して立派なビルを建てまくったことが、実際に現地で目にしてみると実感できる。
司法大廈
小南門


司法大廈の少し南西には小南門があり、これは第二次大戦後に改築されてきらびやかな装飾門になってしまっている。さすがに中華民国政府も人民解放軍相手に台北の城壁を再興しようとは思わなかったのだろう。ここで貸自転車スタンド(You Bike)で自転車を借りる。

大通りに沿って東へ。台北市立大学前を通り過ぎると、華美な装飾の南門がある。南門の城外側には、台湾総督府専売局の建物が残っていて、20世紀末まで台湾政府の専売事業の事務所としても使われていたそうだ。日本にも専売公社なるものがあったが、いまはJTになり、こういう歴史的建物があったのかなと…。
専売局

東門

さらに東に行くと中正紀念堂のある自由広場前に出る。ここで自転車をいったん返却。自由広場の目の前には、東門があり、遥か向こうには総督府の建物が見えている。大陸から来た中国人観光客が、太陽に当たりたくないのか、広い広場の端っこの建物沿いに歩いている。広場の西端にある「大中至正」門は「自由広場」門に書き換わっている。2007年に民進党政権が書き換えたそうだ。中国大陸の国民党の象徴の蒋介石は残してても問題ないんですかね…。そこをいじると、大陸の中国政府の逆鱗に触れるので、いじれない事柄なんでしょう。
自由広場門
中正紀念堂の衛兵交代式

中正紀念堂は正面から見ると階段を登らないといけないようだけれども、中に入ってみるとエレベーターがあり、南北の横の出入口があるあるのに気付いた。ちょうど10時の衛兵交代式が始まったので、見物する。いろいろな国で衛兵の行進を見てきたが、ここではエレベーターで衛兵が登場するという珍しいパフォーマンスがある。屋内だけを行進するのは、外があまりに蒸し暑いからなのだろう。見物する観光客も暑いのは嫌だし…。

中正紀念堂の北側の門「大忠門」を出たところのコンビニで休憩。すぐ近くの自転車貸出スタンドで自転車を借り、北へ。済南プロテスタント教会、立法院(旧 台北第二高等女学校)、監察院(旧 台北州庁)と、かつて日本統治時代に建てられた歴史的建築物が並んでいる。教会以外は観光地でないので中は見れそうにない。




監察院(旧 台北州庁)

台北医大病院前で自転車を返却し、二二八和平公園へ。日本統治時代に土地収用して作られた大都会のど真ん中の公園だ。いまでは中華風の池と楼閣がある中華庭園だ。公園の北には、巨大なグリークリバイバル様式の台湾博物館(旧 台湾総督府博物館が)が建っている。公園内には戦前のラジオ塔が残っていて、中にはスピーカーの残骸らしきものまで残されているのが見える。大阪にもラジオ塔が2か所あるが、ここほど保存状態は良くない。

■ 台北捷運 台大醫院站 11:20 → 圓山站 11:32 (20台湾元)

地下鉄に乗り、圓山站へ。駅から西へ5分ほど歩くと、孔廟がある。学問の神様はどこの街にもあるようで、台北の孔子廟は日本統治期に造られたそうだ。菅原道真を押し付けるのではなく、かつてのローマ帝国のように征服民族の宗教を取り込んでいく事は重要だろう。台湾に日本の神社を建てるような浅はかな考えの人が権力の上のほうを占めていたのにもかかわらず、よく孔子廟を認めたものだ。




孔子廟のとなりには大龍峒保安宮がある。保生大帝などが祀られている18世紀に建てられた廟らしい。

孔廟
大龍峒保安宮

ちょうど昼過ぎになったので、大龍峒保安宮と孔子廟の間の道を少し南に行った大龍街夜市の自助餐で昼食(90元)。この手の店では珍しい、ご飯とスープが取り放題。そんなに食べれるものではないが…。
大龍街


■ 台北捷運 圓山站 12:52 → 台大醫院站 13:01 (20台湾元)

ふたたび二二八和平公園にもどってきた。天気予報ではそろそろ雷雨かもしれない時間に突入。台湾博物館に入場(30元)。台湾の自制植物や動物御ジオラマが少しあり、少数民族の展示が少し。かなり場所を割いていたのは日本統治期から現在までの代表的な建築物の変遷を映像と写真で解説する特別展。蔡英文が新総統になって、展示内容を急遽西側諸国よりに変えたのだろう。今日、台北市内で見てきたが歴史的建物のほとんどがこの展示と重なっていて、偶然とはいえなかなか運が良かった。

台湾博物館

博物館を出て、ホテルの近くでマンゴーかき氷を食べる。マンゴーが1個分以上入っていて、120元と日本では考えられないくらい安い。さすが亜熱帯の果物の産地価格だ。

15時ごろ、予想通り大雨が降ってくる。ちょうど、ホテル近くのアーケードの下を歩いていたのでぬれずに済んだ。雨がやみ、16時すぎに地下鉄に乗り、光華商場見に行く。

■ 台北捷運 西門站 16:38 → 忠孝新生 (20台湾元)

日本でいうところの、秋葉原・大須・日本橋の電気街のようなところで、電子部品屋(秋葉のラジオデパート)やパソコンの部品屋などが集まっている。日本ではこの手の店はすでに流行ではなく、パソコンは安物のメーカー品で誰もが満足し、部品云々というマニアはほとんど絶滅してしまった。電子部品屋も、日本では学校のロボットクラブ用の完成品パーツを売る店程度が流行っているくらい。台湾ではこの手の電子機器類に興味を持つ若者がまだたくさんいて、驚くことに女性も…、店が繁盛している。この手の設計能力を持つ人がたくさんいることで、電子工業が発展し、結果として日本の家電メーカーが負け、台湾の鴻海にシャープが買収されるような時代になった。  と、台湾博物館の展示でも書かれていて「シャープの買収は、その歴史の移り変わりに日本人は驚いたはずだ」と。

■ 台北捷運 忠孝新生 17:18 → 西門站 (20台湾元)

■ 力欧時尚旅館 105号室 1085台湾元/日