2015/09/21

9月21日 パリ

9月21日(月曜日)

屋外の最低気温は20℃くらいのはずだが、西日で温められたホテルの部屋の温度は、夜中でも27℃以下にはならず、暑くて寝苦しかった。5時30分過ぎに起きて、スーパーで買ったパンとハム、リンゴで朝食。6時30分、部屋の鍵をドアに挿した状態にして「チェックアウト」し、駅に向かう。

空港行きの7時発のバスは、「リド・ディ・イェーゾロ」行きとバスの正面の行き先表示器に表示している。どこか遠くの町に行くバスが、たまたま空港に立ち寄るので、空港バスと銘打っているだけなのだろう。途中のバス停から、通学の高校生が乗ってきて、ほぼ満員状態で空港に到着。

シェンゲン条約国内の移動なので、パスポート検査はなし。空港に着いて、10分後には搭乗口のところに到達した。出発の2時間前だが、まだ誰も乗客はやってきていない。シェンゲン条約国内なら、1時間前でよさそうだ。

■ ヴェネツィア マルコ・ポーロ空港 09:30発 → パリ オルリー空港 11:00着 (EasyJet 4292便,ネット予約)

パリ行きの便は満席。今回は、格安便なのに座席指定がある。ヴェネツィア空港を離陸した飛行機は、ヴェネツィアの島の周囲を大きく旋回して、北イタリアを横断し、スイス・アルプスを通過してフランス方向へ。ずっと天気が良く、アルプスの山々がはっきりと見えた。


ヴェネツィア空港にて


離陸直後に見えたヴェネツィア周辺の景色


スイスアルプス付近を越える

オルリー空港に到着し、まず、トラムの駅を探す。空港正面出口に出てしまうと、いきなりバスの停留所のところに来てしまう。トラム駅への表示を、わざとわかりにくく出しているようにも思える。トラムとメトロを乗り継いでパリ市内まで行くと、市内切符2枚(1.80ユーロ×2枚)だけでよく、最安値で移動できる方法だ。それに、所要時間も短い。

長い地下通路を通って、駐車場に行く途中にトラム駅がある。市内のトラムや地下鉄駅にある券売機が1台あるだけで、たぶん旅行客が使うことは予想していないのだろう。数年前に購入した回数券の余りを持ってきていたので、それを使ってトラムとメトロに乗車する。(回数券に有効期限は書いてないので、たぶん、今の切符のシステムが変更されるまで使えるのだろう)


オルリー空港南ターミナル駅のトラムT7の駅

■ オルリー空港南 11:38発 → ヴィルジュイフ 12:09着 (トラム T7,運賃 1.8EUR)
■ ヴィルジュイフ 12:28発 → イタリア広場 乗り換え → ブレケット=サビン 12:40着 (メトロ M7 → M5,運賃 1.8EUR)

トラムは、空港周辺に造られた新しい工業団地の中を走っていく。こんな場所だから乗客の乗り降りは少ないのかと思っていたが、以外にも途中で乗客の乗り降りが頻繁にあり、終点のヴィルジュイフ駅に到着するころには車内が満員になっていた。

新しくできたトラムなのに、起点駅での地下鉄との乗り換えは、階段を上り下りさせる効率の悪さだ。同一のプラットホームで乗り換えるようにするか、プラットホームを完全に上下に作って移動距離を最短化するか、というのが最近の鉄道駅の工事の定石なのに、欧州の鉄道会社はそういうことは考えないのだろう。


メトロ5号線 イタリア広場駅

M7とM5の地下鉄を乗り継ぎ、予約したホテルの近くのブレケット=サビン駅で下車。駅から地上に出ると、すぐ南にバスティーユ広場の7月革命塔が見えている。駅からホテルまでは歩いて5分くらいだ。途中、カルフールのコンビニがあったので、昼食のサンドイッチとミネラル水を買う。

■ バスティーユ 13:55発 → イタリア広場 14:02着 (メトロ M5,回数券,1枚1.8EUR)

ホテルにチェックインし、荷物を置いて観光に出かける。今回は、シテ島のノートルダム寺院から、まっすぐ真南へ、パリ市街地の端までを踏破してみようと思う。まず、イタリア広場駅まで地下鉄で向かい、広場にある貸自転車ベリヴを借りる。30分以内に市内至る所にある貸自転車ステーションの機械に差し込んで返却すれば、基本料金の1.7ユーロで1日乗り放題状態だ。


ポール・ヴォルレーヌ広場付近

住宅街の中にあるポール・ヴォルレーヌ広場をまず目指す。20世紀初めに造られた市営プール(ヴュット・オ・カイユ)の跡地があるところだ。そこから、カフェやレストランが並んだ通りの坂道を下る。石畳の道なので自転車ではつらいものがある。地下鉄の高架橋があり、軌道がカーブしたところにコルヴィザール駅がある。駅の下を潜り抜けて、さらに坂道を下っていくとルネ・ル・ガル公園。昔、ゴブラン紡績工場があった跡地に造られた公園だそうだ。地下鉄7号線のゴブラン駅前には、工場跡地の一部を使った紡績博物館がある。公園の周囲は高層アパートに囲まれていて、フランス庭園となった場所の中央には妙なオベリスクが建っている。

さらに坂道を下っていくと、谷底となった場所に改修工事中の聖メダー教会がある。この教会の前から、パンテオンの裏手までが(月曜を除く日に)露店市が出るムフタール通りだ。今日は月曜なので、露店がなくすっきりとしている。この谷底当たりに、かつて古代ローマ時代の幹線道路跡が発掘されたそうなので、ここがかつてのパリ(当時の名前はリュテス)の中心部だったのだろう。


屋台が並んでいない月曜のムフタール通り

ムフタール通りから少し西へ行くと、1世紀ごろに造られたリュテス円形闘技場跡公園がある。復元されきれいに作り替えられた観客席が一部だけあるが、実際は建物の外形がわかる程度にしか残っていなかったようだ。円形闘技場から先ほどのムフタール通りに戻る途中には、フィリップ・オーギュストの城壁の残骸が立っている。中世のパリの歴史で、最初のほうに建てられたものだそうだ。


リュテス円形闘技場


中世初期に造られたフィリップ・オーギュストの城壁跡

ムフタール通りを通り越し、その向こう側にあるパンテオンを見に行く。ローマにある、アウグストゥスの右腕だったアグリッパが建てた「パンテオン」ではなく、パリにあるのは19世紀に建てられたフランスの偉人の墓所として建てられたものだ。哲学者ヴォルテールやルソー、作家ビクトル・ユーゴーなどの棺が地下のクリプトに置かれている。


パンテオン


パリ大学(第1・第2大学 パンテオン校舎)

自転車でバスティーユ広場まで戻り、通りの中国料理屋でおかず2品と焼きめしを買う。12.15ユーロ。久々のご飯食なので、値段が高いのは目をつぶろう。

■ ホテル・ロイヤル・オ・マッド 14号室 (1泊 47ユーロ)